ザ・モンキーズの「デイ・ドリーム」は、1967年10月に発表されたシングルナンバー。
で、ザ・モンキーズのヒット曲の多くはメンバーの作詞作曲ではなく、こちら「デイ・ドリーム」も日本でも人気のあったモダンフォーク、キングストン・トリオのジョン・スチュワートの作詞作曲です。
勿論、ザ・モンキーズのメンバーも作詞作曲はやってますが、コアなファンは別にして、当時の普通の音楽好きにも知られた有名な曲は、マイク・ネスミス作詞作曲の「メリー・メリー」ぐらいでしょうか?
一般的によく知られているヒット曲「モンキーズのテーマ」「自由になりたい」「恋の終列車」「素敵なバレリ」は、ファンには釈迦に説法のトミー・ボイス&ボビー・ハートの名コンビによる作詞作曲。
もう1曲、グループの代表的な大ヒットナンバー「アイム・ア・ビリーバー」はニール・ダイアモンドの作詞作曲で、他にもキャロル・キング、ニール・セダカ等、錚々たるメンバーが作詞作曲をしていました。
これは当初、音楽監督だったアメリカンポップスの巨匠!ドン・カーシュナーの力が大きいわけですが、メンバーのマイク・ネスミスは、このヒット曲連発なれど巨匠のやり方に反旗を翻したわけです。
まぁ〜、ザ・モンキーズは演奏できないという定説が当時は深く広まってましたが、そういうわけでマイク・ネスミスの反旗は認められ、実はザ・モンキーズは沢山の曲で演奏しレコーディングもしています。
コアなザ・モンキーズファンは、そんな彼らが演奏した楽曲をガレージパンク的に楽しんでますので、当時のマヌケなガセ情報だけ信じ年くってる人は、人生で損してます(大袈裟かな。笑)。
また、元々子役でミュージシャンではなかったデイビー・ジョーンズとミッキー・ドレンツなくして、テレビ「ザ・モンキーズ」は成り立たなかったわけで、何より特に!デイビーの声はとても良い!
主にヒット曲はデイビーとミッキーが歌ってるわけですが、公平に聴いてシンガーとして魅力的な声をしてると、今も昔も私は思ってます。
勿論、シングルヒットした曲は、ほぼスタジオミュージシャンによる録音ですが、これザ・モンキーズに限らず、当時のアメリカのグループではよくあった、アメリカの商業ビジネスの常套手段。
今になって思うと、ザ・モンキーズだけ揶揄中傷されていたのは理不尽だったと思いますね〜。実際自分たちはイギリスのザ・ビートルズの「猿真似」とばかりに、ザ・モンキーズと名乗っていたんですから。
で、「デイ・ドリーム」はザ・モンキーズ人気絶頂の1967年6月14日、8月9日、9月5日の3回のセッションで行なわれ、12月2日から4週連続ビルボード全米チャート1位の大ヒットになりました。
レコーディングにはザ・モンキーズのメンバー全員参加しており、ピーター・トークがピアノ、マイク・ネスミスがギター、ミッキー・ドレンツはバッキング・ボーカル。
ただし、あとの演奏は例によって全て総勢10数人のスタジオミュージシャンです。
が、しかし、ザ・モンキーズのビルボードNo.1シングルは「デイ・ドリーム」が最後で、1968年の「素敵なバレリ」の3位を最後にヒットチャートから遠ざかってしまいました。
まぁ〜日本でテレビ「ザ・モンキーズ」が放映されるのはアメリカに遅れる事約1年後だったので、本国アメリカでは放映終了後も、日本ではテレビ放映していた事もあり、1968年はザ・モンキーズは大人気。
10月のザ・モンキーズ来日は、当時はザ・ビートルズに続く大物外人バンドとして、それはそれは話題沸騰でしたが、ピーター・トークがこの後グループを脱退してしまい、グループは解散に突っ走ります。
結局、時代はニューロック、ヒッピー・フラワームーブメントになり(アメリカでは)、ザ・モンキーズは『作られたインチキバンド。所詮はアイドルグループ』とこき下ろされる対象になってしまいました。
そんなこんなでザ・モンキーズは、マイク・ネスミスもの脱退を経由し1970年に解散しますが、少なくとも日本では全く話題にすらならなかったですね。
で、ザ・モンキーズが人々の話題に上る事もなくなった1980年、コダックが「デイ・ドリーム」をCMで使用すると、再び「デイ・ドリーム」とザ・モンキーズは注目、再評価されるようになりました。