私的に生涯No.1映画の「大脱走」。
とは言え、こちら1963年の映画でリアルタイムは子供すぎて映画館で見ておらず、初見は1971年10月1日、8日に前後編で二夜に渡り放映されたフジテレビのゴールデン洋画劇場でした。
その後、何度もテレビ放映されましたし、レンタルビデオの時代になって何度も何度も借りて観たり、結果的にビデオもDVDも購入して、おそらく100回ぐらいは観てるんじゃないかってほど好きな映画です。
唯一!映画館で観たのは、中野駅南口にかつてあった「中野名画座」。とても狭い映画館でスクリーンも小さなかったですが、テレビ放映の2年あとぐらいに上映していて国電に乗って観に行きましたね〜。
思うに「大脱走」はスティーヴ・マックイーン人気もあり、大スクリーンのロードショー館でリバイバル上映しても、それなりに興行になると思うのですが、やらないんですよね〜。
確かテレビ初放映の少し前に、リバイバル上映してたのを銭湯のポスターで見た記憶があるのですが、それ以来、大きな劇場でのリバイバル上映はないのではないか?と思ってます(東京では)。
というわけで今回は「大脱走」の映画ポスターについて思うところがあるので、能書きをば。
↑こちら欧米のポスターだと思いますが、顔がはっきりわかるのはスティーヴ・マックイーンとジェームズ・ガーナー、そしてリチャード・アッテンボローの3人だけ。
で、映画のオープニングを飾る、あの!エルマーバースタインの不朽の名曲!「大脱走マーチ」に乗って、映画会社の名前の後、最初に出てくる名前はスティーヴ・マックイーン。この映画は彼が主役です。
そして次に出てくるのがジェームズ・ガーナー。共にアメリカの俳優ですが、この物語は基本イギリス人捕虜中心の物語ですが、そこは製作はアメリカですから、この辺の脚色はしょうがないでしょう。
そして3番目に名前が出るのが、イギリス人のリチャード・アッテンボローで、このお三方だけ!ピンで名前が登場してますから「大脱走」の主役はこのお三方です。
で、ここで『The Great Escape』のタイトル登場!
次にジェームズ・ドナルド、チャールズ・ブロンソン、ドナルド・ブレザンス、そしてジェームズ・コバーン、ハンネス・メッセマー、デヴィッド・マッカラムが共に3名連記で登場しています。
ジェームズ・ドナルドはイギリス人でラムゼイ大佐を演じており、ハンネス・メッセマーはドイツ人で収容所の所長を演じた方で、「大脱走」上映時は、他の名うての名優達と同等扱いだったわけであります。
まぁ〜チャールズ・ブロンソンはマックイーンと同じで「戦雲」→「荒野の七人」からの、ジョン・スタージェス監督作品出演。
ジェームズ・コバーンは「荒野の七人」に次いでの連続出演になりますが、当時からマックイーンとの扱い、格は違っていましたね。
「荒野の七人」は、ユル・ブリンナーがトップに名前がピンで登場する彼の主演映画で、2番目に登場するのが悪役カルベラを演じたイーライ・ウォラックで、スティーヴ・マックイーンは3番目でした。
そして、この後の『The Magnificent Seven』のタイトル後に、チャールズ・ブロンソンとロバート・ヴォーン、ブラッド・デクスターと共にジェームズ・コバーンが連名で登場しています。
欧米と同じデザインでタイトル上に、主役のスティーヴ・マックイーン、ジェームズ・ガーナー、リチャード・アッテンボローと共に、チャールズ・ブロンソンとジェームズ・コバーンも描かれています。
繰り返しますが映画本編のオープニングでは、「大脱走」はスティーヴ・マックイーン、ジェームズ・ガーナー、リチャード・アッテンボローがピンの主役紹介なのですが、日本では5大スター扱い。
この辺のオールスター夢の共演的なアイデアは、「大脱走」の1年前に上映、大ヒットした「史上最大の作戦」の影響ではないでしょうかね〜?
