2022年の映画「エルヴィス」は、自分が思った以上に傑作でした!



2022年のアメリカ映画「エルヴィス」。その名の通りエルヴィス・プレスリーの伝記映画です。

オープニングは「アマデウス」を真似たのかな?って感じで、プレスリーのマネージャーとして悪名高い老いたトム・パーカー大佐(トム・ハンクス)が、自分がプレスリーを殺したんじゃないと苦悩する。

アマデウス」では、老いたサリエリが、自分がモーツアルトを殺した!と叫ぶ逆ですね。

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そして物語はメンフィスの無名の若者のエルヴィス・プレスリーを、パーカー大佐が見つけるところまで遡って始まります。

で、まぁ〜時代ですね。

とにかくアメリカはそういう時代だったって感じで、白人一家なのに諸事情あって貧しい黒人社会で少年時代を過ごしたプレスリーは、普通に黒人のように歌い踊り、黒人ファッションを身につけていた。

結果的に、この経緯が白人C&W、ヒルビリー(ロカビリー)と黒人ブルース、R&Bの融合(フュージョンサウンド=R&Rが生まれ、時代の寵児!エルヴィル・プレスリー誕生になったわけです。


ただし、黒人公民権が成立するのは1964年で、プレスリーが登場した1950年代後半のアメリカは、公然と黒人差別が普通に行われていた時代。

黒人のように歌い踊り、黒人ファッションを身につけていたプレスリーに、白人の女の子たちは熱狂するも、そのパパやママたちは顔をしかめ、黒人みたいな白人のプレスリーは敵視され、そして弾圧される。

まぁ〜、ちょっとしたロックファン、洋楽ファンなら普通に知ってるこの辺のプレスリー、R&R誕生とその全盛期の話が序盤ですが、詳しくない方にはショッキングで理不尽この上ない話に思えるでしょう。

でも、これは史実であり、人気絶頂の白人のプレスリーの徴兵や黒人のチャック・ベリーの逮捕など、そういう勢力によってR&Rブームを終わらせようという仕業は、本当に行われていました。


しかし、これがまた幸いし、アメリカでの公演がそういう理由で鬱陶しいロッカー、ブルースマンたちは欧州に渡り、その影響をイギリスの若きザ・ビートルズや、ザ・ローリングストーンズ等が受ける。

1964年のアメリカで起こったザ・ビートルズ旋風は、黒人や黒人の影響を受けた白人のR&R(R&Bも)など、白人の婦女子には好ましくないと封印しようとした結果の、完全なカウンターになったわけです。

当時のザ・ビートルズはオリジナル曲は勿論、アメリカ黒人のR&RやR&Bもカヴァーし、それをシャウトし演奏し、アメリカの白人の女の子達はそれに熱狂し、みんなバカになって座り小便しちゃった。

ザ・ビートルズが初渡米とした際、アメリカ人は普通に自国の黒人音楽を好んで聴いてると思っていたら、そうではなかった事に逆に驚いたそうですから。

こうしてザ・ビートルズ旋風をきっかけに、アメリカではエルヴィス・プレスリー登場以来の意識革命が白人層で起こったわけで、音楽や映画、ファッションが1960年代半ばからガラッと!変わってしまう。


思うに、今も昔もありがちな「仕込み」は別にして、女の子が自然発生的に性的に興奮する「なにか」を男は甘く見てはいけない。

最初にエルヴィス・プレスリーに熱狂したのはメンフィスの女の子達で、ザ・ビートルズに熱狂したのはリヴァプールの女の子達。まだ大きな商売にならないのに、「仕込み」など入るわけがない。

さて、サム・フィリップスサンレコードからプレスリーを大手レコード会社のRCAに移籍させ、全米デビューさせレコードをバカ売れさせたまではパーカー大佐の手腕ですが、後はたいした事はない。

一夜にして大スターになったプレスリーなれど、その歌と踊りと衣装が黒人のようで「よろしくない」とした白人層に対し、パーカー大佐は何も出来ない。プレスリーを守れてない。

ただ、R&Rムーブメントがそんな感じで乱暴に終わらせられそうになった時、パーカー大佐がプレスリーをハリウッドスターにしようとしたのは、時代を考えると悪いアイデアではなかったと思います。

白人のその界隈に目の敵にされてるうえ、いつ終わるかわからないふってわいたR&Rムーブメントより、映画の方が手堅いビジネスと舵取りしたのは、間違っていたとは言えないでしょう。


ある種、元祖!パンクロッカー、元祖!ビジュアル系、元祖!ヘビーメタルみたいなプレスリーは、かなり影をひそめましたが、映画に出演し歌うプレスリーは、映画もヒットしレコードも売れた。

