名作!「ポセイドン・アドベンチャー」の、太っちょの人の良いおばちゃんを演じたシェリー・ウィンターは、若い頃「陽のあたる場所」「ロリーター」でも悲しい女性を演じていた!

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日本公開1973年の映画「ポセイドン・アドベンチャー」。

1970年代に「大地震」「エアポート75」「タワーリング・インフェルノ」と共に、パニック映画というジャンルを確立した映画で、1973年の洋画配給収入、堂々1位を記録した大ヒット映画でした。

当時、既に40才を越えていた遅咲きのジーン・ハックマンが大スターになるのは、こちら「ポセイドン・アドベンチャー」での神父役と「フレンチ・コネクション」の刑事役からでした。

で、「教会で跪いて祈っていたって、神は助けてくれない」なんて、神父とは思えないような事を平気でいうジーン・ハックマンが演じた神父。

その神父がポセイドン号の惨劇の、あまりの神の無慈悲ぶりに激怒し、神を血に飢えた狼のごとく罵り、そして死んでいくシーン。

その神に対する怒りの最たる原因にもなった、悲しい最後を迎えてしまうユダヤ人老父の奥様役の、太っちょの人の良い女性を演じた、こちらシェリー・ウィンタース↓。

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この方、若い頃にも「陽のあたる場所」で、華のある美人!エリザベス・テーラー演じる富豪の娘に後から恋してしまうモンゴメリー・クリフト演じる恋人に、殺意を抱かれ結果的には死亡してしまう悲しい女性役をやってました。

更には今や当たり前の、幼女、少女にいい年した男が性欲を感じてしまう、ロリーター・コンプレックス=ロリコンという言葉の大元、スタンリー・キューブリック監督の1962年作品「ロリータ」にも出演。

シェリー・ウィンタースはロリータのママの未亡人役で、ロリータが好きだから再婚する酷い男に殺されそうになるけど、結果、不慮の事故で死亡してしまう、こちらも悲しい女性を演じた女優さんです↓。

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「ロリータ」撮影時は40才を越えていて、「ポセイドン・アドベンチャー」撮影当時は50才を越えていた、ちょいと太めの脇役女優、シェリー・ウィンタースって、日本だと誰の位置なんでしょうねー。

あんまり思いつかないですし、正直、人妻熟女好きのボクなれど、あんまりタイプではないシェリー・ウィンタース

でも、そんなボクでも印象にそれだけ残ってたって事は、その存在感は抜群だったって事でしょうねー。

で、、、

シェリー・ウィンタースと共に、「ポセイドン・アドベンチャー」で悲しい結末の、存在感抜群だった、こちらはボクのタイプだった(笑)ステラ・スティーヴンス↓。

ステラ・スティーヴンスは元娼婦で今はその取り締まりをやっていた刑事の奥さん役をやっていました。

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元々は、アメリカがR&R黄金時代だった1960年前後、雑誌「プレイボーイ」でプレイメイトをやっていたステラ・スティーヴンスは、1962年にはエルビス・プレスリーの映画「ガール!ガール!ガール!」に出演。

翌1963年にも人気者!ジェリー・ルイスの「底抜け大学教授」に出演し、女優として名を馳せています。

そして1966年にも、こちらも人気者!ディーン・マーティンの「サイレンサー/沈黙部隊」にもヒロイン役で出ており、20代の頃の共演者は、かなりの大物揃いだった女優。

が、日本で人気だったとか話題だったとかって、記録や記憶のない女優さんのような気がします。 
 
だから、、、

シェリー・ウィンタースにしろステラ・スティーヴンスにしろ、名脇役なれど鬼瓦みたいな顔してるアーネスト・ボーグナインしかり。

そして、如何に前年「フレンチコネクション」でアカデミー賞を受賞したとはいえ、既に40才を越えてた、けっしてハンサムでもなければかっこ良くもないジーン・ハックマンもそう!、、、

ポセイドン・アドベンチャー」の配役は、他のパニック映画と比べて、かーなり渋い人選だったと今更ながら思いますねー。

人選は監督なのか?製作者なのか?、ボクにはわからないですが、センス抜群の俳優陣です。

名作!「禁じられた遊び」はポーレットを演じた、幼いブリジット・フォッセーに尽きるな〜

 


