「小さな恋のメロディ」、公開当時12才の子供だったトレイシー・ハイドに、何故?日本人はあれほど熱狂したのだろうか?

 


その後も、繰り返し各地の名画座で上映され続けた映画「小さな恋のメロディ」。

こちらも日本でのみ大ヒットした、サウンドトラック「メロディ・フェア」。

B面収録の「若葉の頃」と共に、映画の為に新しく作られた曲ではなく、1969年に発売されたビージーズのアルバム「オデッサ」に収録されていた曲を映画で使ったのでした。

が、幸いな事に(?)アルバム「オデッサ」は、日本であまり売れなかったので、2曲共とても新鮮な「新曲」に、日本人には聴こえたんですね〜。

まあ、この映画と曲の日本のみの異例の大ヒットの要因は、多分に「旭化成」のTVCMで使われた影響が大きく、、、

映画「卒業」とサイモンとガーファンクルの「サウンド・オブ・サイレンス」が、日本で1970年代初頭リバイバルヒットしたのも、お菓子会社(確か?不二家だったと記憶してますが、間違ってたら申し訳ない)のTVCMの影響だったのと、同じ現象だったと言えます。

今でも地上波テレビの影響力は、ネットの時代だなんだ言われますが、やはり圧倒的に強いです。

が、、、

当時のテレビの影響力たるや、今の比ではなかったです。

又、どちらの代理店が製作したのか、K-UNITバンマスにはわかりませんが、子供心、若者心をくすぐる、とてもよく出来たCMだった記憶が共にあります。

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ちなみに70年代当時、松下電器とヤクルトが電通と手を組んで、スティーヴ・マックイーンの映画「栄光のルマン」のスチールや映像を、自社のCMに無断で使ったとして、マックイーンに訴訟を起こされました。

なので、おそらく多分、、、

小さな恋のメロディ」と「卒業」の映画映像を使ったCMも、無断で使ってたんじゃないでしょうかしらね?。

ザ・ビートルズの映画「レット・イット・ビー」も、東芝のCMで使われてましたし。

当時は今と違い、企業側も広告代理店もテレビ局も、又、みる側のお茶の間も、そういう著作権、版権て意識、薄かったんじゃないでしょうか?、、、。

だから、あまりこのへん「懐かしもの」で、おおっぴらにマスメディアは語らない。

企業や広告代理店、テレビ局にはこれ、汚点の歴史だからなんだとボクは思ってます。

で、話しを戻して、、、

映画とサウンドトラック同様、「小さな恋のメロディ」主演で、公開当時は12才だったヒロインのトレイシー・ハイドが日本で大人気。

その人気たるや、当時洋画専門の映画雑誌の人気投票で、常勝オードリー・ヘップバーンとトップ争いを、これ1作だけで何年も繰り広げるほどの凄さ!!

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男のコのマーク・レスタージャック・ワイルドも、突発的には人気者になりました。

又、旧作の二人が出てた「オリバー!」、マーク・レスターがでてた「小さな目撃者」等、日本で再上映もされました。

が、まあ、このへんは移り気な女性気質でしょう。

トレイシー・ハイドと違って、お二人のその人気は、長くは続かなかったように記憶しております。

トレイシー・ハイドだけが!!

か〜なり長い間、抜群の人気を誇ってました。

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唯、ファンの方には申し訳ないですが、スティーヴ・マックイーンクリント・イーストウッドアラン・ドロンファン、、、

その手のアクション映画ファンで、女性も年上のセクシー女優好きだったK-UNITバンマス、、、

同世代には、話題沸騰!人気抜群だった「小さな恋のメロディ」もトレイシー・ハイドも、子供過ぎて(ボクも子供でしたが)何も感じなかったんですよね。

繰り返しますがファンの方、ご免なさい。

ビージーズの一連の楽曲は大好きだったんですけど、、、。

まあ、日本独自のヒット曲とかヒット映画って、それなりに多々ありますが、トレイシー・ハイドほどの究極の一発屋は、今の今迄他にいないでしょうね〜。

それほど1970年代当時のトレイシー・ハイドは、「小さな恋のメロディ」一作だけで!、何年も何年も日本では、抜群の人気者でしたから〜。

で、人生色々と言えば、マーク・レスタートレイシー・ハイドより年上だった事もあり、マーク・レスターより当時の女のコ達に人気が高かったジャック・ワイルドは、ガンのため2006年に他界されてます。