その後は、ごく当たり前になった、映画と挿入歌で大金を稼ぐこのビジネスモデルを考案したのはパーカー大佐ですから、お金儲けの才がなかったとは間違っても言えない。

で、映画でも描かれてますが、前出のザ・ビートルズアメリカ旋風以来、時代が激変したのは、若者の意識革命が起きたのはパーカー大佐のせいじゃない。

更には黒人公民権は制定しても、そんなにその手の白人層の意識が突然変わるものではないので、まだまだアメリカの黒人差別、黒人排斥は激化を続けていた。

ザ・ビートルズアメリカ旋風の前には、自国の大統領が暗殺される大事件も起き(1963年のケネディ暗殺)、ベトナム戦争の泥沼化も表面に出てきた時代背景。

プレスリーで一儲けしたかっただけの、既に50歳を超えていたパーカー大佐に、そんな激変する時代背景、白人黒人問わずのアメリカの若者の意識革命など読めるわけがない。

結果的にプレスリーの旧態依然としたお気楽映画は、変革を強く求める若者たちにウケなくなっていった。

映画「エルヴィス」ではケネディの弟、ロバート・ケネディ暗殺が描かれてますが、世の中が激変したのは確かにパーカー大佐のせいじゃないし、彼に限らずこんな世の中、誰も予測出来なかった。



当のプレスリーも、ジェームズ・ディーンに憧れ、彼のような映画に出たかったのに、出演作品はお気楽コメディ映画ばかり(結果的に、日本の加山雄三氏の若大将シリーズの原点になってますが)。

1960年代半ば以降の、自分の立ち位置、自分への若者達の評価が、かなり微妙になってるのをプレスリーも実感します。

で、この辺の「このままで自分は良いのか?」と自問するプレスリーと、このままで金儲けを続けたいパーカー大佐の葛藤は、モータウンのべリー・ゴーディJr.とミュージシャン達の葛藤によく似てる。

映画「ドリームガールズ」の終盤で描かれていたあれと同じで、正に「エルヴィス」の中盤から後半と「ドリームガールズ」の後半は時代がリンクしてるんです。激動の1960年代後半のアメリカ!

この後、1970年代になるとアメリカではニューソウル、ニューファンク、シンガーソングライタームーブメントが起き、イギリスではハードロック、プログレグラムロックが台頭してくる。

この辺のプレスリーの、時代に取り残されたくない葛藤は強烈だったでしょうね〜。


映画中盤で描かれる、観客の前から遠ざかっていたスクリーンの中だけのプレスリーが、テレビ番組で観客の前で歌う、ロックンローラー復活の1968年12月のテレビショー。これでプレスリーは変わります。

このテレビショーのパフォーマンスは本当にかっこいい!時代が流れても全く色褪せてないと思います。

ちなみに、この時のプレスリーの黒の皮の上下の衣装は、この数年後にスージー・クアトロが継承してますが、まだ当時は普通のアメリカのおねーちゃんだった彼女は、やはりこのテレビを観ていたそうです。

そしていよいよ後半は、当時日本でも映画、テレビ放映で大人気だった、あの有名な1970年代初頭の、プレスリー完全復活の!あの華麗でグルーヴィングなショー!

相変わらず白人と黒人の音楽を融合させたサウンドは勿論、人種・性別を超えたこの頃のプレスリーの壮大なバックメンバーは、本当に素晴らしいです。

当時のそんなプレスリーのショーを、ドキュメンタリー映画にした「エルビス・オン・ステージ」は、日本では1971年洋画東京ロードショー分の興行収入の第2位!(1位は「ある愛の詩」)。

次作の「エルビス・オン・ステージ」はそこまで興行成績は良くなかったとは言えヒットしましたし、1973年のハワイ・ホノルルでのライブ中継は、日本での視聴率は37,8%。

ロックンローラー!エルヴィス完全復活でした。



エルヴィス・プレスリー復活のリアルタイム当時、この僅か数年後の1977年8月16日に、あの!エネルギッシュなプレスリーが他界するなど、夢にも思いませんでした(42歳没)。

そんなこんなで映画の後半は、悲しい薬の依存症になって壊れていくプレスリー

そしてそれを望むプレスリーに悉く反対し潰し、海外ツアーに絶対に行かせなかったパーカー大佐の、その本当の理由と正体が映画でも描かれます。

しかし、よく言われる事ですが、金儲けが上手くても金の使い方の下手な人間の悲劇があるとしたら、残念ながらエルヴィス・プレスリーもその一人でしょう。

1億円稼げても、その1億円をすぐ使ったら無一文になる。そんな金銭感覚にルーズなところを、プレスリーはパーカー大佐につけ込まれ、契約でがんじがらめになってしまう。

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最後になりますが、プレスリーの一人娘リサ・マリーは↑4度結婚し(2度目がマイケル・ジャクソン、3度目がニコラス・ケイジ)、なんだかんだとお騒がせな女性でしたが、2023年1月、54歳で他界。

一方、リサ・マリーのママでプレスリーの別れた奥様、プリシラは2023年現在、78歳でご健在です。

そしてプレスリーの死後、その杜撰な金銭感覚が問題になり、この先も彼の悪名は消える事はないと思うパーカー大佐は、1997年1月に亡くなりましたが、プレスリーの倍以上の87年を生きました。

まぁ〜時が流れエルヴィス・プレスリーも、ここんとこあまり語られることがなくなってきたように実感してたので、こうして映画で彼の人生が残るのは、とても素敵な事だと思います。