サンタナのセカンドアルバム!「天の守護神」は、いつ聴いても素晴らしいと思う🎵

サンタナが1970年に発表したセカンドアルバム、初の全米アルバムチャート1位に輝いた名アルバム!「天の守護神」。

私の生涯ベストアルバム10枚に、絶対!入るアルバムですね〜。

何がかっこいいってA1のインスト「風は歌い、野獣は叫ぶ」が、とにかく怪しいサウンド(笑)。

当時、とてもポップアルバムとは思えない不思議な雰囲気を醸し出してる曲で、この曲をA1に持ってきた事が、このアルバムは商業的に勝利したと思いますね〜♪

「風は歌い、野獣は叫ぶ」が怪しくフェイドアウトしてる中、被ってくるのが「ブラック・マジック・ウーマン」のイントロ。

最初に聴いた時のこのカッコ良さったら、もーう!口では言い表せない衝撃でしたね〜♪

そして、別の日に録音したそうな「ジプシー・クィーン」に編集で繋がるこの流れ!繋げたエンジニアも演者も凄いなー、そのままその時一発録音した風に聴こえるこの気持ち良いグルーヴ♪

チョー!かっこいい!

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更にもっと!チョー!かっこいいのが、官能のカルロス ・サンタナのフィードバックギターが途切れた瞬間!間髪入れず入る「僕のリズムを聴いとくれ」=オエコモバ!


正直、当時流行りの「トータルアルバム」とか言われても、退屈なアルバムも私的にはあるのですが、ここまで!サンタナの「天の守護神」は、全く飽きない。

いつ聴いても飽きない。いつ聴いても気持ち良くて凄い!プロデューサーのカルロス・サンタナ、フレッド・カテロ、本当に凄いなーと思ってしまう。

そしてA面ラストは、再びインストの「ネシャブールのできごと」。

クロスオーバーとかフュージョンなんて言葉のなかった、あの時代!ジャズでもなさそうだし、さりとてハードロックでもないしポップスでもない。(なんじゃこりゃ?!)の衝撃でした。

A面最後にはうってつけの終わり方で、ほ〜っと溜息をつきB面にレコードを初めてひっくり返した時の、あの嬉しさとB面への期待!

そりゃー半端じゃなかったなー。

 


B.1は再びリズムの洪水のインスト!「全ては終わりぬ」、、、

こりゃー気持ち良い、すげーアルバムだなー♪としみじみ思いましたし、ガキはガキなりに(時代は変わる)と痛感しましたねー。

そしてアルバム中、最もポップなロックを感じさせる「マザーズ・ドーター」の、カルロス ・サンタナの熱いソロがフェイドアウトで終わると、ここはB面のハイライト!

でたーっ!不朽の名曲!「君に捧げるサンバ」=サンバ・パティ。

とにかくカルロス ・サンタナのギターの音が、中枢神経にびんびん来るのは、少年だった当時も耄碌爺になった今も同じ!

ギターインストって上手い人がカバーすると、けっこうそれっぽく聴こえたり、オリジナルよりカッコ良く聴こえたりする曲もあります。

が、、、

「君に捧げるサンバ」だけは、このレコーディングのヴァージョンを超えるサウンドを、ボクは聴いた事がないですねー♪




終盤はカルロス・サンタナのワウギターが炸裂してはじまる「ホープ・ユー・アー・フィーリング・ベター」。

当時のニューファンクを、意識したのかしらね?私的にはそう感じる曲です。

そしてアルバムラストは、再びインストでリズムの洪水の短い曲の「エル・ニコヤ」。

いやー、やっぱりいつ聴いても「天の守護神」は、(なんじゃこりゃ?!)の衝撃ですねー!

ギタリスト!カルロス・サンタナも大好きですが、私的には当時のバンド「SANTANA」が好きだな〜。

・カルロス・サンタナ - ギター、ボーカル
・グレッグ・ローリー - キーボード、ボーカル
・デイヴ・ブラウン - ベース
・マイケル・シュリーヴ - ドラムス
・ホセ・チェピート・アリアス - パーカッション
・マイケル・カラベロ - パーカッション 


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横浜高校が今夏甲子園出場すると4季連続で、これは神奈川県初!