フランスの巨匠!ルネ・クレマン監督の映画「禁じられた遊び」。

禁じられた遊び」はギターの名演でも有名で、また、この曲は「ギター初心者」の登竜門、誰でも弾ける簡単な曲と思われてる曲でもあるわけですが、これは声を大にして全力で私は否定したい(笑)。

禁じられた遊び」は、本気で全曲弾こうと思ったら、挑戦した人ならわかると思いますが、クラシックギターの得意な人以外にはかなり難しい曲です!

一般に簡単だと思われてるメロハモは曲の冒頭の一部であり、映画「禁じられた遊び」のオープニングでも全曲が導入され聴くことができますが、そもそも全曲を知ってる方は少ない。

禁じられた遊び」は、元々はスペインの民謡だそうで、誰もがお馴染みのあのアレンジは、映画「禁じられた遊び」でギタリストのナルシソ・イエペスが編曲・演奏したものが使われたことで有名になってます。

1941年のアメリカ映画「血と砂」でも、後に「禁じられた遊び」になる「愛のロマンス」は使われてますが、かなりアレンジが異なるので(いかにもスパニッシュ系)、興味のある方は聴いてみて下さい。

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というわけで、前置きが長くなりましたが映画「禁じられた遊び」。

若い頃にテレビの洋画劇場で観て何も感じず(笑)、大人になってレンタルビデオでもう一度観て、やっぱり何も感じず、爺になって観たらどうだろうと、Amazonプライムで再び観てみたら、いやー!良い映画でした。

結局、主人公のポーレット。この映画は、少女の表情と髪型と衣装が全てと言っても良いかもね(ミシェルも良かったけど)。

ポーレットがもっと不細工で垢抜けない女の子だったら、映画「禁じられた遊び」は、そこまで観ている大人に感動は与えなかったでしょうね〜。

ポーレットは少女でもパリジェンヌで垢抜けていて、洋服も洒落ているし映画でも台詞に出てきますが、最初は香水もつけてもらってる。

ナチスドイツの空爆から逃れるために街を出たポーレット一家は、まだ馬車とか人力で荷台に荷物を乗せ逃げてる人たちが多い中、自家用車に乗っていたので、かなり裕福な家庭の設定です。

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何事もなく自家用車でパパとママと愛犬と郊外に逃げられたら、ポーレットの人生も違ったのでしょうが、車は悲しいかな故障してしまい、パパとママと愛犬は空襲で殺害されてしまう。

洒落た洋服と髪型のお人形さんみたいな可愛いパリジェンヌのポーレットは、けっして裕福ではない酪農家っぽいミシェル少年の家に世話になる事になる。

ここまで可憐で可愛いポーレットを、死んだパパとママ以外、大人はちっとも大事に扱わない。むしろ「厄介者」「お荷物」扱いなのが、流石に我が身可愛さが露骨に出るであろう戦時下の設定。

この辺の描き方、私的に好きですね〜。

野坂昭如氏の「火垂るの墓」は、おそらく多分「禁じられた遊び」の影響を受け書いたのではないかと勝手に私は思ってますが、どちらもとても!異常に!大人が子供に冷たいのが良いです。

ミッシェル少年は美少女であか抜けてるポーレットとお似合いの美少年ですが、彼の一家は田吾作。

少女でもパリジェンヌのポーレットと、この田吾作一家の対比はとても!面白い。何故?少年時代、大人になったばかりの頃、こんなに面白い対比の描写に気づかなかったのか、自分のバカさ加減が嘆かわしい(笑)。

ポーレットは聞き分けの良い女の子ではなく、我儘なパリジェンヌ、お嬢です。そして田吾作一家の子供のミシェルは、そんなポーレットの気をひこう、ポーレットを喜ばそうと一生懸命。

良いですね〜この描写。これもう少し年齢を上げて二人が思春期だったら、とてもわかりやすいエロスですが、少年と少女だからやたらと微笑ましい。

結局、ポーレットが喜んだのがお墓遊びで、ポーレットは墓に突き刺す十字架に魅せられ、教会の十字架を欲しがります。だってポーレットは無邪気で我儘なパリジェンヌだから。

そしてミシェルはポーレットを喜ばせたくてしょうがないから(子供心に惚れていたのでしょう)、墓荒らしをしてでも十字架を盗みまくる。この男の一途なバカさ加減の描き方も、とても良いですね〜!

