
1976年に公開されたマーティン・スコセッシ監督の「タクシードライバー」で、売春婦を演じたジョディ・フォスターは↑撮影当時13歳でした。
そしてこのスクリーンの中の13歳のジョディ・フォスターに、一目惚れしてしまった7歳年上のオクラホマの裕福な家庭に育った白人青年、ジョン・ヒンクリー。
映画「タクシードライバー」に、ロバート・デ・ニート演じるトラヴィスが、次期大統領候補を襲撃しに行きますが、モヒカンにサングラス姿がシークレット・サービスに怪しまれ失敗するシーンがあります。
ジョン・ヒンクリーのジョディ・フォスターへの偏執的な愛は日に日に強まり、1981年、歴史上の人物としてジョディ・フォスターと同等になる為に、遂に当時のレーガン大統領を襲撃、、、。
ジョン・ヒンクリーが「タクシードライバー」のトラヴィスを真似たのは、間違いないでしょう。
そんなジョン・ヒンクリーはザ・ビートルズの大ファンで、前年12月ニューヨークの自宅前で射殺されたジョン・レノンの追悼集会に参加したばかりの、ソングライター志望の男でもありました。
三兄弟の末子のジョン・ヒンクリーは、25歳になると石油会社を運営する父親から幾ばくかのお金を渡され、自立することを命じられ家を出されますが、そのまま彼はレーガン襲撃計画を練り出しています。
ジョン・ヒンクリーは元々は秀才だったそうですが、大学に入ってぐらいから精神が病んできたそうで、国内外問わず、成人超えたバカな倅を持つ親も対応は難しいですね。
ワシントンD.C.のヒルトン・ホテルでのレーガン演説後、ホテルを出ようとしたところで、待ち構えていたジョン・ヒンクリーは回転式拳銃を続けざまに6発発射。
弾丸は大統領用車両に跳ね返ってレーガン大統領の胸部に命中し、報道担当官のジェイムズ・ブレイディ、警官のトマス・デラハンティ、シークレット・サービスのティモシー・マッカーシーにも当たり負傷しています。
レーガン大統領もフレンディ報道官も一命は取りとめましたが、フレンディは左半身付随の車椅子生活を余儀なくされる、痛ましい襲撃事件でした。
犯人のジョン・ヒンクリーは逃亡しようともせず、その場で身柄を拘束。
が、しかし、当時はまだ米ソ冷戦、東西冷戦真っ只中です。
レーガンは対ソ連に関して厳しい政治を打ち出しており、強いアメリカ復活を旗印にしていた事もあり、ソ連側は新しいアメリカ大統領の言動に神経がピリピリしていた時期。
ソ連のアフガニスタン侵攻を理由に、日本も巻き込まれた1980年のモスクワオリンピックボイコットをアメリカがやった、この事件は翌春の出来事ですから、 米ソ共に一時は緊張状態になりました。
当然アメリカは、ソ連のKGBのスパイ・工作員絡みの犯行ではないかと邪推し、ソ連側もアメリカは因縁つけてソ連を攻撃すると、銃撃後は米ソ全面核戦争の危険もなかったとは言えない。
というわけで、ジョン・ヒンクリーは世界にとっても極めて物騒な男でしたが、動機は政治でもテロでもなんでもない、ジョディ・フォスター愛、、、。
結局、ジョン・ヒンクリーは、ありがちですが頭がおかしいって事で、責任能力がないと何と!無罪。頭のおかしい男でも、簡単に銃が手に入るアメリカって、どうなんでしょうね〜。
頭がおかしいから責任能力はないとしても、ジョン・ヒンクリーはワシントンD.C.の聖エリザベス病院に強制隔離入院。
そして襲撃事件から18年後の1999年に、ジョン・ヒンクリーは両親の監督下に仮退院を許可され、2000年には監督なしでの仮退院が許可されました。
そんなこんなで襲撃事件から35年後の2016年7月に、ジョン・ヒンクリーは放免。以後母親と同居しているそうですが、2021年現在彼は66歳ですが、ママはお元気なのでしょうかしらね〜。