 



高校野球、横浜高校(以下、横浜)が2026年夏の選手権も神奈川大会を制すると、春夏甲子園4季連続出場になり、これは神奈川県では初だそうです。

まぁ〜流石!激戦区神奈川県って感じで、春夏連覇の横浜の松坂大輔氏でも、その3年の春夏連続の2季出場。

1年夏から甲子園に出場した、東海大相模の原辰徳氏も、3年春の選抜は出場を逃し3季連続通算4回出場。夏春連覇の法政二、柴田勲氏も1年夏から甲子園出場なれど、2年春の選抜は出場できず3季連続4回出場。

というわけで、神奈川県史上初の!春夏甲子園4季連続出場を目指す横浜は、2026年春季神奈川大会を勝ち上がり、関東大会でも埼玉代表の浦和学院を 13-3 でやぶって見事優勝しています。

その前の2026年春の選抜で、2年連続優勝を目指した横浜は、なんと一回戦で鹿児島の神村学園に 0-2 の完封シャットアウト負けだったので、春季神奈川・関東大会は相当!奮起したのでしょう。



3月20日に選抜一回戦で負けた横浜は、早くも4月12日の春季神奈川県大会3回戦から登場、生田相手に 10-0 と6回コールド勝ち。

この試合、春の選抜で先発、7回2/3を投げ被安打7、失点・自責点2で負け投手になったエース!織田翔希投手ではなく、2年生トリオ!中島海斗投手、福井那留投手、脇山魁音投手で完封リレーをやってます。

ところが!次の4回戦、近年は春夏甲子園から遠ざかってますが、かつての神奈川の強豪校、古豪の鎌倉学園を相手に、横浜はなんと!8回を終わって 1-2 。敗色濃厚のこの試合を9回に逆転し 4-3 の辛勝。

横浜の先発は3年生の林田滉生投手でしたが、1回2被安打1与四球1失点で降板。2回から織田翔希投手が投げ勝ち投手になってますが、8回裏に一度は鎌倉学園に逆転を許し、9回裏も一点差に迫られています。

そして準々決勝は、夏の全国優勝経験ある、こちらも強豪!桐蔭学園相手に織田翔希投手は先発。被安打5、10奪三振で 3-0 と完封シャットアウト。超高校級投手らしい!久々のピッチングでした。

で、準決勝のこちらも甲子園出場経験ある強豪!桐光学園相手に 8-6。連続先発になった織田翔希投手は、8-2の試合を終盤8~9回に4点取られ、追い上げられています。




で、地方大会優勝、準優勝校が関東大会に進めるので、これにて関東大会進出決定なので、決勝の横浜創学館は織田翔希投手が先発でなく、2年生の中島海斗投手でしたが、これが大荒れ!

5人のバッター相手に被安打3、与四死球1で1アウトとっただけで3失点・自責点で降板。関東大会出場が決まっていたとは言え、夏の大会は一発勝負!これがあるから投手起用は難しいですね〜。

2番手の林田滉生投手は鎌倉学園戦で、こちらも1回で降板でしたが、今回は7回1/3を被安打3、奪三振7の
ナイスピッチングで無失点。福井那留投手、池田聖摩投手と継投し、8-3 で逆転優勝しています。


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関東大会の横浜は二回戦からの登場で、東京の国士舘相手に 1-9。この試合も織田翔希投手は登板せず、先発は2年生の小林鉄三郎投手で、4回2/3を投げ被安打1、与四死球3、1失点・自責点とまずまずでした。

そして福井那留投手、池田聖摩投手と継投し、打線も爆発し圧勝しています。

そして準々決勝は群馬の強豪!健大高崎相手。この辺の相手はもう全国レベル、甲子園大会並みなので、ここで先発は超高校級エース!織田翔希投手。

織田翔希投手は7回1/3を投げ、奪三振は7でしたが被安打5、与四死球2の3失点・自責点。逆転を許しての降板でしたが、9回表に横浜が逆転。二番手の池田聖摩投手が無安打無失点で、また 4-3 の辛勝でした。

選抜もそうでしたが、織田翔希投手もメッタ打ちされてるわけではないのですが、何故か?彼が投げると打線が爆発せず、シビれる試合展開になっています。

そして準決勝も全国レベル、山梨県の山梨学院相手に横浜は 4-2 の接戦をものにしますが、投手は2年生の小林鉄三郎投手が先発で、織田翔希投手、池田聖摩投手の継投で逃げきり。



まぁ〜エース一人が投げて投げて投げまくった以前と違い、昨今の高校野球は継投が当たり前になってきたので、織田翔希投手投手一人頼みじゃないのが横浜の強みですが、継投の難しさもありますね〜。

