山本陽子さん急逝。40歳頃の「黒革の手帖」出演時の美しさ!その2

 

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昨日の続き

架空名義口座なので、警察沙汰になると銀行も支店長も上司も困る金を、自分の口座に移しかえる事に成功した原口元子ですが、ホステスもやっていたとはいえ、そこは素人に毛の生えたような女性。

銀座のクラブの開店資金の諸々で5,000万円ほど使ってしまい、更に思ったほどクラブ経営は儲からないことがわかり、横領した残りの金は2.000万円ほど(小説
の横領金額は7,500万円ですが、ドラマの製作時期によって、額は徐々に増えてます!)。

このままでいくと、自分はジリ貧だと原口元子は焦るんです。

原口元子が「黒革の手帖」を使い、恐喝を繰り返す動機はこれで、最初から銀座のクラブで悪事を働こうって気は原口元子はなく、小説ではそんなに賢い女でもない設定になってます。

繰り返しますが小説の原口元子は、男ばかりが出世する銀行に憤りを覚え男を敵視し、更には寿退社した同僚女性達の幸せも望んでいない、チャラくて男にモテる女が大嫌いな、田嶋陽子さんが少し美人になったような女なんです(笑)。

原作「黒革の手帖」の原口元子は、セックスを嫌悪感する女性設定!


そんな原口元子ですが処女というわけではなく、小説では銀行員時代、妻子持ちの男性二人と交際した経験があり、共に交際期間は短くセックスに嫌悪感を抱く、おそらくセックスでイッた事がない女性。

そんな自分を「身体に欠陥がある34女」と、原口元子は心の中で呟いています。

ですからドラマだけ見ると、原口元子は身持ちの堅い賢明な女に思えますが、原作ではそうではなく、相当!性的にも屈折してる女です。

だから!すぐやらせて
おねだり上手で、セックスでもちゃんとイッてるであろう、男から見ると可愛い女の山田浪子が、原口元子は大嫌いなのですよ。

勿論、自己防衛もありますが、何がなんでも!山田浪子を叩き潰そうとするのは、銀行員時代に寿退社した同僚の不幸を喜んだのと、原口元子の心情は似てます。

更に!こちらも「黒革の手帖」で、男の最重要人物の安島。

この安島だけが原口元子とセックスしますし、原口元子は三十路も超えて、初めて!男に恋心を抱いた、おそらくセックスが生まれ初めて心地良いものと感じた相手が、安島なんです。

でも、そこはお茶の間相手のテレビドラマですから、このへんの原口元子の微妙な性癖、安島とのベッドシーンの「官能エロ小説」部分は、サラッと流されてます(笑)。

原作「黒革の手帖」の原口元子は、けっして強い女ではない!

更にこれもドラマの「黒革の手帖」を、誰の原口元子版を観た人でもしってる、自分の身代わりに差し出してターゲットの男とセックスさせるホステスの島崎すみ江にも、小説では原口元子は複雑に嫉妬しています。

自分が「枕営業」をさせた島崎すみ江が、なんだかその相手とのセックスが気持ち良かったみたい。

二人はどうもラブラブの仲になってるっぽいと、島崎すみ江の嬉しそうな顔つきや肌の色艶に、原口元子は嫉妬する、性癖が少々歪んでる女なんです。

というわけで、ドラマの原口元子は華やかな美人女優達がかっこよく演じてるので、女性ファンも多いですが、ドラマ「黒革の手帖」好きな方は、是非!小説を読んでいただきたいです。

テレビ版でイメージが固まってる原口元子のそれは、木っ端微塵に壊れると思いますけど(笑)。

特に近年の「黒革の手帖」ファンの方は、ラストが原作とは異なる米倉涼子さん版、武井咲さん版がお馴染みと思いますが、原作の「黒革の手帖」のラストの原口元子は因果応報で悲しいです。

というわけで「黒革の手帖」は、金持ちの男を手玉に取る女の成り上がり物語でありますが、セックス・恋愛含む原口元子という女の、弱くて痛い物語でもあるのです。

最後になりますが、「黒革の手帖」で原口元子を最初に演じた山本陽子さん、次に演じた大谷直子さんは、「黒革の手帖」が単行本発売された1980年、三和銀行オンライン詐欺事件が起きた1981年は三十路も越えた大人でした。

