ヴィヴィアン・ウエストウッド。1970年代の英国のパンクムーブメントを仕掛けた凄い女性!

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1977年10月、イギリスのセックスピストルズがアルバム「勝手にしやがれ!」を発表。

日本の音楽業界、音楽評論家はこぞってこのイギリスのセックスピストルズ、パンクムーブメントが世界で盛り上がる!これからはパンクだ!と大騒ぎしました。

が、しかし、、、

当時の日本は空前のディスコブーム、映画とサントラ「サタデー・ナイト・フィーバー」が大ブレイクする前夜。それまでアングラ人気だった踊り場が、ディスコとして一般人気になる直前でした。

また、一般的には「フォークからニューミュージック」と誰が言ったんだか知らないですが、そんな風潮で後はアイドル歌手全盛。実際はディスコもパンクもロックも聴かない若者が殆ど(笑)。

 

エルヴィス・プレスリーが死亡しようが、マーク・ボランが死亡しようが、オリコン年間シングルチャートトップ10の4曲はピンクレディー。イギリスではベイ・シティ・ローラーズが大人気。

更に日本は大不況に喘ぐイギリスと違い、高度成長からバブルに向かって一直線の時代で浮かれ気分ですから、パンクなんて当時のナウなヤングと思ってる若者達は、聴きゃしなかったんです。


一方、一部の洋楽ロックファンはほぼ「テクニック志向」だったので、ハードロックやヘビーメタル、更にはこの頃から「ジャズとロックの融合」とやらのクロスオーバーが注目され、それに飛びついてます。

だから、自称「音楽通」らしい「テクニック志向」の若者たちも、AORなんてものも流行っていたので、歌も演奏も下手っぽいイギリスの兄ちゃん等のパンクなど鼻で笑って聴かない。

もしリアルタイムを知らず、後追いでパンクを好きになった信奉者の方、試しに周りにいる当時若者だった筈の2021年1月現在、60代の爺様婆様にパンクについて聞いてみると良いです。

まーず、びっくりするほど何も知らないですから(笑)。

 

山口百恵さん、ピンクレディーキャンディーズは詳しくても、ユーミン荒井由実さん、吉田拓郎氏、井上陽水氏、かぐや姫は知ってても、セックスピストルズもパンクも全く知らない。

ちょっと自称「洋楽通」でも、まぁ〜当時のディスコ、ウエストコーストが一般的で、後は昔のギター少年だったらしい爺様が、ちょっとしたハードロックバンドやギタリストを知ってる程度だと思います。

是非!お試しあれ。

日本のパンクブームは、時間差で1980年代に起きた!


でも、日本でパンクブームが起きなかったかと言えばそんな事はなく、それは遅れて1980年代です。

イギリスではパンクが廃れニューロマンチックが流行りだした、1980年代に若者だった2021年2月現在50代の洋楽好きだった人は、モロに!これにハマってますから、パンクもニューロマンチックも詳しい。

この層はセックスピストルズがデビューした頃は子供で、リアルタイムは知らなくても、思春期にファッショナブルでダンサブルなニューロマンチックにぶち当たってます。

若い人にとっては、50代のおっさん、おばちゃんも、60代の爺婆も、みんな同じに思えるでしょうが(私が若い頃はそうだったし)、思春期の数才の思い出の違い、ましてや10年違ったら相当!違うんです。

で、、、

とはいえ「日本で1970年代後半のリルタイム、パンクなんて流行ってなかった」論者の私でも、この人は凄いなーと思うのが、ヴィヴィアン・ウエストウッドという女性デザイナーであり実業家。

この女性こそが、マルコム・マクラーレンと共にパンクファンには釈迦に説法、イギリスでパンク、R&Rファッションのブティック「SEX」を立ち上げた女性で、セックスピストルズも二人で仕掛けた方です↓。

 
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日本でも表参道裏や北青山に店を構え、自身の名前をブランドにして世界展開してる、ヴィヴィアン・ウエストウッドは1941年生まれですから、2021年の今年80歳になります。

若い頃は美術教師を志し、 ウエストミンスター大学を卒業してますが、10代の時に彼女が衝撃を受けたのが、エルヴィス・プレスリー等のアメリカのR&Rムーブメント!

ジョン・レノンの1つ年下、ポール・マッカートニーより1つ年上の彼女もまた、生粋のロックンローラーだと言えます。

そんなヴィヴィアン・ウエストウッドも、そこは女性ですから最初の結婚で長男をもうけますが1965年、24歳の時に夫婦生活は破局

1965年たら、ザ・ビートルズ来日の1年前ですから相当昔の話で、日本でザ・ヴェンチャーズ、ジ・アストロノウツの空前のエレキブームが起きた年です。


ヴィヴィアン・ウエストウッドは、1967年になるとアナーキストマルコム・マクラーレンと出会い彼との間に次男を生み、この後、二人でイギリスのロックシーン、ファッションシーンに君臨しました。

 

当時の英米の若者達は、スゥンギングロンドンからヒッピー、フラワーチルドレンファッションで盛り上がっていた時代でしたが、ヴィヴィアン・ウエストウッドがやったのはR&Rリバイバル

 

その後の日本含め、英米のパンク、ヘビメタファッションの源流は、ヴィヴィアン・ウエストウッドだったと言っても過言ではないでしょう。当時は相当!斬新でした。

まぁ〜パンクムーブメントが終わってもヴィヴィアン・ウエストウッドは、精力的にデザイナーとして実業家として事業拡張を繰り返しています。

イギリス(バーミンガムグラスゴー、リーズ、リヴァプール、ロンドン、マンチェスターニューキャッスルノッティンガム、ヨーク)は元より、フランス(パリ)、イタリア(ミラノ)。

アジアの日本 、韓国(大邱広域市、ソウル)、中国(上海)、香港、マカオ、台湾(高雄市台中市台北市)、タイ(バンコク)、そしてロシア(モスクワ)とブランドの世界展開をしている凄い女性です。

金儲けの才能はあっても、金を使う才能のない者は破綻する。


私も爺になってこれは痛感しております。ヴィヴィアン・ウエストウッドは、デザイナーの才能も金儲けの才能も、そして金を使う才能もあった女性だと、間違いなく言えますね〜。

ー追記ー

ヴィヴィアン・ウエストウッドは、2022年12月29日、死因非公開で82歳で天寿天命を全うしました。合掌。