1974年12月
⭕️ダウン・タウン・ブギウギ・バンド3枚目のシングル『スモーキン・ブギ/恋のかけら』発表。
⭕️解散表明をしていたキャロル、ラストシングル『ラストチャンス/変わりえぬ愛』発表。
『作詞:大倉洋一 / 作曲:矢沢永吉』名義のシングルAB面は、1973年6月の『ファンキー・モンキー・ベイビー/コーヒーショップの女の子』以来、1年半ぶりもヒットには至らず。

⭕️キャロル、2枚組ベストアルバム『キャロル・ゴールデン・ヒッツ』発表。
⭕️映画「アメリカン・グラフィティ」、本国アメリカより遅れる事1年4ヶ月強で日本で初上映。
ジョージ・ルーカス監督も出演者も皆、当時は日本で無名だった為、日本の配給会社はアメリカでの大ヒットを十分に見てから、遅ればせながらの日本初上映。
⭕️大人のバイク愛好家チーム「クールス」、職業不詳24歳のリーダー舘ひろし氏、1歳年下のサブリーダー岩城滉一氏によって原宿で結成。
後に「原宿で話題のクールス」に、キャロル側が解散ライブの先導と警護を依頼した仲で、クールスは矢沢永吉氏以外のキャロルメンバーより概ね年上なので、クールス=キャロル親衛隊説は間違い。
1975年1月
⭕️ダウン・タウン・ブギウギ・バンド『スモーキン・ブギ/恋のかけら』が、当時の日本のロックバンドでは異例、初の歌謡大ヒット!(オリコン最高位4位)。
新井武士氏のコミカルな詞、リーゼントにサングラスの宇崎竜童氏、メンバー全員白のつなぎ姿が、マスメディアでもてはやされ、ダウン・タウン・ブギウギ・バンドはお茶の間の人気者、時代の寵児になる。
⭕️1月19日、キャロルの解散ライブの筈だった両国日大講堂公演後、3~4月の富山、旭川、札幌、名古屋、京都、徳島、郡山、仙台、小倉、そして日比谷野音での最終ライブ追加公演が決定。
1975年2月
⭕️人気のダウン・タウン・ブギウギ・バンド、セカンドアルバム『続 脱・どん底』発表。当時の日本のロックバンドでは異例の、オリコンアルバムチャート年間9位の大ヒット。

⭕️荒井由実さん、自身作詞作曲の5枚目のシングル、コーラスにシュガーベイブの山下達郎氏、大貫妙子さん、そして吉田美奈子さん、伊集加代子さんが参加のR&Rテイスト溢れる「ルージュの伝言」発表。
キャロル、クールスも通っていた新宿のR&R BAR『怪人20面相』系列、原宿『キングコング』で、荒井由実さんはボウリングシャツ姿でレコ発プロモーションを行う。
以降『怪人20面相』系列店の制服がボウリングシャツになるも、その甲斐なく『ルージュの伝言/何もきかないで』はシングルヒットに至らず、後の「ユーミンブーム」で再評価される。

