ザ・ビートルズ旋風前に、アメリカではスキヤキ、サーフロックブームがあった!


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ザ・ビートルズが本国イギリスでレコードデビューしたのは1962年10月ですが、アメリカで大ブームになるのは1964年とタイムラグがありました。

まぁ〜ザ・ビートルズ以降、イギリス勢のアメリカ進出は当たり前になりましたが、それまでイギリスの音楽はアメリカではウケず、イギリス勢初のアメリビルボード1位獲得はザ・ビートルズ

その、ザ・ビートルズの邦題「抱きしめたい」(I Want to Hold Your Hand)がビルボードチャート1位を獲得したのは1964年2月1週で、7週連続1位を記録後、続いて「シー・ラブズ・ユー」が2週連続。

続いて「キャント・バイ・ミー・ラブ」が5週連続1位と、2月1日から5月2日まで3ヶ月間ザ・ビートルズの曲が全米1位を獲得する大事件が起きたのが、1964年でした。


更には、こちらも伝説になってますが、4月4日は1位「キャント・バイ・ミー・ラブ」、2位「ツイスト・アンド・シャウト」、3位「シー・ラブズ・ユー」、4位「抱きしめたい」5位「プリーズ・プリーズ・ミー」の1~5位まで、ザ・ビートルズの曲が独占する大事件も起きています。

というわけで1964年にロック、音楽の歴史は変わったわけですが、まぁ〜当時の日本はザ・ビートルズよりも同年10月開催の東京オリンピックムード一色だったでしょう。

日本もアメリカ同様、ザ・ビートルズのレコードデビューは1964年と遅れておりますが、日本では更に!ザ・ビートルズよりも、ザ・ヴェンチャーズによる空前のエレキブームが1985年に起きてます。

勿論、1966年のザ・ビートルズ来日は大ニュース、大事件で、日本武道館でのライブのテレビ視聴率は56,5%と驚異的な数字でした。


まぁ〜そんなこんなで、英米日ではザ・ビートルズデビューは異なり、そのブームもタイムラグがあるわけですが、そのイギリスのザ・ビートルズよりも先に日本の曲がビルボード1位を獲得していました。

それが有名な、坂本九氏の歌う「上を向いて歩こう」を「SUKIYAKI」と題した曲がそれで、1963年の6月3週から5週まで3週連続でビルボード1位を獲得してるのは、日本人には誉と思います。

ただ、残念ながらザ・ビートルズに続いたイギリス勢と違い、日本は「SUKIYAKI」に続くことはできず、この辺は、当時の日本のレコード会社に世界進出という概念がなかったからかもしれませんね。


というわけでイギリスのザ・ビートルズ旋風の1年前に、日本の「SUKIYAKI」ブームがアメリカでは起きていたわけで、更に忘れていけないのがサーフロック!

7月3週にジャン&ディーンの「サーフ・シティ」が2週連続でビルボード1位に輝いており、この曲はザ・ビーチ・ボーイズのブライアン・ウイルソンが関わっています。

同年、そのブライアン・ウイルソンザ・ビーチボーイズは春に「サーフィンUSA」がビルボード最高位3位、秋に「サーファー・ガール」を7位と、サーフィンソングをランクインさせ大ブレイク。


1963年と言えば、イギリスではザ・ビートルズが大変なことになっていたわけですが、まだ1963年のアメリカでは何も起きておらず(日本も)、1963年は振り返ると面白い年だったと思われます。

映画「アメリカン・グラフィティ」は1962年の夏の、とあるアメリカの地方都市の若者達の1日を描いてますが、これはザ・ビートルズの公式レコードデビューが1962年10月だからその直前の設定。

でも、まぁ〜アメリカでザ・ビートルズ旋風が起きたのは1964年ですから、設定は1963年でも良かったと思いますが、やはりジョージ・ルーカスはルーカスなりに、思う所があったのでしょう。

もし「アメリカン・グラフィティ」が1963年設定だったら、ルーカスは果たして「SUKIYAKI」を挿入歌に使ったか?ルーカスと会えるレベルの映画評論家の方、聞いてみてほしいな〜。