三代目の浅野ゆう子さんも、当時は二十歳を超えていたので事件は覚えていたでしょう。

でも、四代目の米倉涼子さんは当時はまだ幼稚園児、1993年生まれの武井咲さんに至っては、生まれてもいなかったので、お二人は当時の時代背景も事件も、何も知らないでしょうね〜。 

黒革の手帖」は高度成長からバブルに向かって一直線の、昔は良かったと錯覚されがちな時代背景の、まだまだ!銀行は超エリートの職場で、その肩書きは高級官僚並みの威力があった(男は)、されどもその実態はってな、ある種の女性差別物語です。

まぁ〜時代が変わっても、設定が若干変わっても松本清張氏の作品の、金と男女話はどの作品も楽しめるのですから、やはり松本清張氏の作品は凄いのです。

ちなみに初代、 原口元子を演じた山本陽子さんは、四代目の米倉涼子さん演じる原口元子が最初に勤めた銀座のクラブのママ、岩村叡子役で出演してますね♪
 

山本陽子さん急逝。40歳頃の「黒革の手帖」出演時の美しさ!その1

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松本清張氏の「黒革の手帖」は、2021年現在までで7回(2回は原作とは異なる)ドラマ化されている、日本人の琴線に触れる物語のようで、主人公の原口元子は悪女ですが、何故か?好かれるキャラクター。

1982年に最初の「黒革の手帖」が連続ドラマとしてテレビ放映され、元銀行員で銀座ママの原口元子を演じたのは元野村証券山本陽子さん。
 
山本陽子さんは40歳を迎える年齢でしたが、最新の武井咲さんは24歳になる年齢時に原口元子を演じており、共に小説の原口元子とは年齢が異なります。

24歳になる武井咲さんの原口元子は初めてなので、小説の肝でもある「長年銀行勤務」という設定は使えないので、正社員に差別される派遣社員という設定に、脚本で変えたのでしょう。

ちなみに小説が単行本化された1980年は、まだ男女雇用機会均等法がない時代。

なので、寿退社せず銀行員として真面目に長年働いていても、そこそこの年齢になると(そろそろトウもたったし人件費も高くなったので、辞めてくれないかな〜)という「無言の圧力」が女性にかかっていたのは、銀行員に限らず当時は女性にあったのは否めない時代でした。

原作「黒革の手帖」は、男女雇用機会均等法のない時代、女性社員が職場の花だった時代背景も肝!

昨今は正社員入社も難しい時代になったので、大卒でもそのまま非正規で三十路を超える方も男女共に多々おりますが、当時は普通に高卒大卒なら正社員入社は当たり前。

ならば、ありがちな「昔は良かった」か?というと、これは上記のようにかなり微妙です。

女性は当時「クリスマス」に例えられ、25歳までに寿退社をしてくれる事を企業は望み、26歳をすぎると売れ残り扱いが、ごく普通に大中小零細問わずあったのは否めない事実です。

おそらく2021年現在、60代の女性で定年まで正社員で勤めた方って、労働組合の強い公務員以外、そんなにはいないんじゃないでしょうか?だいたい20代の数年で、正社員勤務って終わってるんじゃないでしょうか?、、、

当時の女性社員は会社にとって「職場の花」、男子社員の結婚相手候補だったので、長く働かないという前提で企業側は採用していたので、初任給も昇給も賞与も男性社員に比べ女性は低かったんです。

また、当の多くの女性達も、どうせ自分は数年で寿退社、20代のうちに子供を作って暫くは専業主婦という心算で入社するので、当時のこの風潮を差別だモアハラだパワハラだと、騒ぐ事もそんなになかったです。

なので、1985年の男女雇用機会均等法を推進したのは、条件も格段と良いので定年まで勤める気満々!の、官僚含む女性公務員労組と、公務員労組が票田の野党だったと思います。

だから当時の一般企業の女性社員は、その短い婚期を逸し三十路も過ぎると、「お局様」扱いを男からは勿論、若い女性達からもされる無言の圧力があったので、「昔は良かった」とも言えないんですね〜。

また女性だけでなく、当時は三十路も過ぎた男が独身でいると「変態変質者」扱いでしたから、30代で独身、しかも非正規なんて珍しくない昨今、、、

ハラスメントに対しては今の方が厳しいので、昔より今の方が良いかも知れないです。

原作「黒革の手帖」の原口元子の設定は美人ではない!