これだけ投げられる投手がいると、誰を使うかも監督の判断次第になりますし、そこは高校生ですからブルペンで快調でも、マウンドに上がると緊張で本調子を出せないこともよくあります(特に甲子園は)。

結局、埼玉の浦和学院との決勝は猛打爆発の 13-3 で横浜は優勝を飾りましたが、この試合も小林鉄三郎投手、同じく2年生の福井那留投手、3年生の林田滉生投手、そしてエースの織田翔希投手の4投手継投。

おそらく、夏の横浜は超高校級と誉の織田翔希投手と、選抜で投げており、来年のエース候補でもある2年生の小林鉄三郎投手の二人を中心に、継投で戦う予定でしょう。

高校野球の投手交代のタイミングは、とても!難しいと思うので、この継投が吉と出るか凶と出るかが、勝負の分かれ目でしょうね〜。



そんな横浜の県内のライバルと言えば、東海大相模なわけですが、新チームになった昨秋の神奈川大会準決勝で横浜に 11-6 で敗れており、春季神奈川大会では3回戦で相洋に 0-2 の完封シャットアウト負け。

結果、夏の大会はノーシードになった東海大相模ですが、言うても全国レベルの選手を集めてる野球名門校です。短期間ですがどう変わったか?注目したいです。

もう一校は慶應。昨秋の神奈川県大会では初戦になった2回戦の武相に 1-3 で敗れますが、一冬越しての春季大会は、準優勝した横浜創学館に敗れるもベスト4。夏はどう戦うでしょうね〜。

そして、今夏のダークホースは鎌倉学園。昨秋の新チーム以来、公式大会は5勝2敗ですが、この2敗が、秋季大会4回戦の東海大相模戦の 1-2。春季大会4回戦の横浜戦の 3-4。二大強豪校相手の惜敗です。

あとは桐光学園、横浜創学館、法政二、武相も注目。今年も激戦区!神奈川は目が離せないですね。

 

ザ・ローリング・ストーンズの「ギミー・シェルター」、メリー・クレイトンの声の素晴らしさ🎵

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レイ・チャールズと、そのバックコーラスをつとめていた『レイレッツ』の面々。向かって左が、ザ・ローリング・ストーンズの「ギミー・シェルター」に参加、歌っていたメリー・クレイトンです。

彼女は1948年12月25日生まれで、1943年生まれのミック・ジャガー、キース・リチャーズの5才年下。1969年のレコーディング時は20才でした。

まぁ〜「ギミー・シェルター」は、メリー・クレイトンの声、あの歌あっての!名曲と言っても過言じゃないでしょうね〜。彼女の声、歌は存在感抜群です!

勿論!メリー・クレイトンはソロアルバムも発表してますが、更に!有名な所では1971年、世界的にバカ売れしたキャロル・キングのアルバム「つづれおり」での、バックコーラス参加でしょうかね〜?


で、ギターを少し弾ける人で「ギミー・シェルター」を弾いたことがある人なら分かる通り、この曲は基本3つのコードを延々繰り返してる楽曲。

それを、聴く側にグルーヴを感じさせ飽きさせない手法が抜群ですよね〜。

まず、キース・リチャーズのエコー系のギターエフェクトの使い方。これが強烈です。そしてニッキー・ホプキンスのピアノ!これもなかったら、グランドファンクのカバーヴァージョンと同じになっちゃう。

チャーリー・ワッツのドラミングも抜群で、彼なき後の元ドラミングのイメージを崩すことなく、スティーヴ・ジョーダンのドラムもカッコいいですね🎵


ちなみに「ギミー・シェルター」収録アルバム「レッド・イット・ブリード」録音開始後、ザ・ローリング・ストーンズを作った男、ブライアン・ジョーンズはスタジオに現れることはなかったとか。

既に1968年発表の前作のアルバム「ベガーズ・バンケット」録音時、バンドの中での存在価値が完全に薄らいでいたブライアン・ジョーンズは、他にも諸々の問題があったため、結果的に解雇されています。

「レッド・イット・ブリード」より、新しいギタリストのミック・テイラーが参加してますが、ギターを弾いてるのは「カントリー・ホンク」と「リヴ・ウィズ・ミー」の2曲。

「ギミー・シェルター」にミック・テイラーは参加しておらず、リズムギターに被せるオブリガードというかリードギターというかなんというかも、キース・リチャーズがダブリングで弾いてます。

 

エリック・クラプトンとティナ・ターナーの「ティアリング・アス・アパート」は、シングルヒットしなかった!





