ドゥービー・ブラザーズ初来日は1976年、アメリカ建国200周年の年でした。
この時までドゥービー・ブラザーズの中心人物は、シンガー&ギタリストのトム・ジョンストン。トム・ジョンストンのキャッチーでファンキーなリズムギターこそ、ドゥービー・ブラザーズって感じでした。
が、しかし、、、
1975年のツアー途中から、トム・ジョンストンはグループを離脱。1976年初来日時、当時のドゥービー・ブラザーズの顔だったトム・ジョンストンはいなかったわけです。
トム・ジョンストンは健康を害して入院、グループを離脱したと伝わってますが、その健康を害した入院理由は今も詳細は公表されてません。
結果的にトム・ジョンストンに代わって参加した、スティーリー・ダンから招聘したマイケル・マクドナルドが、この後、サウンド的に中心になったわけです。
が、初来日時の頃のマイケル・マクドナルドはトム・ジョンストン離脱期の、ただの助っ人感覚がバンド内もファンの間でもあったと思いますねー。
まぁ〜当時の日本で、そこまでドゥービー・ブラザーズのメンバーまで詳しかったファンが、どれだけいたかは疑問ですけど(笑)。
トム・ジョンストンの、バンド内の扱いが微妙だった時期
1975年のアルバム「スタンピード」も、前作の「ドゥービー天国」の4位に続く、全米ビルボードチャート最高位4位を記録する大ヒット。
なので、トム・ジョンストン欠席での、次のアルバムレコーディングは、レコード会社も他バンドメンバー達も、相当なプレッシャーだったでしょう。
で、新作「ドゥービー・ストリート」のA面1曲目は、如何にも!ドゥービー・ブラザーズっぽいリズムギターが楽しめる「運命の轍」。
勿論、トム・ジョンストン作&演奏ではなく、パトリック・シモンズとジェフ・バクスターの二人のギタリストの作です。
で、アルバム全9曲中8曲が、パトリック・シモンズ、ジェフ・バクスター、そしてマイケル・マクドナルド等の作品なのですが、1曲だけ、トム・ジョンストンの作品が入ってます。
だから、トム・ジョンストンは、このアルバムからもう復帰してるんです。
マイケル・マクドナルド加入後、即ブレイクしたわけじゃなかった
で、ニューアルバム 「ドゥービー・ストリート」は、全米アルバムチャート最高位8位と、まずますの成果。
これで、トム・ジョンストンが居なくても、バンドはやっていけると、レコード会社もプロデューサーのテッド・テンプルマンも、そしてバンドメンバーも自信を持ったのではないでしょうかしらね?
この時、トム・ジョンストンが復帰したことを、メンバー達はあまり歓迎してる感じしないんですよね。
スティーリー・ダンからやってきたマイケル・マクドナルド、ジェフ・バクスター、アルバム「ドゥービー天国」から参加のキース・ヌードセンはともかくとして、、、
「トゥールズ・ストリート」からのメンバー、タイラン・ポーター、ジョン・ハートマン、そしてデビュー アルバムからの盟友、パトリック・シモンズは、この時まだ在籍してました。
でも、デビュー前からの仲間、中心人物だったトム・ジョンストン復帰を「お帰り!」と歓迎してない。
その証拠が、1977年の、次のアルバム「運命の掟」のレコーディング。
復帰したトム・ジョンストンは、自身の作品を4曲も用意してるのに1曲も収録されておらず、トム・ジョンストンの名前がクレジットされたのは、「運命の掟」が最後になりました(再結成後は除く)。
何故か?復帰を歓迎されなかったトム・ジョンストン、この時に正式にバンドを脱退しています。
で、ニューアルバム「運命の掟」は全米アルバムチャー ト10位と、ちょっとづつ出すアルバムのチャート最高位が落ちてきたドゥービー・ブラザーズでしたが、まぁ、そこそこのセールス。
アルバム「ベスト・オブ・ザ・ドゥービーズ」の大功績!
で、、、
この頃ドゥービー・ブラザーズが発表したベストアルバム、「ベスト・オブ・ザ ・ドゥービー」が、アメリカでも日本でも大ヒット!
特に日本でドゥービー・ブラザーズの人気は、このベストアルバムで決定したと言えます。
特に、既に発表から数年たっていた「ロング・トレイン・ランニン」が、当時の踊り場で大人気になり、このムーブメントは1980年以降のサーファーディスコブームまで続く、ロングヒットになりました。
だから、この頃のドゥービー・ブラザーズの日本での評価は不思議でしたねー。もうトム・ジョンストンがいないのに、バンドはトム・ジョンストンの曲で踊り場で有名になって。
サーファーがカーステレオで、同じくトム・ジョンストン時代の名曲を集めた「ベスト・オブ・ザ ・ドゥービー」を流してね。でも、当時のニューアルバム「運命の掟」は聴かない(笑)。
とは言えドゥービー・ブラザーズは、「ホテル・カリフォルニア」と「グレイテスト・ヒット」が大ヒットしてたイーグルス と共に、LAの二大バンドと、この頃から日本で高く評価されるようになりました。
「ミニット・バイ・ミニット」が、マイケル・マクドナルド時代のバンドのピークだったねー、、、
そして、マイケル・マクドナルドが中心になったドゥービー・ブラザーズの評価を決定的にしたのは、1978年末に発表したアルバム「ミニット・バイ・ミニット」。
こちらは全米ビルボード アルバムチャート1位!、シングルカットされた「ホワット・ア・フール・ビリーヴス」も、シングルチャートで1位!
更には、第22回グラミー賞最優秀レコード賞、最優秀楽曲賞を受賞。
と・こ・ろ・が!
