
まぁ〜フュージョンという言葉がなかった、クロスオーバーと呼ばれていた1976年11月に結成されたインストバンド、ザ・スクェア。
リーダーの1954年生まれの安藤正容氏は当時22歳。この世代のインストバンドで結成が最も早かったのが、1956年生まれの和田アキラ氏率いるプリズムで、1975年とザ・スクェアの1年前でした。
知る人ぞ知るスペースサーカスの結成もザ・スクェアと同じ1976年で、1957年1月1日生まれで学年は和田アキラ氏と同じの野呂一生氏率いる、カシオペアの結成は1977年。
まぁ〜シンクロニシティというかなんというか、似たような趣向のバンドが同時期に結成されているのは面白いのですが、スペースサーカスの佐野行直氏も和田アキラ氏も野呂一生氏も「東京の子」ですが、安藤正容氏だけが愛知県からの上京組で、しかも他のお三方より年齢がちょっと上です。
1954年生まれというと、ザ・スクェア結成当時は既にプロとして活動していた1955年生まれのチャー=竹中直人氏よりも1歳年上で、1953年生まれの高中正義氏の1歳年下(早生まれなので、学年は2つ下)。
初期プリズムのメンバーで、元四人囃子の森園勝敏氏も1954年生まれですが早生まれなので学年は1学年上になりますが、安藤正容氏はあの辺の方々と年齢は近いギタリストなんですね。
まぁ〜他のプロで既に活動し、その人ありとも言われていた方々に比べると、安藤正容氏は明治大学の学生だった事もあるのでしょうか?デビューは遅れています。
で、このクロスオーバーブーム時代、最も注目されていたのは既に有名バンドだった四人囃子の森園勝敏氏が参加していた事もあり、和田アキラ氏とのツインギターのプリズム。
そのプリズムのレコードレビューは1977年で、次がスペースサーカスとザ・スクェアの1978年。カシオペアが少し遅れて1979年ですが、スペースサーカスとザ・スクェアは注目度は低かったですね。
プリズムはレコードデビュー前に、エリック・クラプトンの来日公演の前座をやっていましたし、繰り返しますが既に有名だった森園勝敏氏が加入したバンドという事で注目度は抜群!
カシオペアもヤマハの全国的なコンテストで最優秀グループ賞を受賞、野呂一生氏は2年連続で最優秀ギタリスト賞を受賞しているほどで、デビューは鳴り入りでした。
そして、この東京の若きクロスオーバー世代のスペースサーカス、プリズム、カシオペアは既にプロで活動されている諸先輩方にも注目されており、デビュー前から交流もしています。
一方、ザ・スクェアは同じインストバンドでも他のグループがギターバンドだったのに対し、リード楽器が伊東たけし氏の吹奏楽器だった事もあり、所謂ギターキッズからの注目度も低かったグループだったように記憶しております。
また、当時はインターネットもない時代ですから、やはりマスメディアと大企業のバックアップがあるとないとでは大違い。
プリズムの和田アキラ氏が速弾きを披露するグレコのCMは強烈で、カシオペアもレコードデビューまでは紆余曲折ありましたが、オーバーダヴィングながらデビューアルバムから、ブレッカー・ブラザーズ、デイヴィッド・サンボーンが参加と話題性抜群!(レコード会社の意向だったようですが)。
そんなカシオペアがお茶の間にまで浸透したのが、日本航空のCMで使われたシングル「I LOVE NEW YORK」。デビューしていきなりカシオペアは音楽ファンだけでなく、広く一般的に知られました。
まぁ〜ザ・スクェアもしかりですが、クロスオーバーグループはメンバーチェンジが激しくて、メンバーチェンジのなかったスペースサーカスでしたが、アルバム2枚を残し解散。
大きな商業的成功もなく、一般的には知られていないスペースサーカスですが、今もコアなファンには幻の超絶テクニックバンドとして伝説になっています。
一方、話題性も人気もあったプリズムですが、アルバムを出すたび、一般的な音楽ファンにはちょっと厳しいサウンドを追求し出し、お茶の間にまで浸透していたカシオペアとは、人気で差が出てきました。
良くも悪くも、やはりレコードを沢山売るにはコアな音楽ファン以外、ライブハウスに足を運ぶファン層意外にアピールしないとダメなわけで、まずこの商業的な成功はカシオペアが仕留めたと言えます。
というわけで、プリズム、カシオペア、スペースサーカスとは全く別方向からデビューしたザ・スクェアはと言えば、タモリ氏や松任谷由実さんとのコラボレーションをやったりしており、徐々に人気は上がっていましたが、当時のカシオペア、或いは高中正義氏の人気の比ではなかったと記憶しております。
ザ・スクェアがお茶の間でも有名になるのは、1984年の既に8枚目のアルバム「ADVENTURES」から、「ALL ABOUT YOU」と「TRAVELERS」の2曲がサントリーホワイトのCMソングに起用されてから!
