1965年
42本 王 貞治(読売ジャイアンツ)同年:本塁打王・打点王
29本 江藤 慎一(中日ドラゴンズ)
25本 黒木 基康(大洋ホエールズ)
1966年
48本 王 貞治(読売ジャイアンツ)同年:本塁打王・打点王
26本 長嶋 茂雄(読売ジャイアンツ)
26本 江藤 慎一(中日ドラゴンズ)
1967年
47本 王 貞治(読売ジャイアンツ)同年:本塁打王・打点王
34本 江藤 慎一(中日ドラゴンズ)
33本 D・スチュワート(大洋ホエールズ)
1968年
49本 王 貞治(読売ジャイアンツ)同年:本塁打王・首位打者
40本 D・ロバーツ(サンケイアトムズ)
39本 長嶋 茂雄(読売ジャイアンツ)
1969年
44本 王 貞治(読売ジャイアンツ)同年:本塁打王・首位打者
37本 D・ロバーツ(アトムズ)
33本 木俣 達彦(中日ドラゴンズ)
1970年
47本 王 貞治(読売ジャイアンツ)同年:本塁打王・首位打者
30本 木俣 達彦(中日ドラゴンズ)
22本 長嶋 茂雄(読売ジャイアンツ)
1971年
39本 王 貞治(読売ジャイアンツ)同年:本塁打王・打点王
34本 長嶋 茂雄(読売ジャイアンツ)
33本 D・ロバーツ(ヤクルトアトムズ)
1972年
48本 王 貞治(読売ジャイアンツ)同年:本塁打王・打点王
34本 田淵 幸一(阪神タイガース)
29本 衣笠 祥雄(広島東洋カープ)
1973年
51本 王 貞治(読売ジャイアンツ)同年:三冠王
37本 田淵 幸一(阪神タイガース)
33本 J・シピン(大洋ホエールズ)
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1965~1973年、読売ジャイアンツV9時代の王貞治氏の連続本塁打王が、最も危なかったのが1969年で、この年はアトムズのD・ロバーツが絶好調で、8月半ばまでなんと!打撃三部門全てでトップ!
ところがゲーム中に負傷してしまい(ベースカバーの投手と激突)、復帰までに3週間もかかってしまい、結果的に本塁打も打率も王貞治氏に、打点も長嶋茂雄氏と王貞治氏に抜かれる悲運でした。
1969年から東京六大学の天才ホームランバッター!田淵幸一氏が登場しますが、1年目は22本(新人王)でしたが、2年目は頭部デッドボール、3年目はその後遺症と病で、試合出場は89試合、88試合止まり。
4年目の1972年に初めてリーグ2位、翌年も2位でしたが、その本塁打数は全く王貞治氏には及びませんでした。
田淵幸一氏がシーズン40本塁打以上放ったのは生涯で3回。1980年での西武ラインズを別にすると、読売ジャイアンツV10逸の1974年の45本。そして王貞治氏の連続本塁打王を13年で止めた1975年の43本。
まぁ〜王貞治氏の凄いのは、1976年には49本塁打を放ち本塁打王を奪回すると(田淵幸一氏は39本)、翌1977年も50本塁打を放ち、2年連続通算15回目の本塁打王を獲得したところです。
で、改めて資料を眺めると、読売ジャイアンツV9時代のセリーグで、王貞治氏以外でシーズン40本塁打以上放ってるバッターは、D・ロバーツの1回だけ。
同時代のパリーグは、阪急ブレーブスの長池徳二氏が4回40本塁打以上放ち3回本塁打王を獲得。同じく東映フライヤーズの大杉勝男氏が3回40本塁打以上放ち2回本塁打王。あとは野村克也氏が1回。
なので当時、セパ両リーグでシーズン40本塁打以上打てたのは、王貞治氏、D・ロバーツ、長池徳二氏、大杉勝男氏、野村克也氏の5人だけ(長嶋茂雄氏はシーズン最高は39本塁打)。
更に読売ジャイアンツがV10逸の1974年から1979年までの6年間、パリーグで40本以上本塁打を放ってる打者はおりませんし、セリーグもこの時期は山本浩二氏と掛布雅之氏の二人しかおりません。
だから!王貞治氏の生涯シーズン40本塁打以上13回(50本以上が3回)も、とてつもない記録で、あとは野村克也氏が4回(50本以上が1回)、長池徳二氏も4回、そして大杉勝男氏が3回。
現役時代の王貞治氏は、こと本塁打に関しては無敵!無双状態だったと言って、間違いないでしょう。