共に高校時代から日本中で大人気、マスマディアのかっこうの飯の種だった江川卓氏と原辰徳氏二人が、揃って読売ジャイアンツで活躍したのは僅かに7年。
この7年で読売ジャイアンツはリーグ制覇が3回なれど、日本一は1回と、高校時代からスーパースターと謳われたお二人が揃っていたにしては、ちょいと振り返ると物足りなかったかな?と思います。
で、お二人とも読売ジャイアンツで現役野球生活を終えているので、プロでの直接対決はありませんでしたし、高校も江川卓氏が卒業した年に原辰徳氏が入学してるので対決はなし。
また、江川卓氏法政大4年時に原辰徳氏は東海大に進みましたが、東京六大学と首都大学と所属リーグが違うので、リーグ戦での対戦もなしでした。
そんな江川卓氏、原辰徳氏が生涯で唯一!対戦したのが、1977年の各大学リーグの優勝校が全国制覇を競う秋の明治神宮野球大会でした。
4年生の江川卓氏の法政大は、東京六大学を制しリーグ4連覇。江川卓氏も通算47勝をあげ(今も歴代2位)、この年のドラフトの超目玉。
一方の原辰徳氏も東海大相模時代に通算4季甲子園に出場、鳴物入りで東海大に進み、1年生からレギュラーを獲得し、首都大学秋のリーグ戦を東海大は制し出場し、両校は勝ち進み決勝で対決しました。
法政大の先発は江川卓投手、東海大の先発は後の大洋ホエールズ・横浜ベイスターズの遠藤一彦投手で、1年の原辰徳氏は2番サードで先発出場。
結果的に先制された法政大でしたが、遠藤一彦投手を打ち崩し5対3で勝ち優勝し、江川卓投手は自ら本塁打も放ち完投勝利投手になりました。
が、江川卓投手は被安打7本のうち、2本ソロホームランを打たれており、うち1本が1年生の原辰徳氏。
結果、現役選手時代、公式戦唯一の直接対決になった『江川VS原』は以下の通り4打数2安打。
第一打席 キャッチャーフライ
第二打席 ホームラン
第三打席 内野安打
第四打席 三振(三球三振)
4打数2安打なら打者の勝利ですが、まぁ〜江川卓氏のことですから3歳も年下の1年生の原辰徳氏を「なめていた」でしょう。江川卓氏は「そういう人」ですから(笑)。
初対決をキャッチャーフライに打ち取ったのも、きっと「なめた」要因でしょう。その結果、見事に次の打席でレフトスタンドに運ばれ、3打席目はカーブを内野安打されてしまいます。
で、最後の打席では、「本気」を出してオールストレートで3球三振。良くも悪くも、それが江川卓氏と言えるでしょう。