T・レックス、スージー・クアトロ、キャロルの1972~1974年

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T・レックスの「20センチュリー・ボーイ」は、1972年来日時に、日本の東芝EMIでレコーディングされたメイド・イン・ジャパンのグラムロックです。

T・レックスが日本でも大人気になったのは、その1972年。日本のサディスティック・ミカ・バンド、同年末公式レコードデビューしたキャロルが、日本のグラムロック的バンドと見られていました。

グラムロックは、英国で起きたR&Rリバイバルムーブメントの最中で起きましたからね。

まぁ〜、キャロルはファンの方なら釈迦に説法ですが、公式デビュー前のザ・ビートルズの真似をして革ジャン&リーゼントにしたわけです。

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革ジャン&リーゼントはジョニー大倉氏の提案だそうで、矢沢永吉氏は最後までリーゼントは反対だったそうですが、結果的にそのビジュアルが、流行りのグラムロックとリンクして話題になりました。

で、T・レックスと同じ頃、スージー・クアトロも日本と英国で特に大人気で、革のジャンプスーツに身を包みベースを弾き歌うスージー・クアトロは、本当にカッコ良かった!

 

まぁ〜当時はYouTubeレンタルビデオもないので映像を見れなかったので、雑誌「ミュージックライフ」やレコードのジャケットだけですけど。


というわけで、キャロルの矢沢永吉氏とスージー・クアトロは、当時の国内外のレザー姿でベースを持ってシャウトする超!有名なお二人でした。

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キャロル時代の矢沢永吉氏が、ベースを抱え腰をひき顎をあげ歌う仕草はポール・マッカートニーの影響と思われますし、歌唱中の合いの手というか煽りの巧みさもポール・マッカートニーの影響でしょう。

また、今の今まで矢沢永吉氏の口からスージー・クアトロの名前が影響受けたミュージッシャンででた事はないですが、キャロルと同時期に流行っていたスージー・クアトロを知らないわけはないですよね。

同じ黒のレザーでベースを抱えシャウトする矢沢永吉氏とスージー・クアトロって話のネタになってましたし。

そんなスージー・クアトロは、「エドサリバンショー」に出演したエルヴィス・プレスリーをテレビで観て、自分はこれをやると決めたほどプレスリーファン。

1968年のカムバックスペシャルで、エリヴィス・プレスリーはレザーの上下を身に纏っますから、その影響をスージー・クアトロが受けてないわけないですね。

 

また、同1968年に上映された映画「バーバレラ」のジェーン・フォンダの衣装の影響も、スージ・クワトロは受けて、自分の衣装を決めたとも述べてます。


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1974年、リリィさんが自ら作詞作曲し最大のヒットになった「私は泣いてます」を、テレビで歌う時、ベースを弾きながら歌ってたのは、当時人気のスージー・クアトロの影響だったでしょう。

そして日本公開2011年、ダコタ・ファニングシェリー・カーリーを演じたザ・ランナウェイズの伝記映画で、彼女たちがスージー・クアトロに憧れていた事が明らかにされてます。

そんなザ・ランナウェイズ時代からスージー・クアトロを信奉していたジョーン・ジェット↓は、ソロになってからも徹底してレザー、黒にステージ衣装はこだわり続けてるのが凄い!


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キャロル解散後の1976年のソロ活動開始頃の矢沢永吉氏の、レザーのジャンプスーツ姿しかり。

スージー・クワトロの話は矢沢永吉氏はしませんが、当時、日本で人気絶頂だったスージー・クアトロを知らなかったとは思えない(笑)。

まぁ〜聞かれればエルヴィス・プレスリーデヴィッド・ボウイの影響と答えるでしょうし、実際にそうかも知れませんが、私的には「スージー・クアトロみたいだな〜」と思ってました。

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で、T・レックスは1972年から73年にかけ日本でもヒットを連発させましたが、スージー・クアトロは若干遅れ、1973~74年にかけヒット曲を連発。

T・レックスとスージー・クアトロのヒット曲がかぶさるのは1973年の1年だけで、この1973年、キャロル唯一のシングルヒットと言える「ファンキー・モンキー・ベイビー」が発売された年でもありました。

で、T・レックスの日本でのブームというのは案外短く、既に「20センチュリー・ボーイ」の後ぐらい、1974年末頃には急激にその人気は下降。

一方、スージー・クアトロは1974年から78年まで連続来日を果たすほど、日本では抜群の人気を誇っておりました。

また、スージー・クアトロ親日家で、バンドメンバーと日本で和服姿の文金高島田で結婚式もあげ(後に離婚)、これは雑誌「ミュージック・ライフ」にも大々的に取り上げられました。

そして、日本の酒造メーカーのCMにも登場する程、スージー・クアトロは日本での人気も抜群でした。

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なので、人気が急に失速したT・レックスのマーク・ボランが急死した1977年も、スージー・クアトロは日本では未だ人気者。

一方、キャロルは1975年に解散。矢沢永吉氏はソロになって1976年から快進撃をはじめ、マーク・ボランが死亡した1977年には初の日本武道館でのソロライブを成功させ、その後は誰もが知る通りの大活躍。

思えば、キャロルのデビューのきっかけにもなったTV番組は、フジテレビ「リブ・ヤング!」。

そして「リブ・ヤング !」にも、初来日時のT・レックスは出演しており、まさかその5年後に、T・レックスが行った日本武道館矢沢永吉氏がソロライブを行うなど、誰も思わなかったでしょうね。

いや、T・レックスのマーク・ボランが若くして他界してしまうなど、少なくとも私は思いもしなかった。

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