享年53才。合掌。

 

映画「オリエント殺人事件」に、ローレン・バコールとイングリッド・バーグマンの大御所が出演してたのは凄かったな〜♪

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1970年代後半から80年代初頭にかけ、アガサ・クリスティ作、名探偵ポワロもののオールスター映画が次々と製作、ヒットしましたが、少し時は空いて1988年、久々に製作されたのが「死海殺人事件」。

60代のローレン・バコールが、重要な役どころで出演してます。

が、この方は日本公開1975年のアガサ・クリスティ映画「オリエント急行殺人事件」にも出演しており、ともに、声のでかい「鬱陶しいおばちゃん」役。

なので「オリエント急行殺人事件」の頃は、蒼き少年Aだったボクは、随分怖い顔した、おっかねーおばちゃんだなーと思ったものでした。

ローレン・バコールの履歴を、後から知って驚いた!!

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が、、、

あとで調べたらローレン・バコールは、あのハンフリー・ボガードの奥様。

で、若きマリリン・モンローと「百万長者と結婚する方法」にも出演してたり、古のセクシー美人女優だったので、ちょいとびっくりした覚えがあります。

思えば、当時のオールスター映画でもあった「オリエント急行殺人事件」のオープニング、主役のポワロを演じたアルバート・フィニーは別にして、その次にローレン・バコールは名前が出てるには、やはり彼女に対する敬意なのでしょうかしらね?

だって、乗客全員容疑者のこの物語、しかもオールスター、名探偵ポワロ以外、誰が主役ってな物語ではなかったですからねー。

で、オリエント急行殺人事件」には、ローレン・バコールのご主人のハンフリー・ボガードの、あの!有名な「カサブランカ」の相手役&ヒロインのイングリッド・バーグマンも出演しております。

だから、大人になってからレンタルで「オリエント急行殺人事件」を観直した時は、リアルタイム観た時より古の映画知識も少しボクは増えていたので、そのオールスターぶりに、感慨深いものがありましたねー。

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しかし、「オリエント急行殺人事件」のイングリッド・バーグマン↓、、、

正直、グレース・ケリーイングリッド・バーグマンが混同してた少年だったボクは、「言われなきゃわからない」、かなり地味〜な、おばちゃん役でしたが、、、

見事!アカデミー女優賞を受賞。

で、、、

ローレン・バコールの作品は、同じアガサ・クリスティ作品の映画化「死海殺人事件」での、こちらも重要な役どころ!に続いて、1990年の「ミザリー」で、ジェームス・カーン演じる作家の出版元の「お偉方」、彼女60代半ばの頃の作品が最後でした↓。

が、、、

自分ももうすぐ当時のローレン・バコールの年齢になりますので(笑)、とても綺麗に品良く、しかもやっぱり「怖そうな女」のまんま、60代という年齢になった彼女に、今は思うところが沢山ありますね。 

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「オリエント急行殺人事件」の原作が書かれた1934年は、ドイツでヒトラーが総統になった年!満州で溥儀が皇帝についた年!

 