1986年発表のアルバム「オーガスト」収録「ティアリング・アス・アパート」は、エリック・クラプトンとグレッグ・フィリンゲインズの共作で、ティナ・ターナー
がゲスト参加で歌っています。

で、このキーボード&シンセサイザー奏者でもある、アメリカ人の
グレッグ・フィリンゲインズは、前作の1985年発表アルバム「ビハインド・ザ・サン」から、エリック・クラプトンのレコーディングに参加。

彼は1970年代初頭、まずスティービー・ワンダーの楽曲をインストで演奏していた所、ご本人に気に入られ彼のバックバンドに起用され、1976年の有名アルバム「キー・オブ・ライフ」にも参加しています。

以降、精力的にスタジオミュージシャンとして活動し、1979年にはマイケル・ジャクソン発表のアルバム「オフ・ザ・ウォール」のレコーディングに参加。

その後、マイケル・ジャクソンの更にバカ売れしたアルバム「スリラー」「バッド」にも参加していた、売れっ子も売れっ子の超一流ミュージシャンでした。


そんなグレッグ・フィリンゲインズは、「オーガスト」収録の日本のイエロー・マジック・オーケストラの「ビハインド・ザ・マスク」を、既に1984年の自身2枚目のソロアルバム「パルス」に収録。

ビハインド・ザ・マスク」は、マイケル・ジャクソンの「スリラー」収録予定でしたが、作者の坂本龍一氏と諸々の折り合いがつかず収録に至らなかった曲で、それを彼がソロで発表したわけです。

で、当時は賛否両論あった、この2枚のアルバムでのエリック・クラプトンのテクノ、ダンスミュージック寄りサウンドは、当時はプロデュースのフィル・コリンズの影響とよく言われてました。


が、
フィル・コリンズの影響もあったでしょうが、やはり!エリック・クラプトンより11才年下の、このグレッグ・フィリンゲインズの方が影響力があったんじゃないかな〜?と私は思ってます。

グレッグ・フィリンゲインズとの共作「
ティアリング・アス・アパート」しかり、グレッグ・フィリンゲインズの影響で録音し、ライブでも歌い演奏していた「ビハインド・ザ・マスク」しかり。

アル中克服なれど、浮気はし放題だったエリック・クラプトン!



というわけで、エリック・クラプトンが激変したのは「ビハインド・ザ・サン」からで、基本はブルースロック、R&Bなのですが、レコーディングメンバーもツアーメンバーも、ここから大幅に変えてます。

で「
ビハインド・ザ・サン」は、ザ・ビートルズのプロデューサーで有名なジョージ・マーティンによって設立された、カリブ海のイギリス領モントセラト島『AIRスタジオ・モントセラト』で録音。

同じイギリス人の、エリック・クラプトンとフィル・コリンズがプロデュースで、フィル・コリンズはドラム、パーカッション、各種キーボード、コーラスでもレコーディングに参加しています。

そして追加で(おそらくレコード会社の要請)、アメリカはロサンゼルスはハリウッドのスタジオで3曲録音されており、こちらはテッド・テンプルマン、レニー・ワロンカーがプロデュース。

そんなアメリカ録音の1曲が「フォー・エヴァー・マン」で、この曲はアメリカ人のジェリー・リン・ウィリアムズの書いた曲で、レコード会社がヒットを期待した曲(全米ビルボード最高位26位)。

まぁ〜エリック・クラプトンはハンサムですから、どんな撮り方してもカッコいいわけですが、特に「フォー・エヴァー・マン」のPVのコート姿でギターを弾き歌う彼の姿は、抜群にカッコ良かった🎵



ただし、それまでとサウンドを変えたアルバム「
ビハインド・ザ・サン」は、そこは天下の!エリック・クラプトンのアルバムですから、それなりに売れましたが、やはり批判も多かったのは事実。

でも、続く「オーガスト」もプロデュースのエリック・クラプトンとフィル・コリンズは路線を変えずに「ビハインド・ザ・サン」からの新しいサウンドを踏襲。いや、よりテクノ、ダンサブルになったかな?