というわけで、ベテラン女性銀行員の原口元子というキャラは、こういう時代背景に生まれたという時代をしっかり知って、もう一度ドラマを観ると!更に「黒革の手帖」は面白いです。

また、テレビドラマでは華やかな美人女優が原口元子を演じてますが、小説では、原口元子はそれほどの美貌ではない設定になっています。

このへんは、活字の小説とビジュアルの映画・ドラマの差。

小説通りの、それほどの美貌ではない原口元子ではビジュアルのテレビでは視聴率がとれないので、最初から視聴率のとれる華やかな美人女優=山本陽子さんを選び、その歴史は武井咲さんまで脈々と続いています。

そして小説の原口元子は、寿退社した同僚の家庭が上手くいってない、離婚したなどの噂を聞くと「胸の中が明るくなった」と書かれている、「そういう女」で、けっしてかっこいい女性でもないんです。

まぁ〜、男にとっては良い時代だったと思います。

会社が社内恋愛を最初から想定して新卒女子社員を採用し、福利厚生で「ねるとんパーティ」開いて恋愛の後押ししてたんですから、当時の未婚率が低かったのは当たり前。

別に、昔の男が今の男より優れてたから結婚できたわけじゃないんです。世の中がそういう「仕組み「空気」だっただけです。

原作「黒革の手帖」は、バブル突入前の銀行業務模様にも注目!

三十路も越えそうな「ベテラン行員」の原口元子に対する、男性社員の冷たい対応に(てめーら!裏で金持ちの税金逃れの架空名義に手を貸して、預金増やして出世してるくせに偉そうにしやがって。ふざけんな!)とブチ切れ、犯行に及ぶんです。

でも、最新作の武井咲さんでは若すぎるし時代も変わったので、犯行動機が派遣というだけで正社員と理不尽に差別されるその怒りに、設定を変えてます。

で、小説の頃の銀行は、架空名義の通帳なんて意図も容易く作れましたし、5年後の1985年末あたりから、日本は後にバブルと命名された時代に突入の、銀行は我が世の春の時代。

でも1991年のバブル崩壊後、その銀行のずさんな経営が明るみに出て社会問題になり、税金が銀行に投入され大衆から顰蹙をかったり、鉄板と思われてた銀行の、よもやの統廃合が盛んになったわけです。

更に「黒革の手帖」の単行本が発売された翌1981年、現実にも女性銀行員による三和銀行(現:三菱UFJ)のオンライン詐欺事件が発覚!

婚期を逸した女性社員が、妻帯者の男に騙され1億8千万円もの金を架空名義口座に振り込み貢いだ、後に映画「紙の月」の題材にもなった事件が起き、これは金額の大きさもあり世間は騒然となったのも、「黒革の手帖」のドラマ化に一役買ってるかもしれないです。

ちなみに、この三和銀行オンライン詐欺事件の犯人の女性の名前は、字は異なりますが原口元子と同じ「もとこ」だったのは奇遇ですね〜。

だから!たかが「黒革の手帖」、されど「黒革の手帖」で、時代背景を振り返るには、とても面白い小説・物語なのです。

続く

「栄光のル・マン」は、最高のル・マン耐久レースのセミドキュメンタリー映画だと思う!


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「栄光のル・マン」の冒頭をあたらめて観返してみると、1970年公開の1969年の音楽フェスのドキュメント映画「ウッドストック」を彷彿させる、フランスのル・マンに集まる人々が描かれています。

勿論「栄光のル・マン」はドキュメントではない、ドキュメント仕立てのフィクションですが、それを楽しみに各地から集まる観客や、レース前のレーサーの姿がドキュメントの「ウッドストック」っぽい。

本物のル・マンの映像とフィクションを繋ぎ合わせたセミドキュメント映画なのですが、このレース場に集まってる観客は、本物なのかな?とても臨場感あふれる良い冒頭シーンと思います。

特にレーススタートの緊張感、直後の爆走するレースカーと排気音の臨場感は、当時映画館で観た時も今も家でPCで観ていても同じように鳥肌は立ちます。

前編に流れるフェラーリとポルシェのエンジン・サウンドは、レースファン、車マニアにはたまらないでしょうね〜。


ちなみにレーサー役、主演のスティーヴ・マックイーンは上映から36分過ぎまで、一言も台詞がない。やっと発したセリフもフォライバー交代のコックピットで、次のレーサーに車の調子を耳打ちするだけ。

マックイーンに限らず「栄光のル・マン」は、人間の台詞が極端に少ない映画で、本当に全編に渡りフェラーリとポルシェのエンジン・サウンドが響き渡り、車が走り回ってる映画!