これが二人がもっと大人で、目当てが十字架ではなく、お金や宝石ならちょいとしたエロチックサスペンスになるからね(笑)。

原作ではミシェルはポーレットのために、教会の十字架を奪おうとして落下して死んじゃうみたいですが、映画ではその展開はなし。

この辺はこちらもルネ・クレマン監督の名作!「太陽がいっぱい」も同じで、監督は原作を変えてます。


盗んだ十字架の数々の場を正直に教えれば、ポーレットを孤児院に入れないと大人たちはミシェルに約束しますが、意図も容易くその約束を大人たちは反故にしちゃう。

孤児院に送ることがポーレットの幸せと大人たちは皆本気で思い(面倒を見るのが、裕福ではないミシェル一家は嫌だったのでしょうが)、また、ポーレットもミシェルもそれを嫌がる。

まぁ〜大人の都合で戦争になり、大人の都合でポーレットは街を追いやられ、大人の都合でパパとママを殺害され、大人の都合で大好きなミシェルとポーレットは離れ離れにされちゃう。

そしてポーレットの表情と演技が素晴らしい!感動のラスト。ポーレットがそれまで抑えていたのでしょう。泣きながら「ママ〜」と初めて感情を露わにし人混みの中に消えていくこのラスト!

名作とはこういう映画を言うんだな〜。と、爺になってやっと!わかった盆暗爺でした。

最後になりますが、ポーレットを演じたブリジット・フォッセーは子役を一度やめて大人になってから女優として再デビューしており、アラン・ドロンチャールズ・ブロンソンの「さらば友よ」や、ソフィー・マルソーの「ラ・ブーム」などに出演してましたね。

ある時期から出演作品も聞かれなくなりましたが、2022年現在、70代のブリジット・フォッセーはご健在のようです。

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ミシェルを演じたジョルジュ・プージュリーも、ルイ・マル監督のこちらも名作!「死刑台のエレベーター」でチンピラ兄ちゃん役で、モーリス・ロネジャンヌ・モローリノ・ヴァンチュラと共演してましたね。

 

映画「タイタニック」ファンなら楽しめる!「歴史は夜作られる」

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私的に第二次世界大戦前後の男のファッションが大好きなので、それを参考にするためもあり古い映画もよく観ます。

で、突然話は1997年にワープして、日本でも社会現象にもなったジェームズ・キャメロン監督の傑作大ヒット映画「タイタニック」。

タイタニック」は、多分に「ポセイドン・アドベンチャー」「タワーリング・インフェルノ」「大地震」等の1970年代のパニック映画ブームの影響を強く受けた映画だと思っていましたが、1937年のアメリカ映画「歴史は夜作られる」を観て、ちょいとおったまげました。

(ジャックとローズとキャルの三角関係の元ネタは、この映画だったのか〜?)とね。


歴史は夜作られる」の邦題は、映画やドラマや日常社会でも色々な時に引用されるほどですが、1937年と言えば大東亜戦争突入の4年前、2・26事件のあった翌年(日本でも普通に上映されてます)。

そんな1937年のモノクロ映画を、そうそう自分の強い意志で現代人が観てみようとは普通は思わないわけですが(笑)、(ここに!「タイタニック」の元ネタがあったのか〜?!キャメロンやるな〜!)と感心したい方にはオススメです。

男女の三角関係は勿論、「歴史は夜作られる」は「タイタニック」の、(あ〜なるほど、これが元ネタになってるんだな〜)と思えるシーンがふんだんにあって、とても面白いですから!