1975年3月
⭕️人気のダウン・タウン・ブギウギ・バンド、シングル『カッコマン・ブギ/港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ』を発表。オリコン1位の歌謡大ヒットになり、バンドも曲も社会現象になる。
「あんた あのコのなんなのさ?」が流行語にもなった『港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ』の作詞は、宇崎竜童氏の奥様、阿木燿子さん(自身初の大ヒット作品)。
⭕️キャロル、『ルイジアンナ/涙のテディー・ボーイ/ファンキー・モンキー・ベイビー/番格ロックのテーマ』の4曲入りコンパクト盤発売。
⭕️キャロルがデビューするきっかけになった、フジテレビの『リブヤング!』(1974年4月より夕方枠から深夜枠)、3月29日をもって放送終了。
⭕️キャロルの楽曲も使用された、1974年10月より日本テレビ系で放送、萩原健一氏・水谷豊氏主演のドラマ『傷だらけの天使』が3月29日最終回。放映終了。
1975年4月
⭕️ジョン・レノン、カヴァーアルバム『ロックン・ロール』日本で発売。シングルカットされた『スタンド・バイ・ミー』がヒット。
⭕️4月13日(日)、「原宿で話題のクールス」を会場までの先導、そして会場警護に起用したキャロル、日比谷野音で解散ライブ。
解散ライブゲストは内田裕也氏、なぎら健壱氏、ガロの大野真澄氏、ザ・ゴールデン・カップスのデイブ平尾氏、海援隊の武田鉄矢氏。前座はバッドボーイズ、ハニーズ。
⭕️キャロル解散ライブ後の打ち上げで、キャロルのマーケットを狙ったレコード会社より、ジェームス藤木氏以外は楽器ができないバイク集団のクールスに、バンドデビュー話が舞い込む。
⭕️キャロル、試作品音源・ライブ音源(1月の両国日大講堂のもの)集のアルバム『グッドバイ・キャロル』発表。実質キャロルのスタジオ録音最終オリジナル作品は、アルバムラスト収録の『緊急電話』。
⭕️キャロル、『ラストチャンス/やりきれない気持ち/夏の終わり/レディ・セブンティーン』の4曲入りコンパクト盤発売。
⭕️荒井由実ファンクラブ設立。荒井由実さん、新宿紀伊國屋ホールにて8日連続コンサート。
1975年5月
⭕️キャロル、日比谷野音の解散ライブ音源、2枚組アルバム『燃えつきる-キャロル・ラスト・ライヴ!! 1975.4.13.』発売。
1975年6月
⭕️人気、話題のダウン・タウン・ブギウギ・バンド初のライブアルバム(日比谷公会堂)、『脱・どん底音楽会』発表。

⭕️クールス、10代の女性向け雑誌『mc Sister』(婦人画報社)のフィフティーズ特集で雑誌に初めて取り上げられる。
同誌にはダウン・タウン・ブギウギ・バンドも登場しており、1975年時でのフィフティーズ特集は、かなり新しかった。

キャロルは商業的に歌謡芸能の世界で成功していたバンドではなかったので、解散ライブが地上波テレビで生中継されていたわけではなく、放映されるまでに約3ヶ月もかかっている。
TBSのADから独立した佐藤輝氏撮影編集のこのライブ映像こそ(局への売り込み?)、キャロルのアルバムが解散後に売れ、キャロルが伝説のバンドになった理由、クールスの人生をかえたそれであった。

⭕️東映映画『新幹線大爆破』に、クールス岩城滉一氏、佐藤秀光氏、水口晴幸氏、新幹線乗車客のちょい役で映画初出演(カメラテスト?)。
他メンバーはシンガーにジョー山中氏、ギターにクリエイションの竹田和夫氏、四人囃子の森園勝敏氏、ドラムにクリエションの樋口晶之氏、ベースがマウンテンのフェリックス・パッパラルディという顔ぶれ。