まぁ〜スティーヴ・マックイーンの意向と、当初監督予定だった名コンビ!ジョン・スタージェスとは合わなかったようで、残念ながらスタージェスは監督を降板しております。

が、リー・H・カッツィン監督が撮影したカーレース主体の映像は、マックイーンは気に入ってたと思います。それこそレースカーとレーサーとコックピットのメカニックを黙々と描いてる映画ですから。

音楽もギャラは高かったであろう、巨匠!ミッシェル・ルグランなれど、基本、全編!レースングカーの爆音が鳴り響いてる映画なので、もっとギャラの安い無名の方でも良かったのではないかしら?

まぁ〜テーマソングは必要ですから、この辺はしょうがないですが。



ただ、結果的に多くの日本人にル・マン24時間耐久レースを知らしめた歴史的映画になった「栄光のル・マン」ですが、日本ではそれなりにヒットしましたが、本国アメリカでは興行的に大惨敗だったとか。

レースはフランスで行われる、ドイツのポルシェ対イタリアのフェラーリの戦いだし、1968年に車両規定が大きく変わりアメリカのワークス・フォードはル・マンから既に撤退していた。

当時は今よりも、なんでも世界一好きだったアメリカ人が、アメリカのメーカーの出ないレースに興味を示すとは思えないし、今にして思うとなんとなく「栄光のル・マンアメリカ人向きじゃない気がする。

まぁ〜ジョン・スタージェスが、爽快なレースシーンに壮大なラブロマンスを描けばヒット間違いないと思っていたように、アメリカで大ヒットするのは戦争映画でもなんでも、この壮大なラブロマンスもの。



でも、マックイーンは自らの強い意志でそれを全て排除し、前出の通りレースカーとレーサー、そしてコックピットのメカニックたちを刻々と追う、セミドキュメンタリーに「栄光のル・マン」をした。

だからアメリカでウケるわけがなかったのですが、「栄光のル・マン」のそのクールで硬派なセミドキュメンタリーに拍手を送り興行収益をそれなりに上げられた日本、日本人たちは私は凄いと思います。

だって今観ても「栄光のル・マン」は、カーレース映画の金字塔だと思うから。

そんな硬派なレースカーが主役の映画「栄光のル・マン」なれど、そこは綺麗どころ好きとしては注目したいのが、昨年のル・マン耐久レースで事故死したレーサーの未亡人、リサ役のエルガ・アンデルセン

リアルタイム、映画館で観た中坊の時から(綺麗な人だな〜)と思ってましたが、爺になって観てもやっぱり美しい!1935年2月生まれだから、撮影当時は35歳かな?今で言う美熟女だけど、しかし美人だ。

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この方、フランス映画の「死刑台のエレベーター」に出演していたから、てっきりフランス人だと長年思ってましたがドイツ人なんですね。ドイツからフランスに移ってモデルとして働きだしたんだとか。

まぁ〜品格ある端正な顔立ちのエルガ・アンデルセンですが、アドルフ・ヒトラーが自殺しドイツが第二次世界大戦で敗戦した時は10歳。パパは敗戦2週間前に国防軍に招集され行方不明になったとか。

敗戦後の大混乱のドイツを、少女だったエルガ・アンデルセンはママと生きたのですから、色々と大変だった事でしょうね。

結果的には持って生まれた美貌と、後から学習した英仏の語学のおかげで、フランスに単身で渡ってもエルガ・アンデルセンは生きてこられたのでしょう。

というわけで最後になりますが、日本車がル・マン耐久レースに初参加するのは1973年。「栄光のル・マン」上映から2年後の事でした。



 

映画「荒野の七人」のポスターの不思議について


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ジョン・スタージェス監督の「荒野の七人」は、1960年に公開された(日本公開1961年)アメリカ映画。

1954年作の日本の黒澤明監督の「七人の侍」が、アメリカ公開されたのが1956年。プロデュサーのルー・モーハイムがすぐに東宝からリメイク権を安価で買い、それをユル・ブリンナーがまた買い取ってます。

当初はユル・ブリンナーが監督をつとめようとしたぐらい、彼は「七人の侍」に入れ込んでいたわけですから、勿論!主役はユル・ブリンナー。「七人の侍」の志村亮氏が演じたリーダーの官兵衛役に当たります。

 