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歴史は夜作られる」で ヒロインのアイリーンを演じたジーン・アーサーは、撮影時36歳。

昨今の、全国民の平均年齢が上がってるのも原因と思われる日本の人妻熟女ブームでは当たり前の年齢ですが、決して当時の感覚では若くはないヒロインで、彼女は無声映画の頃から活動していた息の長い女優さんだったようです。

ちなみに、「タイタニック」は中年三角関係の「歴史は夜作られる」と違い、キャメロンは三角関係の三人の年齢をグンと下げ、若者達(特に当時のオネーちゃん等)の心を鷲掴みにしたのも流石と思います。

最後になりますが、、、

ジーン・アーサーの映画のキャリアは1953年の、こちらも名作!「シェーン」が最後で、その後はテレビが活躍の場だったそうですが、「シェーン」出演時、ジーン・アーサーは52~53歳。

1995年の、ひょんな出会いからのおっさんとおばちゃんの純愛を描いたクリント・イーストウッド監督&主演の名作!「マディソン郡の橋」のおばちゃん役のヒロイン、メリル・ストリープは撮影当時45~46歳。

「シェーン」でのジーン・アーサーは、アラン・ラッド演じる流れ者のガンマンに、亭主・子供がいても密かに恋心を抱くおっかさん・おばちゃん役を好演してますから、彼女は熟女よろめきドラマの元祖かもしれないですね〜。

そんなジーン・アーサーは「タイタニック」上映の6年前、1991年に90歳で天命をまっとうしています。
 

1973年キャロルのデビューアルバムのB面R&Rカバー曲と、大衆とのギャップ!

1973年3月、噂のキャロルのデビューアルバム「ルイジアンナ」が発売されましたが、まぁ〜当時のオーディエンス側に問題があったので(笑)、売れなかったですね〜。

ここまでキャロルは1972年10月、デビューシングル「ルイジアンナ」発表から、毎月シングルを発表しており、アルバム「ルイジアンナ」のA面は、そのシングルのAB面を集めたもので、B面がR&Rのカヴァー。

「ルイジアンナ」のジャケットはユウ岡崎氏ではなく、この後、ダウン・タウン・ブギウギ・バンドで名を馳せる、あの!白のつなぎを提案した相原誠氏がメンバーとして写ってるショットが使用されています。

ちなみに、、、

1970年に、解散間際のザ・スパイダースが「 ロックン・ロール・ルネッサンス」という、古のR&R9曲のカヴァーと、当時の最新曲3曲のアルバムを発表しています。

が、こちらもグループサウンズブーム終焉期のアルバムで、完全にザ・スパイダースも人気が低迷していた事もあり、「ルイジアンナ」以上に売れなかったですし、存在も一般的に知られていません。

本当に当時の日本の若者達は、R&Rインポでした(笑)。


アルバム「ルイジアンナ」が発表された1973年の、年間オリコン調べのシングルトップ10は以下の通り。

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1位 女のみち;宮史郎とぴんからトリオ
2位 女のねがい:宮史郎とぴんからトリオ
3位 学生街の喫茶店:ガロ
4位 喝采ちあきなおみ
5位 危険なふたり:沢田研二

6位 神田川かぐや姫
7位 心の旅:チューリップ
8位 恋する夏の日:天地真理
9位 若葉のささやき:天地真理
10位 赤い風船:浅田美代子
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かろうじて元ザ・タイガース、元PYGのジュリー=沢田研二氏の「危険なふたり」がR&Rグルーヴでしたが(R&Rではないけど)、1973年の日本にR&Rなんて存在すらしてなかったです(笑)。 

で、一方、売れなかったですがアルバム「ルイジアンナ」のB面カヴァーは以下の通り。

B1 グッド・オールド・ロックン・ロール
B2 メンフィス・テネシー
B3 ワン・ナイト
B4 トゥティー・フルティー
B5 ジョニー・B・グッド
B6 カンサス・シティー

さて当時の日本の若者で、このB面カヴァー曲の元ネタを、どれだけの人が知っていたでしょうか?

ほぼ皆無だったでしょう(笑)。

唯一!ザ・ビートルズもカヴァーしていたので「カンサス・シティー」は知っていても、「ジョニー・B・グッド」すら知らなかったと思います。

余談ですが日本の古のロカビリーブームの頃、チャック・ベリーは日本では流行ってなかったと、共に今は亡き音楽業界の重鎮のお二人、大瀧詠一氏と石坂敬一氏は述べておりました。

だからキャロルのこの選曲も、相当!当時はマニアックだったんですが、誰の選曲だったんでしょうね?

