法大の江川卓投手は、対アメリカの『日米大学野球選手権大会』が苦手だった!



Yahooショッピングで調べる



江川卓投手は法政大時代、『日米大学野球選手権大会』の全日本チームに、2~4年生の1975~1977年の3年連続で選ばれています。

当時は日本人大リーガー(当時はそう呼んでいた)第一号の村上雅則氏から、次の野茂英雄氏がアメリカに渡るまでの長い空白時代で、日本人選手はアメリカでは通じないだろうというのが定説でした。

でも、唯一!『江川だけは別格』『江川だけはアメリカで通じる』と思われていたところもあり、学生野球とはいえ『怪物・江川』の対アメリカチームでのピッチングは、それはそれは!注目の的!

1975年の日米大学野球選手権はアメリカ開催。日本代表は2年生の江川卓投手の他、4年生に同志社大田尾安志氏、駒沢大の中畑清氏、3年生に大阪商大の斉藤明雄氏と、後にプロで大活躍する選手が勢揃い。

注目!期待!の江川卓投手でしたが、流石にまだ2年生ということもあり、いきなりの先発はなく第一戦の先発は明治大4年の丸山清光投手で、江川卓投手は2番手で登場しましたが本塁打を打たれています。

結果、2本塁打を打たれた丸山清光投手が負け投手になり、日本は2対9と惨敗。

第二戦は、3年連続で選ばれた中央大4年の田村政雄投手(同年、大洋ホエールズドラフト1位)の好投の後をうけ、連投で『日本期待の!』江川卓投手は登板します。

が、江川卓投手は延長13回に決勝本塁打を打たれ負け投手になり(2対3)、『怪物・江川』が2試合ともアメリカチームに本塁打を打たれたのは、当時の野球ファンにはショッキングな事件でした。

連投二日後の第三戦に、それでも『日本期待の!』江川卓投手は今度は先発登板。再び江川卓投手は3試合連続で本塁打を打たれますが、田村政雄投手がリリーフに回り江川卓投手は勝利投手(7対5)。

日本は今大会初勝利しましたが、どうにも『日本期待の!』江川卓投手、ピリッとしない。


流石に翌日の第四戦は江川卓氏の登板はありませんでしたが(1対6で日本敗戦)、中2日の第五戦に先発の田村政雄投手の救援で登場し、江川卓投手この大会4度目の登板。

結果、負け投手は田村政雄投手で、この試合は江川卓投手はじめ日本の6投手は本塁打こそ打たれませんでしたが、3対11と打たれまくり惨敗を屈しています。

そして中1日の第6戦にも、江川卓投手は斎藤明雄投手をリリーフし5試合目の登板になりましたが、結果、延長15回裏に日本は逆転さよなら勝ちで(4対3)、最後に登板の田村政雄投手が勝利投手になりました。

第七戦も連投で6度目の登板、2度目の先発となった江川卓投手は、継投の田村政雄投手とともに好投しますが、打線も抑えられ0対0の7回裏、3番手の斉藤明雄投手が打たれ、結局0対2で日本は敗戦しています。

結局この大会、『日本期待の!』注目の江川卓投手は6試合登板して1勝1敗。日本も2勝5敗と負け越し、アメリカとの力の差を見せつけられたという感じでした。

で、江川卓投手がそこまで期待されたのは、1972年の第一回日米大学野球で関西大の山口高志投手が、完投・完封含む3勝1敗の好成績をあげ、日本が4勝3敗で勝ち越したのが大きかったと記憶しております。

山口高志投手は大卒後、プロ入りを拒否して社会人に進みますが、社会人でも大活躍し1974年のドラフト1位で阪急ブレーブスに入団すると新人王を獲得、日本シリーズでもMVPを獲得する大活躍!