人気が頂点に達した新ドゥービー・ブラザーズだったのに、今度はジョン・ハートマンと、バンドの顔になりつつあったジェフ・バクスターが脱退。
しかも、既に脱退してたトム・ジョンストンが、ゲストで1曲、ボーカルで「ミニット・バイ・ミニット」にも参加していました。
なので、どうもこのトム・ジョンストンに対するバンドメンバーやプロデューサー 、レコード会社の扱いが、よくわからないですねー。
ところが、これほどメンバーチェンジの多いドゥービー・ブラザーズなのに、今も昔も殆どバンドメンバーの不仲説が聞かれません。
伝説の恨み節とか、金のトラブルとか、メンバー同士の確執、本当に全く聞こえてこないんですよねー。
そしてそのトム・ジョンストンは、1979年にソロアルバム「Everything You've Heard Is True」を発表。
プロデュースは、ドゥービー・ブラザーズと同じテッド・テンプルマン。レコーディングには、ドゥービー・ブラザーズのキース・ヌードセンも参加してます。
そこで、これは私が勝手に思ってるだけですが、アメリカのショービジネスはビジネスですから徹底した金儲け主義!
R&Bやソウル系のグループにありがちな、グループの名前は既に浸透してるので、ピンでも売れそうなグループの顔はソロにさせ売り、そしてグループはグループで売る。
そうすればレコード会社や興行師、プロダクションは「一粒で二度美味しい」。当時のドゥービー・ブラザーズ、これやったんじゃないかな?と勝手に思ってます。
病気でトム・ジョンストンが抜けても、来日公演しかりですが、ドゥービー・ブラザーズはライブツアーも盛況だしレコードもそれなりに売れた。
だから、人気のトム・ジョンストンをグループに復帰させるよりピンでやらせた方が、「一粒で二度美味しい」(笑)。
これはあくまでも、これはボクの憶測で、そんな証言はないですけど。
でも、なんか皆さん大人なんですよね、ドゥービー・ブラザーズって。
ドゥービー・ブラザーズのパブリックイメージは、ワイルドなんですけど、とてもミュージッシャンとして、音楽をビジネスとして割り切ってる感、契約の段階でしっかり色々話がついてる感を私は感じます。
で、日本でも人気爆発だったドゥービー・ブラザーズの、待望久しい!2年ぶりのアルバムが、1980年に発表。ニューアルバムは「ワン・ステップ・クローサー」。
人気絶頂期に解散表明したドゥービー・ブラザーズ!
ゲスト参加の多いドゥービー・ブラザーズのアルバム でしたが、こちら「ワン・ステップ・クローサー」は更に!ゲストが多いです。
更にはジョン・マクフィー、コーネリアス・バンパス、チェット・マクラッケンと新バンドメンバーも3人。
だから、、、
なんか、スタジオミュージッシャンを集めた、スティーリー・ダンみたいに、ドゥービー・ブラザーズもなっちゃって、バンドって感じがなくなったと私は思ったものでした。
私的にはちょっと散漫な印象を受けたので、私は好きなアルバムではないですが、そこは人気グループの2年ぶりのアルバム、全米アルバムチャート最高位4位の好セールス!
ところが、このアルバム を最後に、また一人!ベースのタイラン・ポーターが脱退し、売れっ子スタジオミュージッシャンのウィリー・ウィークスが加入。
そしてボビー・ラカインドが、更に新たにドゥービー・ブラザーズに参加したことにより、バンド色は本当に薄まった感じでしたねー。
矢沢永吉氏とドゥービー・ブラザーズの関係とは、、、
で、ここで登場するのが日本の矢沢永吉氏!
1981年、単身渡米した矢沢永吉氏のニューアルバム「YAZAWA」のプロデュースが、ドゥービー・ブラザーズに入ったばかりのそのボビー・ラカインドと、リトル・フィートのポール・バレア。
録音メンバーにはジョン・マクフィー等も参加しており、1982年の矢沢永吉氏の日本ツアーにもボビー・ラカインド、ジョン・マクフィー、そしてキース・ヌードセンの3人が参加しています。
まぁ〜矢沢永吉氏の仕事だけに限らず、この当時のドゥービー・ブラザーズのメンバー、個々の仕事が増えていたよう(というか、元々そういうスタンスのミュージッシャン達だったから)。
なので、ちっともニューアルバムの制作に入ったというニュースが聞こえてこない。
そんなこんなの頃、唯一のオリジナルメンバーになってしまったパトリック・シモンズはバンドの休止を提案。既にメンバーはスタジオミュージシャン集団ですから、これに異を唱えるわけもない。
ドゥービー・ブラザーズは、トム・ジョンストンや初期のメンバーも参加した大規模な解散ツアーを1982年に敢行。
そのライブ模様を収めたライブアルバムを発表し、ドゥービー・ブラザーズは遂に解散しました(その後、再結成しますが)。
そして再結成後も、グループ内のスタンスは変わらなかったドゥービーズ!
結局、再結成後は別にし、ウィリー・ウィークスとボビー・ラカインドは、この解散ライブアルバム以外スタジオ録音はドゥービー・ブラザーズで未経験のうちに、バンドが解散してしまったのは残念でした。
特にウィリー・ウィークスのベースで、ドゥービー・ブラザーズのオリジナル新譜、聴いてみたかったですね〜。
再結成後、ドゥービー・ブラザーズはトム・ジョンストンとパトリック・シモンズのオリジナルメンバー二人を中心にした活動をしてます。
が、後のメンバーは皆様「大人」なので、出たり入ったりが相変わらず激しいバンドです(笑)。
このへん特に再結成後は、主にドナルド・フェイゲンとウォルター・ベッカー中心にした、スティーリー・ダンのスタイルを、ドゥービー・ブラザーズは完全に踏襲してると言えますね。