ただ、こちらのアルバムは全てアメリカ、カリフォルニア州ロサンゼルス録音で、アメリカ側のプロデュースは、クリーム時代からの盟友!頼りになるトム・ダウトに戻っています。

当時、エリック・クラプトンは「ビハインド・ザ・サン」アメリカ録音時の、一流セッションマンたちによる流れ作業的なレコーディングが好きではなかったと、インタビューで述べてましたからね〜。

やはり、アメリカでレコーディングするなら、エリック・クラプトンはトム・ダウトだったのでしょう。



とはいえ、エリック・クラプトンは「
ビハインド・ザ・サン」で一緒に仕事をしたアメリカ人のグレッグ・フィリンゲインズと、ベーシストのネイザン・イーストが気にいったのでしょうね〜。

この後、
グレッグ・フィリンゲインズとネイザン・イーストは、長くエリック・クラプトンとレコーディング、ライヴの仕事をしてます(人としても気に入られたのでしょう)。

更に!「オーガスト」に参加してるサックス奏者はマイケル・ブレッカー、トランペットはランディ・ブレッカー。あの!ブレッカー・ブラザーズのお二人が呼ばれてますから、随分とお金がかかってます。



まぁ〜、エリック・クラプトンも絶対に!言わないと思いますが(笑)、二十歳頃からカリスマギタリスト、ロックスターの座を確たるものとしていた彼も、過去の人扱いされるのは絶対!嫌だったでしょう。

特にこの頃から、エリック・クラプトンは吹っ切れたというか何というか、1970年代はレイドバックなんて『老け作り』してましたが(笑)、実際のところ後半は、はっきり!アル中。

なので、1982年にミネソタ州のアル中更生施設に入った事で、次第にアルコールが体から抜けてきたのが(後に断酒)、ステージの表情の明るさや華麗なスーツ姿、そして音楽に影響がでてると思われます。

ギターも奏法自体は何も変わってないですが、アル中の頃より力強いキレのある音に戻った気がしましたね。

で!アル中は克服しても、相変わらずのモテモテで浮気し放題のエリック・クラプトンは、パティ・ボイドと後に離婚しますが、アルバムタイトル「オーガスト」は浮気相手との子の誕生月からつけてます。

まだ、子供を授かれなかったパティ・ボイドと離婚してないのに、全く無神経というか大馬鹿野郎というか何というか(エリック・クラプトンの私は大ファンです。悪しからず。笑)。

更に!エリック・クラプトンは、アルバム「
ビハインド・ザ・サン」録音中、カリブ海のレコーディングスタジオのマネージャーであったイヴォンヌ・ケリーと浮気し、隠し子を作ってます(後に公表)。

でも、この「オーガスト」は、その子の事ではなく、
別の浮気相手のイタリア人モデル、ロリー・デル・サントとの子。1991年にマンハッタンの53階のビルから転落死した、あのコナー君でした。

「ティアリング・アス・アパート」と「イージー・ラヴァー」

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で、
「ティアリング・アス・アパート」。

ちょいとロックギター、ファンクギターをかじった人ならわかると思いますが、エリック・クラプトンは決して!ファンキーなリズムギター、16ビートのカッティングは得意ではない。

そんなエリック・クラプトンにファンキーなダンサブルな曲を作らせよう、やらせようとすると、こんな感じのロックっぽい曲になるって感じかな〜?(笑)。

多分エリック・クラプトンは、日本のチャー=竹中尚人氏や山下達郎氏のように、あの!ファンキーなカッティングをギターで刻みながら歌うことはできないでしょう。

でも、ベースは「ビハインド・ザ・サン」から10才年上のエリック・クラプトンと関わる事になる、R&B、ジャズ、フュージョン系のアメリカ黒人のネイザン・イースト。

彼はフィル・コリンズとアース・ウインド&ファイアーのフィリップ・ベイリー歌う、1984年の大ヒット曲「イージー・ラヴァー」の曲作りにも、お二人と共に関わっていた、なかなかの時代の寵児でした。



そしてドラムがエリック・クラプトンと同じイギリス人のフィル・コリンズで、彼は「イージー・ラヴァー」で歌だけでなくドラムも叩いており、ベースも勿論、ネイザン・イーストです。

なので「イージー・ラヴァー」と「ティアリング・アス・アパート」はリズム隊は同じで、キーボードのグレッグ・フィリンゲインズは、マイケル・ジャクソンの一連のヒットアルバムで演奏していた豪華版。

しかもエリック・クラプトンとティナ・ターナーの共演というのは、フィル・コリンズと
フィリップ・ベイリーの共演より話題性はありましたから。

当然、当事者たちは「
イージー・ラヴァー」やマイケル・ジャクソンばりの大ヒットを想定し、曲を作りアレンジして演奏し歌っていた事でしょう。


ちなみにイギリス人のエリック・クラプトンとアメリカ人のティナ・ターナーは、日本公開1976年のイギリス製ロックミュージカル「トミー」で共演しているので、ここで知り合ったと思われます。