矢沢永吉氏は古のR&Rマニアではないので、B面はほぼ独壇場のジョニー大倉氏の可能性が高いです。

或いは、「ロカビリー三人男」の一人、プロデューサーのミッキー・カーチス氏の推し、趣味だったか?そのどちらかで間違いないでしょう。

キャロルと内田裕也氏が発表した、1973年のR&Rアルバム!

そして内田裕也氏も同1973年、当時のニューロックグループサウンズブームの頃の重鎮を集めた、「ロックンロール放送局」という古のR&Rカヴァーアルバム発表しました。

でも、こちらは「ルイジアンナ」より売れなかったんじゃないでしょうかしら?(良いアルバムですが)。

ちなみにこのアルバムに、現役キャロルのメンバーは一人も呼ばれておらず、せめて矢沢永吉氏をベースに呼んでいたら、その後の売り上げの10%ぐらいは上がったんじゃないかな?と思ったりします。

内田裕也氏主催のロックイベントにキャロルはよく出演していましたし、商業的に売れてなかった当時のニューロック勢の中で、キャロルだけは知名度は抜けていました。

だから何故?「ロックンロール放送局」のレコーディングに、キャロル・矢沢永吉氏が呼ばれなかったのか?今も私的には謎です。

契約の問題なのか?内田裕也氏がこのレコーディングで集めた重鎮達より、キャロルを格下と見ていたのか?私的にはこのどちらかと思っておりますが、誰の証言もないのでこれは私の勝手な憶測にて恐縮。

当時、イギリスでは後にパンクムーブメントになるR&Rリバイバルは熱いムーブメントで、グラムロックはそんな象徴でした。

当時のヒット曲、エルトン・ジョンの「土曜の夜は僕のいきがい」「クロコダイル・ロック」が、古のR&Rのオマージュなのは、誰が聴いてもわかると思います。

カーペンターズの「ナウ・アンド・ゼン」のB面、映画「アメリカン・グラフィティ」による、古き良きアメリカの再現!

また同1973年、日本でも大人気だったカーペンターズが、アルバム「ナウ・アンド・ゼン」のB面でR&Rではない古のポップス、オールディーズのカヴァーをやり、これは本国アメリカでも評判を呼びました。

そして全くの無名監督だったジョージ・ルーカスによる、出演者も当時は全員無名だった映画「アメリカン・グラフィティ」が、同じく1973年にアメリカで公開。

映画会社も試写当初はボロクソにけなし、こんな映画ヒットするわけがないと思われていた「アメリカン・グラフィティ」がアメリカでバカ受けしましたが、日本での公開は大幅に遅れ1974年12月。

当時のR&Rインポの若者たちの日本で、「アメリカン・グラフィティ」はロードショー公開時はヒットせず、1975年になって各地の名画座で二本立ての抱き合わせでロングランになった映画でした。

簡単に言えば1960年代後半に吹き荒れた、ヒッピーフラワームーブメントが、特にアメリカで飽きられてきた時代背景も見逃せません。

それ以前のアメリカも、そんなには悪くなかったんじゃないかもねという提示が「ナウ・アンド・ゼン」と「アメリカン・グラフィティ」だったわけです。

そんな1975年はダウン・タウン・ブギウギ・バンドの典型的なR&Rの「スモーキン・ブギ」が大ヒット。

その新井武士氏のコミカルな詞と、白のつなぎにポマード頭、宇崎竜童氏のサングラスがマスメディア注目の的になり、更に1975年はかの有名な火事になったキャロルの日比谷野音の解散ライブがあった年です。

同年はキャロルの解散ライブで警護を担当し有名になった、大人のバイクチーム「クールス」もレコードデビューし、映画「アメリカン・グラフィティ」の名画座でのロングランが相乗効果になった年でした。

だから、、、

日本の若者達のR&Rインポが回復したのは(笑)、1975年と歴史的に位置づけて間違いないです。

「ブラウン・シュガー」が、発表された1971年の日本の洋楽ヒットチャートでブレイクしてた記憶がないんだよね〜(笑)