「史上最大の作戦」は、はっきり欧米でもオールスター夢の共演映画で、何と!この映画、1962~1963年と2年連続で日本での映画興行成績1位を記録した大ヒット映画!
日本公開は1962年の12月ですから、1ヶ月に満たないうちに同年の映画興行記録を塗り替えたことになってますから、ロードショー公開即!各劇場超満員のメガヒットだったのがよくわかります。
だ・か・ら!配給会社と広告代理店が「大脱走」も「史上最大の作戦」を真似て、オールスター色を出そうと会議で決めたんじゃないでしょうかね〜?
丁度、日本の「七人の侍」のリメイクの「荒野の七人」は日本でもヒットしたので、スティーヴ・マックイーンだけでなく、チャールズ・ブロンソンもジェームズ・コバーンも日本ではお馴染みでした。
だ・か・ら!チャールズ・ブロンソンとジェームズ・コバーンが、主役のお三方と一緒に、日本では5大スター共演のようにポスターに描かれたのではないか?と、私的には勝手に思ってます。
ちなみにデビッド・マッカラムが日本でも有名になるのは、「大脱走」上映の翌1964年から始まったテレビシリーズ(日本では1965年より)、「0011 ナポレオンソロ」のイリヤ役から。
ですからオールスター色を出したかったと思われる「大脱走」に、当時は無名だった彼の顔もなければ、ポスターに名前もないんですね。
というわけで「大脱走」は、1963年の日本の洋画興行成績で「史上最大の作戦」「アラビアのロレンス」に次いで第3位のヒットになってますが、後のテレビ放映時の大ブレイクを思うと何か物足りない。
何故なら、1971年10月の「大脱走」テレビ初放映時の視聴率は前編25.5%、後編33.7%。後編の視聴率は当時の洋画放映の新記録でした。
一方、「大脱走」よりテレビ初放映が約9ヶ月遅れた1972年7月放映の「史上最大の作戦」は、こちらも前後編で放映されましたが、後編の視聴率は27,2%。
単純に視聴率だけで言えば、「史上最大の作戦」は「大脱走」に勝てなかったわけで、当時は興行成績が1位と3位だった映画初上映から8~9年の間に、何があって視聴率では逆転したのか?
まず第一に「大脱走」テレビ初放映時は、デビッド・マッカラムがイリヤ役で日本でももの凄い人気者になっていたのは大きいです(バンド『ジュシー・フルーツ』のイリヤは、彼から名前を取っています)。
デビッド・マッカラムは映画上映時は、イギリスの無名俳優でしたから。
次にこれも大きい理由で、チャールズ・ブロンソンが、日本の男性化粧品「マンダム」のCMに起用され大人気の時期だった事です。
そして1968年のアラン・ドロンとの共演仏伊映画「さらば友よ」で、それまでと異なり口髭をたくわえたブロンソンは日本と欧州で大人気になり、その後仏伊で主演映画が相次ぎ、それが日本でもヒット!
ダメ押しが仏伊西米映画、1971年公開の「レッド・サン」で、ブロンソンは再びアラン・ドロンと、そして日本の三船敏郎氏と共演し、それはそれは当時の「レッド・サン」は話題沸騰でしたから。
というわけで「大脱走」が初上映の時と違い、チャールズ・ブロンソンも日本ではスティーヴ・マックイーンばりの大スター扱いされていたのは、この記録的高視聴率だった要因と思われます。
そしてもう一つ!アメリカでは不発だったそうですが、日本ではそれなりにヒットしたそのマックイーン主演の「栄光のル・マン」も、「大脱走」テレビ初放映時の約3ヶ月前にロードショー公開されていた。
ちなみに今やル・マン24時間耐久レースは日本でも当たり前に有名ですが、日本でこのレースを有名にしたのは、この「栄光のル・マン」の功績です。
という具合に、正に!時代が「大脱走」を本当のオールスター夢の共演映画にしたのが、テレビ初放映時だったわけです。