ティナ・ターナーは1985年に、「マッドマックス/サンダードーム」にも女優として出演していたこともあり、当時のエリック・クラプトンとの共演は、それはそれは話題でした。

が、しかし
「ティアリング・アス・アパート」はディスコヒットもせず、全米ビルボード含むチャート上でのシングルヒット曲にもならなかったですね。正直、踊りづらいし(笑)。

でも、エリック・クラプトンは
グレッグ・フィリンゲインズと共に作った「ティアリング・アス・アパート」は、かなりお気に入り曲だったよう。

ティナ・ターナーと歌った「プリンス・トラスト」や、自身のバンドのバックコーラスのケイティ・キッスーンとの、15万人集まったロンドン・ハイドパークでのライブ映像等が残ってますからね〜。

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ヤクルトは1982~1988年のドラフト会議で1位指名重複抽選6勝! 凄いくじ運の強さだった!





1982年のドラフト会議は、高校生では夏の選手権優勝投手、池田の畠山準氏と、甲子園5季連続出場!人気者・アイドル、早実の荒木大輔氏が注目でした。

畠山準氏は、南海ホークスに単独1位指名され入団しましたが、荒木大輔氏は読売ジャイアンツとヤクルトスワローズが1位指名。抽選の結果、ヤクルトが交渉権を獲得し入団。

で、抽選で負けた読売ジャイアンツの荒木大輔氏のハズレ1位が、市立川口の斎藤雅樹氏でした。

翌1983年のドラフト会議も、ヤクルトスワローズが1位指名した東海大の高野光氏は大洋ホエールズ、阪急ブレーブス、西武ライオンズとの4球団競合でしたが、これまた抽選でヤクルトが交渉権を獲得入団。



そして2位指名の市立尼崎の池山隆寛氏も、読売ジャイアンツと近鉄バファローズとの3球団競合でしたが、これまた!抽選で勝って指名入団しています。

そして1984年もヤクルトスワローズが1位指名した明治大の広沢克己氏も、日本ハムファイターズ、西武ライオンズとの3球団競合でしたが、またまた抽選でヤクルトは交渉権を獲得する脅威のくじ運の強さ!



これで3年連続、ドラフト1位指名競合を抽選で勝ち続けたヤクルトスワローズ。

が、ヤクルトの脅威のくじ運の強さは終わらず、1985年もヤクルトが指名した本田技研の伊東昭光氏も、阪急ブレーブス、ロッテオリオンズとの3球団1位指名競合になりますが、また!抽選で勝ってます。

流石に1986年は享栄の近藤真一氏は5球団競合抽選を外し、近畿大の西岡剛氏をハズレ1位で指名入団しますが、ヤクルトの強運はまだ終わってない!



翌1987年のドラフトでは、再び立教大の長嶋一茂氏を大洋ホエールズとの1位競合を抽選で勝ち、1988年のドラフトでも、津久見の川崎憲次郎氏を読売ジャイアンツとの1位指名競合を抽選の結果勝ってます。

というわけで、当時のヤクルトは1982~1988年の7年間でドラフト1位重複指名抽選は6勝。2位競合の池山隆寛氏まで含めると、とんでもない!くじ運の強さでした。

そして1989年のドラフト会議では、8球団1位指名競合となった新日本製鐵堺の野茂英雄氏は、抽選で負け逃しますが、ハズレ1位で獲得したヤマハの西村龍次氏が大当たりで、1年目から10勝1Sと大活躍。



まぁ〜その1990年は野村克也氏が新監督になった年で、当然のようにここに紹介した全選手が揃ってましたし、更にはトヨタ自動車から、ドラフト2位指名の古田敦也氏が新たに入団してます。

更に更に!1990年のドラフト会議では、8球団1位指名競合になった亜細亜大の小池秀郎氏を抽選で外しますが、ハズレ1位の専修大の岡林洋一氏が大当たりで、こちらも1年目から12勝12Sの大活躍。



結果的にプロに入ってからの成績は人それぞれでしたが、野村克也氏が監督に就任時のヤクルトスワローズは、ある種のアマチュアオールスター揃いで、選手は十二分に揃っていました。

あと、1992年に獲得した助っ人外国人ジャック・ハウエルがいなかったら、1992年のヤクルトスワローズ14年ぶり2度目のリーグ優勝も、翌年のリーグ二連覇と15年ぶり2度目の日本一もなかったでしょう。