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ある時から死ぬほど好きになった、ザ・ローリング・ストーンズの「ブラウン・シュガー」ですが、最初に友達の家でシングル盤を聴いた時、実はあまりピンとこなかった。

で、私的にちょいと謎があって、「ブラウン・シュガー」は1971年にシングル発売され全米1位を獲得しています。

で、私も当時、ラジオの洋楽ヒット番組にはよく耳を傾けていたつもりですが、「ブラウン・シュガー」を聴いた記憶がない(笑)。

1971年の年間オリコン売り上げシングルチャートを眺めても、洋楽は5位のヘドバとダビデの「ナオミの夢」のみがトップ10入り。

20位まで広げても12位のビージーズの「小さな恋のメロディ」(メロディ・フェア)、16位のマッシュマッカーンの「霧の中の二人」の2曲だけで、トップ50まで広げても「ブラウン・シュガー」はない。

「ブラウン・シュガー」ってリアルタイム、日本でシングルヒットしたのかな〜?

勿論、長年音楽ファンやってギターなんぞ弾いてますから、そっちの世界でストーンズや「ブラウン・シュガー」の話は耳タコ。

ですが、思えば楽器をやらない人たち、歌謡曲や和製ふぉーくが好きだった普通の人達と話をしていて、「ブラウン・シュガー」の話をしたことがない。

というか「ブラウン・シュガー」発売の頃、思春期だった筈の2021年現在60代の爺さん婆さんで、「ブラウン・シュガー」を知らない人、普通に多いと思います。

だから後世の若い古のロックファン、R&R研究家は、米英の歴史を日本にあてはめない方が良いです。日本はガラパゴス的に、独自の歌謡芸能&洋楽ヒット文化を歩んでおり、全く米英とは異なりましたから。 

また、ストーンズの映画「ギミー・シェルター」が「ウッドストック」や「SOUL TO SOUL/魂の詩」同様ヒットせず、「ロック映画は日本では当たらない」なんて言われていたのを、私は覚えています。

ザ・ビートルズの映画「レット・イット・ビー」も、それほどヒットしていた記憶はないですし、実際にロック映画で日本でヒットしたのはエルヴィス・プレスリー復活の「エルヴィス・オン・ステージ」だったのは、こちらも当時の映画興行記録を眺めると歴然です。

ちなみに、私の周りで洋楽ロックファンの少年少女、無茶苦茶少なかったです。

洋楽ポップスファンは多かったし、1971年の日本レコード大賞受賞曲「また逢う日まで」の尾崎紀世彦氏は勿論、五木ひろし氏や小柳ルミ子さん、南沙織さんが好きな、歌謡曲好きは普通に多かったけど。

でも、ザ・ビートルズファンですら、指で数えられましたからね〜(笑)。

グループサウンズもよくストーンズのカヴァーをやっていた1960年代後半はともかく、「ブラウン・シュガー」がシングル発売された1971年に、ザ・ローリング・ストーンズを話題にしてた奴の記憶が私はない(笑)。

1971年は、希少価値だった洋楽ロックファンの一人が、グランドファンクの「嵐の後楽園」の話はしてましたが、ザ・ローリング・ストーンズが普通に話題に出たのは1973年の、結果「幻の日本公演」に終わった、初来日中止の頃までなかったような記憶があります。

だから、グループサウンズブーム終焉の1970年から、ザ・ローリング・ストーンズ初来日中止の1973年までの間の2年間、正に!「ブラウン・シュガー」が発売された頃、ストーンズの記憶が私は全くない。

まぁ〜そんなこんなで、その中止になった来日ムードの頃、シングル「ブラウン・シュガー」を友人の家で聴いたわけで、ラジオで聴いた記憶がないので、それが 私の「ブラウン・シュガー」初体験!、、、

でも、もっとこう、ハードロック的なストレートなノリ、或いはシカゴの「長い夜」やチェイスの「黒い炎」のような大迫力でノリノリの曲が好きだったので、なんか、「ブラウン・シュガー」だるくてね(笑)。