オリエント急行殺人事件」は一度、日本公開1975年、当時のオールスターキャスト で映画化されており、2017年ものは2度目の映画化。

で、アガサ・クリスティのこちらの原作は1934年に発表されており、この物語の元になったと思われる、リンドバーグ愛児誘拐事件がアメリカで起きたのが、1932年。

ドイツでアドルフ・ヒトラー政権が誕生するのが1933年、そして1934年には総統に就任。

これから1945年のドイツ敗戦まで12年間の、ヒトラーナチス の時代が始まった年に、この「オリエンタル急行殺人事件」は書かれています。

更に2017年版では会話で名前が出てきますが、ソ連ヨシフ・スターリンが政権の中枢になり、政敵の粛清をがんがん始めだすのも、この時期です。

そしてなんと!「アンタッチャブル」でお馴染み、アメリカで禁酒法があったのもこの前年の1933年。

アル・カポネが脱税で逮捕されたのが1931年。

1934年、我が日本はどんな時代だったかと言えば、満洲が帝国になり溥儀が皇帝についた年です。

ベーブ・ルースルー・ゲーリックアメリカ大リーグ選抜チームが日本に遠征、全日本(後の読売巨人軍)と対戦したのも1934年。


こうして時代背景を考えて、こちら「オリエント急行殺人事件」みると、ちょいと面白いです。

まず、大前提としてアメリカはまだ世界の覇者ではありません。 

当時の世界の覇者はイギリスであり、アメリカは成り上がり国家で、欧州人から見たら禁酒法なんてバカげた法律作ってた、金はあるけどマヌケな国、、、。

だから!殺害される実業家もどきは、アメリカ人の悪者なのは、なんとなく納得(笑)。

この物語の、トルコのイスタンブールからフランスのカレーまでを突っ走るオリエント急行の乗客は、他にベルギー人の私立探偵のポアロの他、ロシア革命後フランスに帰化した亡命ロシア人公爵夫人、彼女に使えるドイツ人女中。

ハンガリーの伯爵で外交官夫妻、 スウェーデン人、イギリス人、ギリシャ人、フランス人、そして他にもアメリカ人と、人種のるつぼです。

日本公開1975年版では、かなり国籍について辛辣な台詞がありましたが、2017年版は「人種的偏見」という字幕だけで、ちょっとここは弱かったような気がします。

てなわけで、、、

そんな世界の時代背景を思いながら観ると、「オリエント急行殺人事件」面白いかもねー♪

 

ジョン・F・ケネディにマリリン・モンローほか、ハリウッド女優を紹介したポン引きは、ピーター・ローフォードだろうな〜

今やピーター・ローフォードと言っても、誰も知らないですが、、、

ピーター・ローフォードは、古のハリウッドスターであり、有名なフランク・シナトラの子分、そしてジョン・F・ケネディの妹、パトリシアの元旦那。

2013年から2017年の1月まで、アメリカ駐日大使だった、ジョン・F・ケネディの娘、キャロライン・ケネディの、かつては義理の叔父。

そして第一次世界大戦の、戦争の英雄、英国貴族将軍の息子。

今風に言えば、ピーター・ローフォードは、正真正銘のセレブ!!

そんなピーター・ローフォードを全く!知らない若い方、中高年でも、、、

2000年代になってリメイクされた映画、有名なジョージ・クルーニーブラッド・ピットが出演してる「オーシャンズ11」「オーシャンズ12」「オーシャンズ13」の大元、、、

オーシャンと十一人の仲間」の一人と言えば、なんとなーくわかると思います。

いや、一人というか、、、

親分のフランク・シナトラ、兄貴分のディーン・マーチン、そしてサミー・デイヴィスJrに次ぐ、シナトラ一家の、ピーター・ローフォードは大幹部でした。

フランク・シナトラは「ゴッドファーザー」の、ジョニーのモデル!

で、イタリア系アメリカ人のフランク・シナトラが、映画「ゴッドファーザー」の、マーロン・ブランド演じるヴィト・コルレオーネが可愛がってた歌手、ジョニーのモデルなのは、ちょいとした映画ファン、マフィアファンなら、承知のすけの話し。

ジョン・F・ケネディ、その弟のロバートと、関係があったと伝わるマリリン・モンローを、二人に紹介したであろう人は、フランク・シナトラと言われてます。

でも、最初のポン引きは、ピーター・ローフォードでしょう。

なんたってピーター・ローフォードは、ジョン・F・ケネディの妹の亭主。

大統領の義理の弟でしたから、ホワイトハウスは顔パスだったでしょうから。

当然、ピーター・ローフォードがホワイトハウス顔パスなら、親分のフランク・シナトラも顔パス。

シナトラは、前出の通り、マフィアの親分に可愛がられてた歌手&俳優。

シナトラがホワイトハウス顔パスなら、紐付きでマフィアがくっついてくるのは、当たり前の話し。

当時のホワイトハウスに、マリリン・モンローはじめハリウッドの美女たち、そしてマフィア勢力が入っていたのは、ちょいとアメリカの近代史に詳しい人なら、誰もが承知の事実。