当然「荒野の七人」のオープニングで、最初に名前がピンで登場する役者はユル・ブリンナーで、2番目に登場するのが悪役カルベラを演じたイーライ・ウォラック

そしてスティーヴ・マックイーンが3番目にピンで登場と、「荒野の七人」は、このお三方が主演である事を示しています。

そして『The Magnificent Seven』のタイトルが出て、チャールズ・ブロンソンロバート・ヴォーン、ブラッド・デクスターとジェームズ・コバーンが連名で登場し終わると、後はwithで大勢の出演者の明記。

さて7人のガンマンの後一人、チコ役のドイツ人俳優ホルスト・ブッフホルツの名前がないなーと思っていると、ピンで出演者の最後に名前が登場します。

これ邦画でもよくある、物語の重要な役所の大物俳優や売り出し中俳優が、最後にピンで名前が登場するのと同じで、前出のお三方と、このホルスト・ブッフホルツが「荒野の七人」は主演扱いなわけです。

当時のホルスト・ブッフホルツは「ドイツのジェームス・ディーン」と呼ばれ、ハリウッドにやってきた注目の俳優だったそうですから。

 
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で、前置きが長くなりましたが、古の映画ファンにはお馴染みのこの↑「荒野の七人」のポスター(プログラム表紙も同じだった)。

でも、ネット上で『The Magnificent Seven』で検索しても、このデザインのものは諸外国で見つかりませんので、おそらく日本オリジナルと思われます。

また1970年代のリヴァイバル上映時は、当時、日本の男性化粧品『マンダム』のCMで大人気だったチャールズ・ブロンソンを真似、ご丁寧に髭を書き加えた同じポスターが使われました(笑)。

でも、2024年現在、「荒野の七人」最後の劇場リバイバル上映になった新宿ミラノ座隣の映画館(名前失念)で私が買ったプログラムの表紙は、このポスターのものは使われてなかった。

また、現在発売されている「荒野の七人」のDVDのジャケットにも、このポスターのものは使われておりません。



『The Magnificent Seven』で検索すると、諸外国もので最も見つけられるのが、↓こちらのデザインで、これはフランスからの輸入DVDです。


繰り返しますが「荒野の七人」はユル・ブリンナー主演映画で、イーライ・ウォラックスティーヴ・マックイーン、そしてホルスト・ブッフホルツの4人が主演扱いの映画。

でも、この日本製ポスターのユル・ブリンナー
ホルスト・ブッフホルツ、極端にとても小さくないかしら?

当時の日本の配給会社は、アメリカ製のオリジナルポスターが気に入らなかったのかしら?
 
このポスターを見る限り、「荒野の七人」の主役はスティーヴ・マックイーンで、ユル・ブリンナーホルスト・ブッフホルツの扱いは、あまりに不当だ(笑)。

まぁ〜「王様と私」の大ヒットがあったとは言え、ユル・ブリンナーが日本で人気の高かった俳優という印象はないし、それまで西部劇といえば日本人でもジョン・ウェインゲーリー・クーパー

今となれば、その斬新さは霞んでしまいましたが、「荒野の七人」はそれまでの西部劇とは明らかに違う映画で、7人のガンマン達は皆「訳あり」の今で言う陰キャラ。

ジョン・ウェインゲーリー・クーパーとはかなり違いますし、そもそも「荒野の七人」の舞台はスペインの農村。アメリカ西部で正義のタフマンが、ならず者、悪漢と対決する物語じゃない。

そのうえ、ユル・ブリンナーはそれほど日本で人気がない。さりとてスティーヴ・マックイーンとて、代表作になるような映画にはまだ出てなかった(荒野の七人がそれになった)。




でも!歴史を紐解くと、日本で「荒野の七人」が上映されたのは1961年で、この時!日本でもスティーヴ・マックイーン主演のテレビドラマ「拳銃無宿」が放映され、人気だったのがわかります。

東京オリンピック開催3年前の当時の日本で、テレビは高額な代物。輸入してくるアメリカ産のドラマは、今では信じられないほど、当時の日本で並み高視聴率の人気アイテムでした。

当時日本で大人気だった「ララミー牧場」は最高視聴率43,7%。ジェスを演じたロバート・フラーは日本でもの凄い人気で、来日時はそれはそれは国中が大騒ぎだったとか。

同じく最高視聴率43,4%の「ローハイド」出演者御一行様来日時も、同じく大騒ぎだったようで、当時ロディを演じたクリント・イーストウッドは、まだ映画界では代表作のなかった若手俳優
 
