50歳のチャールズ・ブロンソンと、12歳のトレイシー・ハイドに熱狂した日本人たち!



チャールズ・ブロンソン1921年生まれで、「荒野の七人」で世界でそれなりに名前と顔が知られるようになる時は、既に40歳になる頃の、かなりの遅咲きの映画俳優でした。

そんなチャールズ・ブロンソンが日本で最初に大きく注目されたのは、日本で人気抜群だったアラン・ドロンとの共演作、1968年の「さらば友よ」のヒットからだったでしょう。

この作品からチャールズ・ブロンソンは口髭がトレードマークになったので、後追いで観た髭のない「荒野の七人」や「大脱走」等の彼に、なんとなく違和感を感じたのは、私だけではないと思います。

そんなチャールズ・ブロンソンが、本当に日本で人気が爆発したのが、1970年からスタートした男性化粧品「マンダム」のCM!

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ジェリー・ウォラスの歌うCMソング「マンダム〜男の世界」も大ヒットし(日本独自)、「うーん。マンダム」の一言含め、チャールズ・ブロンソンはお茶の間の人気者になりました。

更には仏伊西米の4ヶ国製作、日本の三船敏郎アラン・ドロンとの共演、当時は話題沸騰だった「レッド・サン」が1971年にロードショー公開されると、その人気は頂点に達しました。

が、思えばそんな日本で人気の頂点を迎えた時、チャールズ・ブロンソンはもう50歳。

50歳の、決して美男子とは言えない無骨なおっさんが、何故に?あれほど日本で人気が爆発したのか?謎です(笑)。





一方、こちらも日本だけのヒットだったそうな、「レッド・サン」の少し前に公開されたイギリス映画「小さな恋のメロディ」。

こちらのヒロインを演じた12歳のトレイシー・ハイドにも、当時の日本人は大熱狂!

小さな恋のメロディ」ほど、名画座の抱き合わせ二本立て含め超ロングランになった映画は、他にないんじゃないですかね〜。

何年にも渡るロングランだったので、トレイシー・ハイドはこの映画一本で、映画雑誌「スクリーン」の女優人気投票部門の、1970年代は毎年常連でした。

まぁ〜こちらはきっと勝手にCMに使ってたと思うので、その後ネタにならないようですが(笑)、「小さな恋のメロディ」も旭化成のCMで使われ、お茶の間でガンガン映像が流れてましたからね〜。

ネットもない時代ですし、当時のテレビの影響力ってもの凄かったですから。確か「卒業」の映像も不二家のCMで使われてましたが、あれもきっと無許可で使ってたのでしょう(笑)。

 

結果、「卒業」の挿入歌で使われたサイモンとガーファンクルのアルバムは、売れまくりましたからね(当時は解散後のザ・ビートルズより売れてた)。

でも、1959年生まれのトレイシー・ハイドは、映画撮影当時は12歳の子供。何故に?こんな子供に、こちらもあれほど日本人が熱狂したのか?謎です。

というわけで1970年代初頭の多くの日本人は、50歳のアメリカ人のおっさんのチャールズ・ブロンソンと、12歳のイギリス人少女のトレイシー・ハイドに、それはそれは舞い上がっていたという昔話でした。