では何故?この一時代を築いた、ホワイトハウスのポン引き、セレブのピーター・ローフォードが、ハリウッドから消えてしまったのか?、、、

このへん、日本公開2012年のクリント・イーストウッド監督、レオナルド・ディカプリ主演の「J・エドガー」を観た方なら、わかりますねー。

ザコンでホモのフーバーFBI長官 VS ケネディ助平兄弟

ディカプリオ演じた、生涯独身でマザコンのホモだったと伝わる、ジョン・エドガー・フーバーFBI長官は、歴代大統領の電話を、必ず盗聴。

大統領の弱みを握っては、長きに渡ってFBI長官の座に君臨してた、まぁ〜クソ野郎です。

だから、歴代のホワイトハウス関係者に、フーバーが評判が良いわけがない。

なので、ジョン・F・ケネディは、フーバーを免職させようとしたわけですが、、、

きっちり!マリリン・モンローやマフィアとの関係を、既にフーバーにケネディは握られていて、何もできず。

とはいえ、流石に一国の大統領になったジョン・F・ケネディ、特に弟の司法長官のロバート・ケネディが、フーバーに脅され続けるのは、うまくないと思ったのでしょう。

ホワイトハウスから、マフィア色を払拭しようとしたわけで、、、

激怒したのが、フランク・シナトラ

マフィアは勿論、ハリウッドスター達も応援させ、ジョン・F・ケネディを大統領にしたのに、しかもマリリン・モンローまで抱かせてやったのに(他にも何人かのハリウッド女優を、紹介してたそう)、、、

シナトラにとっては、恩を仇で返された気分になり、ケネディ家とはシナトラからも疎遠になる。

で、ケネディの義理の弟で、大統領になったケネディのスポークスマンまでやってたピーター・ローフォードは、ホワイトハウスがそうなることを止められなかった責任をとらされ、シナトラ一家から追放。

更に、ジョン・F・ケネディが暗殺された頃には、ピーター・ローフォードは、パトリシアとも別居状態になる程、夫婦仲は冷めてしまい、後に離婚。

親分のシナトラに見放され、ケネディ家の娘とも離婚したピーター・ローフォードに、後ろ盾はなくなり、、、

1969年、カトリーヌ・ドヌーブジャック・レモンのフランス映画「幸せはパリで」に、ピーター・ローフォードも出演してましたが、なんとなーく、そのうち消えていった感は、ありましたねー。

晩年のローフォードとシナトラに思う、男の器量の差



で、思うに、、、

やっぱりピーター・ローフォードって、よっぽど嫌な奴だったか、バカだったか、大根役者だったんでしょうねー。

シナトラ一家を追放になり、ケネディ家とも関係なくなったピーター・ローフォードに、誰も救いの手を差し伸べなかったんですから。

映画関係者や政財界の「ざまあみろ!」感を、感じずにはおれませんですね。

結局、ピーター・ローフォードを、少なくとも今の日本人は、殆ど誰も知らなくなっちゃってるほど、これ!って、映画史に残る代表作、ピーター・ローフォードはないんですよね〜。

オーシャンと十一人の仲間」も、所詮はシナトラの子分だし、「若草物語」や「栄光への脱出」「史上最大の作戦」と、映画史に残る映画にも、シナトラ一家時代は出てますが、主役じゃない。

そして、その映画のピーター・ローフォードの演技が、後世で語り継がれることもないし。

で、お決まりの酒と麻薬、、、

例えばマフィアにも、元シナトラ一家ですから、 ピーター・ローフォードは、親分クラスの知り合いが多々いたことでしょう。

一人ぐらい「あいつにヤクを売るな」「ヤクをやめさせろ」と、言わなかったんですかねー。

だから、マフィア人脈でも、人望、人徳のなさを、 ピーター・ローフォードは感じますねー。

パトリシアと離婚後、ピーター・ローフォードは3回結婚してますが2回離婚。

最後の奥様と4度目の結婚をした翌年、1984年、ピーター・ローフォードは心臓麻痺で他界。

享年61歳。 

ちなみにその翌年、1985年に、フランク・シナトラは、以前カリフォルニア州知事選挙と大統領選の支援活動を行ったことのある、ロナルド・レーガン大統領より、大統領自由勲章を授与されてます。


 

ジェーン・アッシャーとリンダ・マッカートニー。ザ・ビートルズとウイングスソングに与えた影響は凄いと思うな〜♪

ザ・ビートルズの楽曲にも多大な影響を与えたと伝わる、ポール・マッカートニーのフィアンセだったジェーン・アッシャー

女優でもあった17歳のジェーン・アッシャーと、ザ・ビートルズ時代のポール・マッカートニーとの出会いは 1963年。ポールは二十歳か21歳になったばかりでした。

ジェーン・アッシャーは、医者のパパと音楽演劇学校教授のママの裕福な上流階級の家庭で生まれ育っており、 労働者階級のポールは、かなりこの自分の彼女は自慢だったとか。

