麻丘めぐみさんは、デビュー以来7曲連続オリコンチャートトップ10入りさせていた!




麻丘めぐみさんは1972年6月に「芽ばえ」でレコードデビューしています。余談ですが、矢沢永吉氏がキャロルでレコードデビューしたのも1972年12月でした。

そしてデビュー曲「芽ばえ」は、いきなり大ヒット!

1972年の日本レコード大賞新人賞は、青い三角定規太陽がくれた季節」、郷ひろみ氏の「男の子女の子」、三善英史氏の「雨」、森昌子さんの「先生」。そして麻丘めぐみさんの「芽ばえ」でした。

そして最優秀新人賞は麻丘めぐみさんに輝き、人気絶頂だった天地真理さん、小柳ルミ子さん、南沙織さんに並ぶ人気アイドル歌手になったと記憶しております。

ちなみに、3学年下の桜田淳子さんと山口百恵さんは1973年レコードデビューで、麻丘めぐみさんより少しデビューが遅れており、既に麻丘めぐみさんはその頃、4曲連続オリコントップ10入りの大ブレイク!

「芽ばえ」(3位)→「悲しみよこんにちは」(6位)→「女の子なんだもん」(7位)→「森をかける恋人たち」(7位)。

 

オリコンチャートだけで言えば、1973年は桜田淳子さんと山口百恵さんの楽曲は麻丘めぐみさんのヒットに及びませんでした。

 

又、麻丘めぐみさんの楽曲は先輩アイドルの天地真理さん、南沙織さんと良い勝負をしていました(小柳ルミ子さんはヒット曲が途絶えた)。

で、1973年のこの時期、もう一人の国民的人気アイドルがレコードデビューしており、それは浅田美代子さん(学年で麻丘めぐみさんと同級生)。

浅田美代子さんのデビュー曲「赤い風船」はオリコン1位に輝き、7月に発表された「私の彼は左きき」が、麻丘めぐみさんの数多いヒット曲の中でも唯一の!オリコン1位を記録。

更には人気絶頂の天地真理さんの「恋する夏の日」が、同じ7月に発売。1973年の夏のアイドルシーンは、もーう「私の彼は左きき」と「恋する夏の日」の圧勝でした。

更に!10月発売の「アルプスの少女」も8位、明けて1974年1月発売の「ときめき」も6位と、麻丘めぐみさんはデビュー以来7曲連続でオリコンチャートのトップ10入り。

 

人気絶頂だった天地真理さんの11曲連続には及びませんが、当時の麻丘めぐみさんの人気は凄まじいものがありました。

ちなみに、山口百恵さんが連続ヒットメーカーになるのは、シングル第5弾1974年6月発売の「ひと夏の経験」からで、シングル第2弾の「青い果実」は9位でしたが、 他の3曲はトップ10入りしておりません。

そんなこんなで、レコードも売れまくり人気絶頂だった麻丘めぐみさんが1974年3月に、日劇でのリサイタル中にステージから落ちる大怪我をしてしまい、半年間の休養を余儀なくされる不幸に見舞われます。

そして休養中の4月に発売された「白い部屋」が、オリコン最高位13位で連続トップ10入りはここで途切れますが、南沙織さんも浅田美代子さんも天地真理さんも、1974年以降は人気に翳りが見え始めました。

で、山口百恵さんが1974年12月発売の「冬の色」が初のオリオンチャート1位に輝き(この曲で3曲連続トップ10入り)、引退する1980年の「一恵」まで全ての曲をトップ10入りされています。

また、1976年8月にはピンクレディーがデビューし、70年代後半は社会現象になるほどの大人気、大ヒット連発でしたので、それ以前のアイドルが急激に影が薄くなったのは否めませんでした。

というわけで、麻丘めぐみさんの人気のピークは短かったですが(本人は長く忙しかったと思いますが)、1972年後半から1973年にかけトップアイドルだったのは間違いないです。