フロントの伊東たけし氏のルックスも注目されたこのCMにより、アルバム「ADVENTURES」は異例の大ヒットになり、ザ・スクェアの人気はここでカシオペアに並んだと言って良いでしょう。
何にしても伊東たけし氏が、このルックスではなくもっと不細工なデブだったら、サントリーからこの仕事が来ることはないですし、当時ザ・スクェアと言えばやはりフロントの伊東たけし氏。
伊東たけし氏のルックスの良さと人気なくして、当時のザ・スクェアのブレイクはなかったでしょうし、ちょっと所謂クロスオーバーからフュージョンブームの最盛期とザ・スクェアの人気爆発はズレています(勿論、それなりの人気も名声も既にありましたが)。
更に!そんなザ・スクェアの人気が大爆発して大変なことになるのは、もうフュージョンブームは終焉したバブル絶頂期の1987年。
通算12枚目のアルバム「TRUTH」からのタイトルナンバーが、フジテレビでの「F1グランプリ」のテーマソングに起用され、ふってわいたF1ブームに、見事に!ザ・スクェアは乗ったんですね〜。
繰り返しますが多くのレコード(CD)を売るには、コアな音楽ファンだけを狙っていても売れません(狙ってもなかなか売れませんが。苦笑)。昨日まで松田聖子さんや中森明菜さん、ジャニーズを聴いていた普通の人たちに買ってもらわなければ、オリコンチャートトップ10入りなど夢の夢。
このF1ブームに乗った「TRUTH」は、それまで ザ・スクェアもフュージョンも知らない層まで飛びつきましたから、2023年現在、推定60代前半から40代後半の方までの方で、「TRUTH」を知らない人はいないでしょう。
仮に「TRUTH」というタイトルを知らなくても、ザ・スクェアというグループ名を知らなくても、「TRUTH」のあの!有名なイントロを聴けば、「あ〜あ〜!これか」となるでしょう。
インターネットの時代、それが良かったのか悪かったのかわかりませんが、かつてのヒット曲はCMやテレビドラマの主題歌に起用されたものが多く、「TRUTH」もそんな時代の産んだ曲だったと言えます。
まぁ〜 「TRUTH」のヒットがなかったら、ザ・スクェアはカシオペアと並ぶ、1980年代初頭から中盤にかけてのフュージョンブームの人気バンドという位置付けの、ある種の音楽ファンの中の思い出のバンドだったと思いますが、「TRUTH」のヒットにより、それを超越していますね。
私的この現象は、音楽なんて全く興味も関心もない、音楽は歌謡曲しか知らない層でも、プロレスのファンクスのテーマ曲に起用されたクリエイションの「スピニング・トー・ホールド」は知っていると同じだと感じております。
方やF1で方やプロレス。その音楽を聴くとその映像が脳に浮かび、そしてその自分の青春時代、青年時代までも思い返す!
まさに!玉置宏氏の名調子ではないですが「歌は世につれ世は歌につれ」。ザ・スクェアの「TRUTH」 は、そんな1曲だと言えるでしょう。