既にイギリスで人気に火がついたザ・ビートルズなので、二人はデートも難しいので、ポールは裕福なジェーン・アッシャーの邸宅、6階建てのタウンハウスの屋根裏部屋に住みついいます。

ある種、ジェーン・アッシャーの両親にとってポールは「マイ・フェア・レディ」のイライザのような存在で、ポールもこの上流階級の暮らしにご満悦だったようですから。

まぁ〜ジョン・レノンがレコードデビュー前から結婚していたし、当時のザ・ビートルズはアイドルでもあったので、ポールがジェーン・アッシャーと交際(同居)している事は、当時は伏せられていました。

結局、ポールがジェーン・アッシャーと婚約を発表したのは、出会って3年以上経った1967年12月。
 
ザ・ビートルズがもうライブツアーはやらない、これからはレコード作り中心の活動をやると、まぁ〜ある種の「脱アイドル」宣言をした後の事でしたが、そこは!ポールですから(笑)、、、

浮気の真っ最中をジェーン・アッシャーに見つかり、婚約破棄されます。

やはり育ちが良いのでしょう、ジェーン・アッシャーは今の今まで、ザ・ビートルズ現役時代のポール・マッカートニーに多大な影響を与えたフィアンセだったのに、自分の口からポールのこともザ・ビートルズの事も一言も発しません。

一冊の本にしたら世界中でバカ売れして大金が入るでしょうが、元々ジェーン・アッシャーはお金持ちなので、そういう下卑た考えは全くないのでしょう。素敵だな〜。

なんたって!ジェーン・アッシャーは、天下の!ザ・ビートルズ現役時代にポールが愛した女、一緒に暮らしてた女。ポールが彼女に感化されて書いた曲が多いのは、ファンの方には釈迦に説法ですから〜。

で、リンダ・ルイーズ・イーストマンは、ロックミュージシャン専門のカメラマンとして活躍していたので、ジェーン・アッシャーと婚約中に二人は知り合ってます。

そしてジェーン・アッシャーとの婚約解消後、すぐにポール・マッカートニーとリンダは交際を開始。

リンダのパパも弁護士で、彼女も幼少時代は裕福な生活を送っていた「お嬢」でしたが、大学在学中に最初の結婚をし子供も一人授かりましたが、その後に離婚しているバツイチ子持ちでした。

しかもポールより1歳年上のそんなリンダとポールの結婚は(1969年)、ジョン・レノンが同じく年上でバツ1の子持ちの小野洋子さんと再婚したの同様、かなり当時は世間からバッシングを受けました。

まぁ〜、ジョンが小野洋子さんとプラスティック・オノ・バンドを始めたことに触発されてだと思いますが、 ポールもリンダを音楽仲間としますが、音楽素人のお二人への世間のバッシングも激しいものだったと記憶しております。

それでもポールは一貫して!レコーディングでもライブでも、リンダ・マッカートニーを起用し続けました(コーラス、タンバリン、キーボード)。


ウイングスのリアルタイムの頃、私もリンダの存在が音楽的に意義があるのか?と思ってた一人でしたが、今聴き直すとリンダの声が懐かしいですし、他界した事もありますがせつないですね〜。

何たって名曲!「マイ・ラヴ」は、ポールがリンダに向けたラブソングですから。

そんなリンダはポールとの間にも1男2女を授かり、リンダの連れ子含め、ポール・マッカートニー一家は、とても幸せに暮らしているように他人様からは見えたものでした。

でも、リンダは1995年に乳癌であることが発覚。

リンダはベジタリアン料理研究家としても有名で、冷凍食品の開発・監修もしていたので、そんなに健康に気を使っていても癌かよ〜と、私は思ったものでした。

リンダの手術は成功し、一旦は快方に向かっていると思われましたが1997年に再発。1998年4月17日に死去。

私は特別にリンダファンでもなんでもなかったのですが、やはり悲しかったですね〜。

 

私的好きなレコード・CDジャケット 15選

 