⭕️ダウン・タウン・ブギウギ・バンド、シングル『賣物ブギ/商品には手を出すな』発表。
『賣物ブギ』は、2月発売のアルバム『続 脱・どん底』からのシングルカットだった事もあり、ヒットに至らず、爆発的なダウン・タウン・ブギウギ・バンドブームがひと段落する。
⭕️元キャロルの矢沢永吉氏、東京赤坂のディスコ『MUGEN』にて、会見代わりに新曲を数曲披露。レコード会社をキャロル時代のフォノグラムからCBSソニーに代えた事を、大々的に発表。
⭕️元キャロルのジョニー大倉氏、シングル『いつになったら / 修理工ブルース』(独立プロ映画『異邦人の河』のテーマ)発表。映画主演&AB面作詞作曲はジョニー大倉氏。
⭕️荒井由実さん、作詞作曲を手がけバンバンに提供した『いちご白書をもう一度』がオリコン最高位1位の大ヒット。『荒井由実・ユーミン』が初めて一般的に広く知られるようになる。
1975年9月
⭕️元キャロルの矢沢永吉氏、シングル『アイ・ラブ・ユー、OK/セクシーキャット』、アルバム『I LOVE YOU,OK』でソロデビュー。
9月27日の京都会館を皮切りに11月27日まで、関西・九州・中部中心に16ヶ所のソロ初ツアー『AROUND JAPAN PART-1』。
セットリストはアルバム『I LOVE YOU,OK』全曲と、キャロル時代の『ルイジアンナ』『ファンキー・モンキー・ベイビー』の2曲。残り1曲は、ザ・ビートルズヴァージョンの『スロウ・ダウン』。
⭕️クールス、岩城滉一氏映画初主演。玉川雅己氏と共に東映映画『爆発!暴走族』に出演。
東映8月30日先行公開の、菅原文太氏・愛川欽也氏の『トラック野郎 御意見無用』が大ヒットした為、新作の『爆発!暴走族』は、ロングランの『トラック野郎 御意見無用』と併映された。
『トラック野郎 御意見無用』には、ダウン・タウン・ブギウギ・バンドのメンバー全員がガソリンスタンドの店員役で出演。グループの『一番星ブルース』『トラック・ドライヴィング・ブギ』は映画挿入歌。
⭕️クールス、岩城滉一氏、R&R色の全くない哀愁演歌風『可愛いぜ/流れ星のブルース』で、シングルレコードデビュー。
AB面共に作詞:たかたかし氏、作曲:鈴木邦彦氏の超!歌謡芸能の世界のヒットメーカーながら、当時、プロモーションをやっていた形跡もなく映画挿入歌になっていないので、歌謡ヒットには至らず。

⭕️鈴木雅之氏が高校、中学の同級生4人とシャネルズを結成。1980年のレコードデビューまで、各人生業につきながらの音楽活動に入る。
1975年10月
⭕️荒井由実さんの6枚目のシングル『あの日に帰りたい』が、TBSテレビドラマ『家庭の秘密』の主題歌に起用され、オリコン最高位1位の歌謡大ヒット。1976年にかけての空前のユーミンブーム到来。
B面の『少しだけ片思い』は、6月発表のアルバム『COBALT HOUR』収録曲。
1975年12月
⭕️元キャロルの矢沢永吉氏、12月11日の北海道苫小牧を皮切りに12月28日の秋田までの13ヶ所、ソロ第二弾ツアー『AROUND JAPAN PART-2』。
最終公演は年明け1976年1月8日、中野サンプラザ。この模様は再び佐藤輝氏が撮影編集し、後に荒井由実さんとの浜辺の対談つきで『怒りの青春 ロックンローラー矢沢永吉』としてテレビ放映。
⭕️ダウン・タウン・ブギウギ・バンド、日本レコード大賞『企画賞』受賞(グループの出演なし)。
⭕️ダウン・タウン・ブギウギ・バンド、NHK紅白歌合戦出演。サングラスにリーゼント、白のつなぎに鉢巻姿で『港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ』を演奏。

⭕️ダウン・タウン・ブギウギ・バンド、晴海貿易センターで開催された第3回ニューイヤーロックフェスティバルに初出演。
大晦日の紅白とニューイヤーロックフェスの掛け持ち出演は、ジュリー=沢田研二氏に先駆けダウン・タウン・ブギウギ・バンドが初。
近田春夫氏のハルヲフォンも初出演。元キャロルのジョニー大倉氏、内海利勝氏が3年連続出演(前2回はキャロルでの出演)。
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1975年末時の各人年齢
・キャロル
矢沢永吉氏 25歳 ユウ岡崎氏 24歳 ジョニー大倉氏 23歳 内海利勝氏 22歳
宇崎竜童氏 29歳 新井武士氏 24歳 相原誠氏 24歳 和田静男氏 23歳
・クールス
舘ひろし氏 25歳 岩城滉一氏 24歳 佐藤秀光氏 24歳 村山一海氏 24歳
ジェームス藤木氏 24歳 水口晴幸氏 23歳 大久保喜市氏&濱野和男氏 不祥