ジャニーズは終わりと思った、1970年代末期の日本のロックシーン!

所謂『ロック御三家』と言われたチャー氏、原田真二氏、世良公則氏が、お茶の間で人気になったのは1977〜1978年頃。

1960年代後半にふってわいたグループサウンズブーム以降も、ダウン・タウン・ブギウギ・バンドやチューリップ等のエレキバンドが歌謡界でヒット曲を出しました。

が、ダウン・タウン・ブギウギ・バンドは曲調とつなぎルックの影響か?コミックバンド的な扱いで、チューリップは何故か?フォークと括られていたので、ロックイメージは薄かったですね。

だから『ロック』と言われる人たちが初めて芸能界でブームになったのは、『ロック御三家』のこの頃だったと言えるでしょう。


ちなみにキャロルも伝説となっていますが、当時のゴールデンタイムの歌謡番組にキャロルが出演できたほどのヒット曲はなく、ここで言うブームとは、お茶の間でのムーブメントのことを指してます。

1977年は当時のジャニーズのトップスター!フォーリーブスが、7年連続の紅白歌合戦の出場が途切れた年でもあり、続くジャニーズのアイドルスターが出るには出ていましたが、ブレイクしなかった時期。

というわけで、ジャニーズが最も弱体化していたのがこの時代で、『ロック御三家』は女の子達がジャニーズの代わりに飛びつく対象だったのかな?と思ったりします。

そのぐらい、それまでフォーリーブスや所謂『新御三家』の野口五郎氏、郷ひろみ氏、西城秀樹氏にキャーキャー言ってた女の子が、普通に『ロック御三家』にお熱になってましたから。

で、一番最初にエレキギターを抱えテレビに出てアイドル人気になったのはチャー氏で、曲は「気絶するほど悩ましい」。

次が原田真二氏の「てぃーんず ぶるーす」で、当時の原田真二氏は3ヶ月連続でシングルを発表しており、続いた「キャンディ」「シャドー・ボクサー」もヒット。

九州の1女の子だった後の松田聖子さんが、当時の原田真二氏に強烈にお熱だったそうです。 

image


そしてほぼ原田真二氏とレコードデビューは同じだった(1ヶ月遅れ)、世良公則&ツイストの「あんたのバラード」が発表され、こちらは世界歌謡祭のグランプリ曲という事もあり話題沸騰!

ヘドバとダビデの「ナオミの夢」から始まって、世界歌謡祭グランプリというのは、当時はヒットが約束されたようなもので「あんたのバラード」もしかり。大ヒットしました。

結果的に「ロック御三家」で最もヒット曲を連発したのは、この世良公則&ツイスト。

1978年は「宿無し」「銃爪」「性」、1979年になっても「燃えろいい女」、「SOPPO」とデビュー以来6曲連続でオリコントップ10入りさせており、当時の世良公則氏の女性人気は凄かったです!

グループサウンズからの人気者!ジュリー=沢田研二氏も三十路を迎える時期でもあり、所謂「新御三家」の野口五郎氏、郷ひろみ氏、西城秀樹より、当時の世良公則氏はアイドル人気がありましたね。

更に「ロック御三家」の凄かったのはシンガーソングライターだったところで(チャー氏の「気絶するほど悩ましい」の作者は違いましたが)、これがそれまでのジャニーズ系しかりでなかった現象でした。

自分達で曲を作る音楽家、ロッカーが、ジャニーズに変わってアイドル人気だったのが、この時代の特殊なところだったと言えます。

そんな1978年の紅白歌合戦に、世良公則&ツイスト(ツイスト名義)と原田真二氏は出場していますが、ジャニーズ系は出場者0。

そして、そんなある種の1960年代後半のグループサウンズブームの再来的な、ロックアイドル的な、そんな時代の最中にデビューしたのがサザン・オールスターズ。

サザン・オールスターズが1978年6月「勝手にシンドバッド」でレコードデビューし、曲はヒットしましたし、次の「気分しだいで責めないで」もそこそこヒットしました。

が、桑田佳祐氏の歌唱パフォーマンスもありましたが、まぁ〜当初はコミックバンド的な扱いだったのは否めなかったです。

サザン・オールスターズが、ちゃんとしたバンドだと認知されたのは、シングル第三弾のバラード「いとしのエリー」からで、当時はバラードやると上手いとか凄いとか言われてた時代だった単純な理由です。

1979年の紅白歌合戦にも世良公則&ツイストは2度目の出場すると、サザン・オールスターズも初出場しましたが、当時のサザンの桑田佳祐氏とツイストの世良公則氏の人気は段違いでした。

それほど当時の世良公則氏の女性人気は、凄かったです!

1978年には矢沢永吉氏の唯一の歌謡ヒットですが、資生堂のCMソング「時間よ止まれ」が大ヒット。

自著伝「成りあがり」もベストセラーになり、長者番付芸能界部門(1977年度)で見事に1位に輝いています。



矢沢永吉氏の成功により、これにて「ロックは金にならない」が定説だった1970年前後の黎明期と違い、1970年代後半は、はっきり「ロックは金になる」時代に突入したわけです。

同じく1978年末にはゴダイゴが、テレビドラマ「西遊記」の挿入歌「ガンダーラ」「モンキー・マジック」を連続ヒットさせ、1979年の紅白歌合戦ゴダイゴも初出場しています。

更には1978年末発売の柳ジョージとレイニーウッドの、これもテレビ「死人狩り」の挿入歌「雨に泣いてる」が大ヒット。

そんなこんなで1979年もロック勢は絶好調で、桑名正博氏が7月に鐘紡のCMソング「セクシャルバイオレットNo1」を発表すると、これも大ヒット! 

これにて日本のアイドルは終わった、ジャニーズ事務所にもう先はないだろうと思っていましたが、そうじゃなかったんですね〜(笑)。

1980年代になったら、やってきました!タノキントリオ!

ジャニーズが今のように芸能界で圧倒的な力を持ち、次々アイドル、アイドルグループを輩出するのは、このタノキントリオ以降で、終わるどころか大アイドル時代に突入したわけですね〜。