ユーミンの「やさしさに包まれたなら」の、吉川忠英氏のアコースティックギターは、いつ聴いても美しいな〜♪

 

1989年のアニメ映画「魔女の宅急便」のエンディングテーマに使用されたので、リアルタイム1974年を知らない世代でも、かなり知られてる、ユーミンナンバーの「やさしさに包まれたなら」。

イントロの印象的なギターは、名手!吉川忠英氏。 

アメリカに渡って音楽活動し、日本に帰ってきた後の吉川忠英氏の仕事ですが、この当時の3フィンガー系のアコースティックギター、かなり吉川忠英氏が弾かれてる。

当時、アコースティックギターといえば石川鷹彦氏か吉川忠英氏かってぐらい、知る人ぞ知る売れっ子名手でした。

ドラムは林立夫氏、ベースは細野晴臣氏、エレキギター鈴木茂氏、キーボードは松任谷正隆氏のキャラメル・ママからティン・パン・アレーにグループ名がかわった頃のメンバー。

この曲には参加してないけど、このアルバムにはシュガーベイブ時代の山下達郎氏が参加しております。

達郎氏のシュガーベイブはリアルタイム当時、郡山で行われたワンステップロックフェスッティバルに、クリエイションや四人囃子サディスティック・ミカ・バンド、キャロル、ジュリー=沢田研二氏、小野洋子さん等と共に出演しておりました。

が、、、

残念ながら、全く一般的には知られた人ではなかったので、達郎氏を選んだユーミンとプロデュースの村井邦彦氏のセンスは、ずば抜けていたと思われますね。

というか、リアルタイムはこのアルバム、殆ど売れてなかったし、キャラメル・ママティン・パン・アレーのメンバーも一般的にはそれほど知られてなかったです。

ユーミン=当時は荒井由実さんが、一般的に知られるようになるのは翌1975年。

TVドラマの主題歌に使われた「あの日にかえりたい」と、ユーミンが楽曲を提供したバンバンの「いちご白書をもう一度」が爆発的に売れてから。

で、1975年はいきなり時代がかわったと言っても過言ではなく、翌1976年のオリコン年間アルバムチャートトップ20には、ユーミンの旧作含むアルバムが3枚もランクイン。

やさしさに包まれたなら」は、その頃だされた、アルバム未収録だった大ヒットナンバー「あの日にかえりたい」含むユーミン初のベストアルバム「ユーミンブランド」がバカ売れした結果、一般的に知られた曲です。

このへん、イーグルスが「呪われた夜」のヒット後だしたベストアルバムで、それ迄のイーグルスの名曲を、多くの日本の洋楽ファンが知ったのと、よく似てますね。

前年までは吉田拓郎氏、井上陽水氏、かぐや姫等が上位を占めていた「フォーク一人勝ち」の時代が終焉。

所謂「フォークからニューミュージック」的に言われだした、そのきっかけがユーミンの大ブレイクだったわけです。

で、ユーミンのアルバムでも活躍してた鈴木茂氏がアメリカに渡り、あちらのミュージッシャン達と競演したソロアルバムを発表。翌1976年にはシュガーベイブを解散した山下達郎氏も、アメリカに渡りソロアルバムを発表。

まあ、商業的にはどちらも大成功と言えるものではなかったわけですが(今や初老予備軍&初老の当時の一般的な若者達は、まだそこまで音楽のセンスが成熟してなかったから)、、、。

同じく1976年、フェリックス・パッパラルディとのアメリカツアーとレコーディングを終えた、若き竹田和夫御大のクリエションの日本武道館での凱旋帰国ライブ。

1975年のキャロル解散、ソロになった矢沢永吉氏の1976年の日比谷野音での「帰ってきたぞー!」のソロライブ前後からの快進撃しかり。

世の中の流れがちょっとかわってきたのが、1975~76年だったと、K-UNITバンマスは記憶しております。

1980年頃大ブレイクした高中正義氏が、サディスティック・ミカ・バンドサディスティックスからソロになり、インストアルバムを発表するのも(こちらも当時はそれほど売れなかった)この頃で、所謂フュージョンブームの起源はこの頃だったとも言えるでしょう(当時、クロスオーバーという言葉はあったと思うけど)。

というわけで、時代の変革のとっかかり、特に当時の女の子の意識、センスを変えたのは、ユーミンの影響だったと、ボクは思ってます。