みしろB面の「ビッチ」の方が「わかりやすいリフ」だったしノリも良く感じたので、「B面の方が良いね!」なんて友達に言ったのを覚えてます。

う〜ん、だから正直、「ブラウン・シュガー」やザ・ローリング・ストーンズを好きになったのは、私はかなり後でしたね。ギターが少し、下手でも弾けるようになってからです。

当時の私はほぼザ・ビートルズ一色、ザ・ビートルズこそ神だったし、中坊でお金もないからそんなに他のバンドのレコードも買えなかったし。レンタルレコード屋も、まだ発明されてなかったしね〜。

それに、そもそも当時の私はキース・リチャーズの存在すら知らなかった(笑)。

ストーンズと言えば、ミック・ジャガーブライアン・ジョーンズしか顔と名前が一致してなかった(既にブライアンは死亡してたけど)、それほどストーンズ無知でしたね〜。

それにストーンズって下手って言われてたから、Tレックスもそうですが、わざわざ下手と言われるバンド、ギタリストをコピーしようと思わない(笑)。

ですから思えば、その時々の人の言うことや風評なんて、本当に耳を貸さない事です。これ若い人に絶対言いたいです。時間が経つとそのマヌケなヨタ話、いつか風化しますから。

だからグランドファンクの「孤独の叫び」とか、クリームのライブの「クロスロード」や「アイムソーグラッド」が凄い!と言われてたので、そっちに挑戦するわけですよ。全然、弾けないまでも(笑)。

あと、スローだったからサンタナの「君に捧げるサンバ」は音がとりやすかったし(全然、下手でしたが)、ザ・ヴェンチャーズはフレーズが歌えるから、「パイプライン」とか「ダイヤモンドヘッド」とか、遅ればせながら音とって弾いたりとか(下手でしたが)。

ハイコードもポジションがよくわからなかったので(笑)、最初にハイコード覚えて(うまく抑えられなかったけど)、ついでに sus4 なんて覚えた時に、私は覚醒したんです(笑)。

(あれ?なんかこれ、ストーンズの「ブラウン・シュガー」っぽいね)なんて思って嬉しくなって。まだ何にもわからなかったですけど。

その後、当時まだ「ギターマガジン」なかったから、「ヤングギター」だったと思いますが、あの!有名な!キースの5弦オープンGの解説が出てて、(へ〜っ!キースって、こんな事やってるんだ〜)なんて感心して、、、。

でも、いまだに5弦オープンGって実はやったことがない。

6弦外すのもったいないし(笑)、チューニング戻すのも面倒くさいから(笑)。当時はチューニングメーターもまだ売ってなかったし。

だからレギュラーチューニングで sus4 だけでなんとなーく弾いてたら、なんか「気分はブラウン・シュガー」で(下手でしたけど)、なんかそれから「ブラウン・シュガー」好きになったんですよね〜。

(ほ〜っ!sus4 と6th を同時に弾くのか〜?!こりゃーレギュラーチューニングでは無理だよね)って、どんどんハマっていって(キースってすげーじゃん!)と見直したわけです。

(そっか、ギターソロも良いけど、曲をかっこよく聴かせるのってリズムギターだもんな〜)と、踊り場で好んでたファンキーなカッティング同様、リズムギターにこうして目覚めたわけです(笑)。

だから、リズムギターの初期衝動はキース! 

で、指弾きの3フィンガー上手い人、今も尊敬してますが、当時の大多数のアマチュアのフォークの子って、その辺上手い人いなくて、ストロークも下手な人が多かったから、完全にバカにしてました(笑)。

ロックバンドもハードロック主体で、コードワークはリフと1度と5度のそればっかりだったから、リズムギターの話ししても、フォークの子もハードロックの子も、ソウルやファンク知らないし(笑)。

ハードロックやってる子、ストーンズもキースもバカにしてたけど、ジェームス・ブラウンも知らないし、9thも知らないしね(笑)。

だから、本当に話合わなかったですし、そのまま皆年くってるから、音楽の世界以外の同世代と話するのは爺になった今も苦手(笑)。

多分、こっちも老い先短い耄碌爺だから、音楽絡み以外で同世代と時間割いて金使って関わる事は、もうないだろうな〜(笑)。
 
 

不貞妻役のダイアン・レインが美しい!日本公開2003年のエロチック・サスペンス映画「運命の女」

日本公開2003年の映画「運命の女」。原題は「Unfaithful」、直訳すると不貞になるのかな?