で、「ララミー牧場」「ローハイド」ほどではなかったにしろ「拳銃無宿」のスティーヴ・マックイーンも、日本ではテレビでお馴染みだった、このパターンでしょう。
 


更にそこまで視聴率は取れなかったようですが、チャールズ・ブロンソンも映画で有名になる前に、テレビドラマの、こちらは現代劇の「カメラマン・コバック」で主演しており、この放映が日本では1960年。

「荒野の七人」日本オリジナルと思われるポスターの、真ん中のスティーヴ・マックイーンの横は、そのチャールズ・ブロンソンです。
 
5人の顔の上の二人。銃を構えるはマックイーンで、ライフルを構えてるのもブロンソン

「荒野の七人」は後にオールスター映画的になりましたが、初上映時7人のガンマンでハリウッドスターだったのはユル・ブリンナーだけ。だから欧米のポスターは日本のものとは異なるのでしょう。

日本はテレビが偉かった時代で、ハリウッドスターのユル・ブリンナーより、テレビスターだったスティーヴ・マックイーン、そしてチャールズ・ブロンソンを目立たせた方が興行になる!

と、配給会社や広告代理店は思ったんじゃないでしょうかね〜?

そう考えると、この日本独自の謎の「荒野の七人」のポスターの俳優の配置は納得がいく。

 






春は8年ぶり7回目の出場。関東一に強い東京代表復活を期待する!


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2024年、春の選抜大会東京代表の関東一は春は8年ぶり7回目の出場。

関東一は1987年の2年連続2回目の出場時、決勝で結果春夏連覇になったPL学園に、1対7で敗れましたが、見事に準優勝しています。

この時のキャッチャーが、明治大→神戸製鋼に進み、バルセロナ五輪の銅メダルメンバーになった三輪隆氏で、三輪隆氏は1993年のドラフト会議で、当時のオリックス・ブルーウェーブに2位指名を受け入団。

2004年前まで現役を続け、その後は2020年までオリックス・バファローズ楽天ゴールデンイーグルスでコーチを務め、現在はオリックスのスコアラーをやられています。

決勝で関東一に勝ったPL学園のショートが、2024年現在、中日ドラゴンズの監督であり名球界理事の立浪和義氏。

まぁ〜この年のPL学園は、史上最強ではないかと言われるチームで、他に野村弘氏、橋本清氏、片岡篤史氏と4人のプロ野球選手を輩出した強豪校で、準々決勝で同じく東京の帝京に3対2でサヨナラ勝ち。

春夏連覇になった夏も準決勝で帝京を12対5でやぶり、決勝でも茨城の常総学院に5対2でPL学園は勝っており、東京・関東の人間には、誠に!憎いとても強いチームでした。



で、関東一は夏は8回出場していて、初出場は選抜準優勝の2年前の1985年で、こちらも史上最強はどちらかと言われるKKコンビ=桑田真澄氏と清原和博氏在学の、5季連続出場の3年最後の夏の大会でした。

初出場時は東京者でも関東一は馴染みのない校名でしたが、いきなり一回戦で猛打爆発!同じ初出場の京都の花園相手に12対1の圧勝!

西東京代表の有名な日大三が一回戦敗退した事もあり、猛打・強打の無名の関東一に東京者は注目すると、二回戦の国学院栃木、三回戦の日立一の関東勢を撃破し、なんと!準々決勝に進出しました。

準々決勝はまたしても関東の東海大甲府に7対8で敗れましたが、甲子園初出場で全国ベスト8の関東一は印象深い初陣で、その2年後には選抜準優勝!

それまで東京でも無名だった関東一は、僅か1年半で全国に名を轟かせる野球強豪校の仲間入りをしました。

しかしその後は、夏夏春と2回続けて関東一は一回戦負けが続きましたが、その後は夏2回準々決勝進出、春夏一度ずつ準決勝新進出と「強い関東一」は復活してますが、残念ながら決勝進出はなし。

東京代表は2011年夏に優勝した日大三以来、決勝進出がありませんし、春の選抜も2010年の同じく日大三の準優勝以来、決勝進出はありませんし、春の優勝は1992年の帝京以来ありません。

関東一は、2023年秋の明治神宮大会で準決勝で栃木の作新学院に敗れましたが全国堂々の!ベスト4。下馬評では優勝候補の一角に挙げられていますので、是非!「強い東京代表復活」を期待したいものです。

 

東海大相模の原辰徳氏3年最後の夏の大会は、無印の東京の桜美林が初出場初優勝を決めた!

