キャリー・フィッシャーが死んだ翌日、ママのデビー・レイノルズもこの世を去っていた

2016年12月27日、映画「スターウォーズ」のレイア姫役で有名な、キャリー・フィッシャーが心臓発作で、60歳で急死したのは当然ニュースになりました。

が、その翌日、彼女のママのデビー・レイノルズ脳梗塞で亡くなったのは、あまりニュースにならなかったですね。

デビー・レイノルズを知らなくても、日本公開1953年の有名なミュージカル映画雨に唄えば」で、ジーン・ケリーと共演した女の子と言えば、映画は観てなくても、なんとな〜くわかる女優でしょう。

デビー・レイノルズは、1964年には後に映画「タイタニック」で、キャシー・ベイツが演じた、本物のタイタニックの生存者モリー・ブラウンを描いた「不沈のモリー・ブラウン」で、彼女を演じています。

 

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また、若き日のデビー・レイノルズが放った、1957年の大ヒット曲「タミー」は全米チャート5週連続1位の大ヒット曲で、オールディーズ、50'sファンにはお馴染み。

娘のキャリー・フィッシャーは、その大ヒットの前年1956年にデビー・レイノルズの最初のご主人、エディー・フィッシャーとの間に生まれています。

ちなみにエディー・フィッシャーは歌手で、代表曲は「オー・マイ・パパ」(1954年全米チャート1位)。日本でも雪村いずみさん等、多くの方がカバーし大人気の曲でした。

というわけで、キャリー・フィッシャーは当時の華やかなりしアメリカ芸能界のサラブレッドとして生まれてきたわけで、後にジャージ・ルーカスが彼女をレイヤ姫に決めたのは、この血筋にあったとか。

他人様を顎でこき使う、生まれ持った姫君には、うってつけだと思ったとか思わなかったとか(笑)。

また、巨匠!映画評論家の町山智浩さんによれば、オーディションに最後まで残ったもう一人のジョディ・フォスターは可愛った。

だから、旦那が手を出す事を心配したジョージ・ルーカスの奥様が嫌ったので、あまり可愛くなかったキャリー・フィッシャーに決まったと言っております。

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とはいえキャリー・フィッシャーのパパとママはすぐに離婚。パパのエディー・フィッシャーは、この後エリザベス・テイラーの4人目の旦那になり(その後、離婚)、デビー・レイノルズも再婚離婚再婚。

ちなみにジョージ・ルーカスの「アメリカングラフィティ」では、映画で使われた古のオールディーズの中に「タミー」も「オー・マイ・パパ」も使ってないので、ルーカスは2曲とも嫌いだったのでしょう。

というわけで「スター・ウォーズ」の大ヒットによって、キャリー・フィッシャーも両親と同じように有名になるわけですが、両親の血を引いているからなのか?男出入りの激しかった女性でした。

結婚歴はサイモンとガーファンクルの、あのポール・サイモンタレントエージェントのブライアン・ラードの二人だけでしたが、何かと浮き名を流してましたし、ドラッグなどにも溺れていたとか。

で、キャリー・フィッシャーが晩年、原作、脚本を手がけた自伝的映画「ハリウッドにくちずけ」の監督は、あのアメリカンニューシネマの金字塔「卒業」のマイク・ニコルズ

「卒業」の挿入歌はサイモンとガーファンクルだったのは、あまりに有名ですね。この辺は奇遇というかなんというか、人の人生は縁で結ばれてるものだと思ってしまいます。

というわけで最後に、キャリー・フィッシャーも出演していた名探偵ポアロ映画「死海殺人事件」↓。