1968年のフランス映画のリメイクだそうで、不貞をする美熟女はダイアン・レイン

 

撮影当時37歳のダイアン・レイン、とても美しくセクシーで、そして良きママ、家庭人を演じてます。

 

不貞相手役はフランス人俳優のオリヴィエ・マルティネスで、物語の中では凄く年下っぽい設定のようですが、実際はダイアン・レインの1歳年下。

 

そして、ダイアン・レイン演じる不貞妻の旦那はリチャード・ギア

 

1980年の「アメリカン・ジゴロ」では、アルマーニを着てベンツに乗るジゴロを演じ、1990年の「プリティ・ウーマン」では、お金持ちのウォール街の狼、実業家を演じたリチャード・ギアが、極めて理不尽に奥さんに不貞をされちゃう、ちょいと哀れな役を演じてます。

 

「パーフェクト・ゲッタウェイ」。どんでん返し映画は大好きだけど、ちょーっとこの映画は2回観ないと、わからないな〜

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日本公開2010年の映画、「パーフェクト・ゲッタウェイ」。

最初みた時、突然の後半のどんでん返しに、「えっ?!これは反則でしょ〜!」と苦笑いしてしまい、観終わったあと納得がいかないので(笑)、もう一度繰り返し観てみたら、あらら。

こちらが勝手にそう思い込んでいた、ハワイ旅行中の新婚熱々カップルが、突然起きた殺人事件の犯人に怯えてるのではなく、自らの犯行がバレるのを恐れてるカップルに、ちゃんと観れた!

いやー、映画って本当に!凄いですね〜。

2015年の邦画「イニシエーション・ラブ」も、この手法でした。

2度みると、1度目でみた時感じた「反則」感はなく、映画の演出の魔法に、観る側が見事にはめられてた事に気ずくので、映画のマジックの凄みを痛感させられた映画でした。

ちなみにこの映画、流石!ハワイ、風景映像も美しくて素晴らしいです。

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で、、、

この映画は他にも複数の「怪しい」カップルが登場します。

が、ちょいととっぽそうで軽そうで悪そうなヒッチハイカーのカップルは、昔のTVのサスペンス劇場がそうであったように、あからさまに「怪しい奴」は犯人ではないの鉄則通り(笑)。

このカップルは、よほどのバカじゃない限り、「当て馬」と、最初から観る者はわかったでしょう(笑)。

3組のカップルの女優は、バイオハザードで日本では最も有名だと思うミラ・ジョヴォヴィッチに、私的には一番タイプなマーリー・シェルトン、そしてキーリー・サンチェス。

ハワイロケですから、皆さん薄着、水着シーンありますから、御三方とも撮影当時は三十路半ばの熟女。

 


けど、しかし、、、

新婚熱々カップルを演じてた、実は殺人事件の犯人、クリスの策略によって、州警察はこの観る者にとって「当て馬」のカップル二人を犯人と思い逮捕連行してる。

なのに、わざわざ新たな犯行にクリスが及ぶ動機がみつからないのが、私的にはこの映画、いまいち感がありましたねー。

あのままクリスは、もう1組のカップルに「犯人も見つかって良かったね。じゃあ、短いけど楽しい旅だったよ」と挨拶し別れやり過ごし、そのまま逃亡できた筈。

なのに、もう1組のカップルの男を誘いだし、クリスは殺害しようとする、その動機が、どーも、よくわからない。

もし、クリスが天性の「頭のおかしい殺人マニア」で、殺した相手になりすますのが趣味で生き甲斐だから、そんな狂人に犯行動機なんて関係ないとするのなら、ちょいとクリスのその「狂気」の描き方が弱いかな〜と感じたのが、心残りでした。

が、、、

まぁ〜「パーフェクト・ゲッタウェイ」、十分楽しめた映画でした。