それまで東京の桜美林は、選抜は2度出場してますが(共に1回戦敗退)、夏は初出場となった1976年。

東京が今のように東西2代表になって3年目、桜美林西東京大会を制し夏初出場。東東京も春の選抜は2度出場してますが、桜美林と同じく共に1回戦敗退。夏は初出場の日体荏原でした。

1976年の夏の大会は、2年前の夏に1年生で颯爽と登場した東海大相模原辰徳氏の3年最後の大会。春の選抜出場を逃している事もあって、注目は4度目の甲子園出場の原辰徳氏の東海大相模

とは言え、選抜も出場を逃し夏の神奈川県大会も準決勝、決勝も1点差の辛勝だった東海大相模より、優勝候補は春の選抜優勝校!春夏連覇を狙う広島の崇徳。次に選抜準優勝の栃木県の小山でした。

伏兵で春夏連続出場、3度目の甲子園出場になる赤嶺賢勇投手擁する沖縄の豊見城。酒井圭一投手擁する長崎の海星。大阪のPL学園、愛知の中京、千葉の銚子商あたりだったでしょうか。

という具合に東京者の私ですら、東西共に初出場の桜美林日体荏原は1回勝てば御の字ぐらいで、スポーツ紙も高校野球ファンも、全く桜美林日体荏原は注目されておりませんでした。

余談ですが桜美林を「オウビリン」とちゃんと読めた人は、全国は勿論、東京でも少なかったと思います。それほど大会前の桜美林は注目度は低かったです。






されど、1976年の選抜には東京代表で修徳が春は初出場しましたが(1回戦敗退)、桜美林はその修徳に1975年秋季大会準々決勝で3対4と逆転負けしてますから、決して東京で弱いチームではなかったです。

更に選抜後の春季東京大会でも、準々決勝で早実、準決勝で日大三を破って決勝進出するも、決勝で日大二に負け準優勝でしたが、日大二と共に関東大会に出場。

桜美林は決勝で埼玉の上尾を破って見事に優勝していますから、夏の西東京大会優勝はまぐれではなく実力だったと言えます。

で、大会は初日の第一試合から人気、注目の東海大相模登場で(釧路江南に5対0で勝利)、まぁ〜球場は若い女性ファン達の「はらく〜ん」の黄色い声援。

スポーツ紙も東海大相模原辰徳氏推し一色でスタートした大会で、大会2日目の第一試合は「怪物サッシー」と命名された海星の酒井圭一投手が延長の末、徳島の徳島商に勝ちマスメディアは大騒ぎでした。

そして大会3日目の第三試合から2回戦。

第四試合に登場したのが西東京代表の桜美林で、エースの松本吉啓投手は日大山形を見事に完封(4対0)。春夏通じて初めて♪イエスエスエスの、あの桜美林の校歌が甲子園で流れました。




残念ながら東東京の日体荏原は、星稜(石川県)の2年生エース!小松辰雄投手(後の中日ドラゴンズ)に完封され初戦敗退(0対1)。

そしてマスメディアが困ったのが、人気の!注目の!原辰徳氏の東海大相模が二回戦で春の選抜準優勝校の小山に、0対1で敗れてしまった事でしょう。

こうなるとマスメディアの注目は人気の酒井圭一投手の海星、赤嶺賢勇投手の豊見城推しになり、あとは崇徳(後の広島カープの山﨑隆造氏がいた)の春夏連覇なるか?にネタをシフトするしかなくなった。

強いと謳われていたPL学園も中京も銚子商(後の中日ドラゴンズ宇野勝氏がいた)も勝ってるので、春の準優勝校の小山相手とはいえ、もう少し東海大相模にマスメディアは勝ってほしかったでしょうね〜。

勿論、まだ!西東京代表の桜美林、勝ったとはいえ殆どマスメディアに注目されておりません。

3回戦は注目の酒井圭一投手の海星と崇徳、同じく注目の赤嶺賢勇投手の豊見城と小山が対戦し、選抜優勝校、準優勝校が揃って敗退。マスメディアの注目は、いよいよこの超高校級投手2人に絞られます。

一方、注目度0の桜美林は、こちらも強いと謳われていた兵庫の市神港に2対3と競り勝ち、なんと!準々決勝、全国ベスト8に進出!