だから、野村克也氏は、それなりの選手が揃っていた時代にヤクルトスワローズの監督をやっていたから勝てたわけで、選手が揃っていなかった阪神タイガース時代は、3年連続最下位だったわけですね。


 

若きロッド・スチュワートの恋人、ブリット・エクランドは美人だったな〜🎵

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3才年下のロッド・スチュワートとは一時は事実婚状態でしたが、入籍に至らず破局するも、その前は17才年上のピーター・セラーズと結婚離婚(1964~1968年)。

その後は19才年下のストレイ・キャッツのドラマー、スリム・ジム・ファントムと結婚離婚した(1984~1992年)スウェーデン出身の女優、1942年生まれのブリット・エクランド。

流石に美しい方ですが、結婚相手の年齢のストライクゾーンが、やたらと広い方ですね🎵

で、この方の出演映画は、日本では1974年年末公開、3代目ジェームズ・ボンド=ロジャー・ムーア版「007 黄金銃を持つ男」でボンドの助手役メアリー・グッドナイト役が最も有名かしら?

基本、スウェーデン出身のブリット・エクランドはイギリスで活躍してるので、日本のハリウッド映画好きの方には、イマイチ馴染みの薄い女優さんかも?

でも、ある世代には絶大なる人気の映画「小さな恋のメロディ」主演のマーク・レスターとも、1972年のサイコ・サスペンス映画「ナイト・チャイルド」でも共演、彼の義理のママ役を演じてます。

まぁ〜この「ナイト・チャイルド」のマーク・レスターは、「小さな恋のメロディ」のポエムとメルヘンのダニエルとは全く異なる!エロいサイコパス少年役のせいか、日本ではヒットしなかったですね〜↓。

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そんなブリット・エクランドですが、ある時期から少なくとも日本には、女優としての情報らしい情報が入ってこなくなりましたが、71才の頃、英HELLO!誌で受けたインタビューが日本でも紹介されました。

それは、50才になることへの不安から、整形手術を繰り返し受けたことを後悔しているものでしたが、失礼ながら自然に老いた方が、きっと素敵だっただろうと思わされる、ありがちな整形顔でしたね〜。

最後になりますが、ブリット・エクランドの昔の恋人、ロッド・スチュワートも何度も結婚離婚を繰り返しましたが、彼は2016年に騎士(ナイト)の称号を与えられています。

まぁ〜国内外皆さん、人生色々ですね。

 

1988年、ソウルオリンピック野球銀メダルのエースは石井丈裕氏だった!

 



1988年、銀メダルを獲得したソウルオリンピック野球日本代表の投手陣は以下7名。全員社会人でした。

潮崎 哲也 松下電器(19才)

渡辺 智男 NTT四国(21才) 

鈴木 哲 熊谷組(24才) 

菊池 総 東芝(28才)

吉田 修司 北海道拓殖銀行(21才) 

石井 丈裕 プリンスホテル(23才)

野茂 英雄 新日本製鐵堺(20才)




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で、この錚々たるメンバーのプロ入り後の成績を思うと、日本のエースは野茂英雄氏のように思いがちですが、実際のエースは!全5試合で3試合先発、4試合登板1完投の石井丈裕氏でした。

そんな石井丈裕氏は、高校の早実時代は、同じ東京生まれの、あの荒木大輔氏(1982年、ヤクルトスワローズ、ドラフト1位指名入団)の控え投手。

法政大学時代も1学年上にはPL学園の甲子園優勝投手の西川佳明氏がいて、同期の堀越出身の猪俣隆氏の影にも隠れ、石井丈裕氏が台頭してきたのは4年生になってから。



ちなみに西川佳明氏はリーグ通算30勝。1985年の南海ホークスのドラフト1位指名入団。1984年のロサンゼルスオリンピックでは大学生で(3年生)唯一!ピッチャー陣に選ばれた、金メダル獲得メンバー。

また、猪俣隆氏もリーグ通算20勝。1986年の阪神タイガースのドラフト1位指名入団。一方の石井丈裕氏はリーグ通算8勝でした。

というわけで、石井丈裕氏は高校時代同様、大学卒業時もドラフト指名されることなくプリンスホテルに進み、大学4年時から引き続き、遅ればせながら社会人になってから!才能が大ブレイクしています。

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9月20日 予選リーグB組第1戦
プエルトリコ 0 0 0  1 0 0  0 0 0  1
日 本    3 0 3  0 0 0  1 0 X  7