準々決勝第一試合は、星稜対豊見城の超高校級投手同士の対戦らしい1対0の決着で星稜が勝ち、第二試合は優勝候補の一角だった銚子商を、またまた!無印の桜美林が4対2と破っての準決勝進出でした。

第三試合は前評判の共に高いPL学園対中京の対決をPL学園が制し(9対3)、第四試合は注目の酒井圭一投手の海星が東北を4対2で下し、星稜、桜美林PL学園、海星がベスト4進出。

繰り返しますが注目は超高校投手、酒井圭一投手の海星で、次が2年生エースの小松辰雄投手の星稜。PL学園は夏に準優勝が一度ありますが、まだ!あの!P L学園ではなく春夏通算優勝はない頃でした。

そして桜美林は、大体の人が名前も知らなかった学校で、こんな無名校がよくここまで勝って来た。たいしたもんだレベルの評価で、4校の中で最も優勝するとは誰も思ってなかった学校だったと思います。

ところが!その桜美林は、超高校級の小松辰雄投手を攻略。星稜に4対1で勝ち、なんと!あれよあれよで決勝戦進出。相手は、こちらも超高校級の酒井圭一投手を攻略し、3対2で海星をくだしたP L学園。

東京対大阪対決になった決勝戦は、まだ「逆転のPL」の前のPL学園に、7回に桜美林が追いつき、延長11回裏、センター前ヒットのノーアウトのランナーを出すと送りバントせずに強行!

打球はレフトのラッキーゾーンの金網に直接当たる大飛球。レフトは取れず、ボールを見失ってるうちに一塁ランナーは一挙にホームイン!

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4対3で、夏は初出場の伏兵、いや大会前は全くの無印だった桜美林が見事に初優勝を飾りました。

最後になりますが全試合完投した桜美林のエース松本吉啓投手は、明大→明治生命を経て指導者になり、野球部監督として埼玉栄で春夏1度ずつ、千葉経大付では春夏通算5度!甲子園に戻って来ています。

ちなみに、東海大相模のピッチャーだった村中秀人氏も東海大プリンスホテルを経由し、母校の東海大相模、山梨の東海大甲府の監督として、松本吉啓氏と同じく春夏甲子園に何度も戻って来ました。

 
 

1973年 江川卓投手は23連勝、 防御率0.00で選抜に登場した!


 



2023年現在、いまだに春の選抜高校野球大会奪三振記録(33イニング60奪三振)を持つ、1973年の作新学院江川卓投手の選抜大会、甲子園初登場までの試合を振り返ってみます。

《第25回秋季関東地区大会栃木県予選》

1回戦 ◯ 14-0 那須
先発5回無安打無失点(14奪三振/3四球)

準々決勝 ◎ 4-0 足利工
2安打完封(15奪三振/2四球)

準決勝 ◯ 9-0 宇都宮学園
先発6回2安打無失点(6奪三振/2四球)

決勝 ◎ 7-0 烏山
2安打完封(10奪三振/1四球)

《第25回秋季関東地区大会》

準々決勝 ◯ 10-0 東農大二
先発6回1安打無失点(13奪三振/1四球)

準決勝 ◎ 4-0 銚子商
1安打完封(20奪三振/1四球)

決勝 ◎ 6-0 横浜
4安打完封(16奪三振/無四球)

という具合に、江川卓投手擁する作新学院は秋季栃木県・関東大会を無失点で優勝。

作新学院は1972年秋の新チーム以来、練習試合含め23戦全勝という記録を引っ提げ、関東No.1校として選抜されています。

また、江川卓投手は投球回数53回、被安打12、奪三振94、奪三振率15.96 。失点0 、自責点0 。 防御率0.00という驚異的な成績で、遂に!甲子園に登場することになりました。

あとの選抜での快刀乱麻の『怪物伝説』は、あまりに有名なので、こちらではここまで。

ちなみに関東大会決勝戦の横浜は、今でこそ有名ですが、当時は春の選抜は初出場。夏は一回出場があるだけの、通算二度目の甲子園大会出場の、まだ全国的には無名高校でしたが、選抜で見事に優勝。

野球にも『たられば』はないですが、もし準決勝で広島商が捨て身のダブルスチールを敢行しなかったら、作新学院のキャッチャーがサードに悪送球しなかったら、作新学院広島商に負けなかったら、、、

決勝で横浜は、作新学院に勝てたでしょうかね〜?