石井丈裕  9回 30打者 4安打4奪三振 1与四死球 1自責点


9月22日 予選リーグB組第2戦
台湾 0 0 0  0 0 0  3 0 0  0 0 0  0   3
日本 0 0 0  0 0 1  0 2 0  0 0 0  1X 4

野茂 英雄 6回2/3 28打者 5安打 2奪三振 4与四死球 3自責点
潮崎 哲也 1回1/3 5打者 1安打 0奪三振 0与四死球 0自責点
石井 丈裕 5回 20打者 4安打 1奪三振 1与四死球 0自責点


9月24日 予選リーグB組第3戦
日本   2 0 0  2 0  0 0 2 0  6
オランダ 0 0 0  0 0 0  0 0 1  1

潮崎 哲也 5回 17打者 2安打 8奪三振 1与四死球 0自責点
菊池 総 1回 4打者 1安打 0奪三振 0与四死球 0自責点
鈴木 哲 2回 8打者 1安打 5奪三振 1与四死球 0自責点
渡辺 智男 1回 5打者 2安打 0奪三振 0与四死球 1自責点

9月26日 準決勝
韓国 0 0 0  0 0 0  1 0 0  1
日本 0 0 0  0 0 0  1 2 X  3

石井 丈裕6回1/3 24打者 5安打 5奪三振 0与四死球 1自責点
潮崎 哲也 0回0/3 1打者 0安打 0奪三振 0与四死球 0自責点
野茂 英雄 2回2/3 10打者 1安打 4奪三振 2与四死球 0自責点

9月28日 決勝 
アメリカ 0 0 0  3 1 0  0 1 0  5
日 本  0 1 0  0 0 2  0 0 0  3

石井 丈裕 3回1/3 15打者 6安打 2奪三振 0与四死球 3自責点
渡辺 智男 1回 5打者2安打 1奪三振 0与四死球1自責点
吉田 修司 0回2/3 3打者 1安打 1奪三振 0与四死球 0自責点
潮崎 哲也 2回1/3 9打者 2安打 2奪三振 0与四死球 1自責点 
野茂 英雄 1回2/3 6打者 0安打 2奪三振 1与四死球 0自責点

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ソウルオリンピック銀メダルの結果、同1988年のドラフト会議で、西武ライオンズがドラフト1位で渡辺智男氏、2位で石井丈裕氏を指名入団。読売ジャイアンツも1位で吉田修司氏を指名入団。

翌1989年のドラフト会議では、8球団1位競合指名の結果、近鉄バファローズが抽選の結果、野茂英雄氏の交渉権を獲得し入団。西武ライオンズが1位で潮崎哲也氏、2位で鈴木哲氏を指名し共に入団しています。

というわけで、ソウルオリンピック日本代表投手陣7人のうち、まとめ役だった年長の菊池総氏以外、若き6人はプロ入り(野手では古田敦也氏、野村謙二郎、小川博文氏等がプロ入りしています)。

まぁ〜この辺は諸々の経由があり、学生野球から社会人野球に行くと、すぐにはプロ入りはできないわけで、同じソウルオリンピック出場メンバーでも、ドラフト・プロ入りがズレてるのはそんな理由。

結果、この6人の投手の中で最も有名なのは日米通算201勝1S。MLBで最多勝4回、最優秀防御率1回、最多奪三振4回、最高勝率1回。MLBで最多奪三振2回、ノーヒットノーラン2回の野茂英雄氏でしょう。


次いで通算82勝55Sの潮崎哲也氏、通算68勝10Sの石井丈裕氏で、特にこのお二人は5連覇含む最強!西武ライオンズ時代に投げていたので、古の野球ファンには印象の強いピッチャーだと思います。

同じく最強!西武ライオンズ時代、プロ入り以来3年連続二桁勝利と大貢献した渡辺智男氏も印象深いピッチャーですが、その後は突然!調子が崩れてしまい、ダイエーホークスでの活躍含め通算45勝2S。

吉田修司氏は通算37勝23S10Hですが、野茂英雄氏に続く現役生活の長い選手で、鈴木哲氏は通算7勝1Sでした。


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というわけで、2026年現在、ソウルオリンピックの日本のエース!石井丈裕氏は2001年に現役引退後、台湾、韓国で監督、コーチを経験後、2004年に西武ライオンズに復帰。コーチを経由してフロント入り。

一時、現場コーチに復帰しましたが、その後は西武ライオンズが運営するライオンズ・ベースボール・アカデミー講師に就任。野球解説者としても活動しています。