その快刀乱麻の山口高志投手の関西大時代の再来を、法政大2年の江川卓投手に関係各位、野球ファンは期待していたのですが、そうはならなかったわけです。



翌1976年は日本で開催され、日本代表は4年生の昨年に続き斉藤明雄氏、そして駒澤大森繁和氏、日本大の佐藤義則氏、早稲田大の松本匡史氏。

3年生は江川卓投手他、同じく法政大の袴田英利氏、早稲田大の山倉和博氏、2年生に駒澤大石毛宏典氏と、この年も後にプロで大活躍する選手勢揃いでしたが、結果は再び日本の2勝5敗。

3年生とはいえ、この年の第一戦の先発はやはり!『日本期待の!』エース江川卓投手。

この試合も、江川卓投手は本塁打を浴びますが好投。が、日本はアメリカ投手陣が打てず、後続リリーフが打ち込まれ、試合は1対9で日本は初戦を落とし江川卓投手は負け投手。

第二戦も斎藤明雄投手が打ち込まれ1対5で日本は落とし、第三戦は中二日で再び江川卓氏が先発し、やはり本塁打を浴び、更にこの年の日本は打線が不調で1対3でやぶれ、日本は3連敗を屈っします。

なんと、先発2回で『日本期待の!』江川卓投手は早くも2敗。

で、第四戦は森繁和投手、東海大の吉田恭之投手が好投し、相変わらず打線は打てませんでしたが2対1で日本は初勝利をあげました(8回降雨コールド)。

中1日の第五戦の先発は、前回好投の吉田恭之投手。江川卓投手は2番手で3度目の登板になりましたが勝ち負けなし。試合は6対9で日本は負け、これで日本1勝4敗。

第六戦は明治大2年の高橋三千丈投手、そして森繁和投手が好投し、日本が3対2で勝ちこれで2勝目。この大会は2勝共勝ち投手は森繁和投手でした。

そして最終第七戦は2対2の接戦でしたが、リリーフの江川卓氏が決勝点を与えてしまい敗戦投手。『日本期待の!』江川卓投手はこの大会、0勝3敗でした。




そして1977年はアメリカ開催で、4年生は江川卓投手のほか、亜細亜大の古谷英夫氏等。3年生に昨年に続き石毛宏典氏、東洋大松沼雅之氏、明治大の鹿取義隆氏、専修大中尾孝義氏。

1年生に東海大原辰徳氏が選ばれる、この年も後にプロで大活躍する選手ばかりでしたが、日本は三度2勝5敗と負け越しています。

江川卓投手は第一戦に先発し3対3のまま8回裏に1点取られ、完投するも4失点で負け投手(3対4)。昨年からこれで江川卓投手、対アメリカ戦は4連敗になりました。

第二戦も江川卓投手は中継ぎ3番手で登板、勝ち負けはつきませんでしたが延長で3対5で日本敗退。

第三戦は、中1日で2度目の先発。今大会3連投の江川卓投手は、2回までに3点失いますが、力投し継投も成功し日本は4対3で初勝利をあげ、江川卓投手も勝利投手になり対アメリカ戦の連敗を止めています。

第四戦は松沼雅之投手の好投により0対4で勝った日本は、これで2勝2敗のイーブン。

第五戦も4番手で江川卓投手はこの大会4度目の登板しましたが、試合は1対2で日本は接戦を落とし、江川卓投手には勝ち負けなし。

第六戦は前回好投した松沼雅之投手が先発しましたが、今度はアメリカ打線に打ち込まれ、6対3で日本は負け、最終戦の先発は、やっぱり!『日本期待の!』江川卓投手。

今大会3度目の先発になった江川卓投手に勝ち負けはつきませんでしたが、ここでも本塁打を浴びており、日本は5対7で敗戦。日本は3年連続2勝5敗の負け越しでした。


結局、法政大時代の江川卓投手はアメリカ相手に3年間で通算2勝5敗と、国内では高校、大学と快刀乱麻のピッチングだった『怪物・江川』にしては、誠に不本意な成績だったと言えます。

ちなみに、日本の日米大学野球選手権5年連続負け越しは、江川卓投手卒業後の翌1978年に4勝3敗で止まり、連続出場になった東洋大4年の松沼雅之投手が、2度の完封勝利含む3勝を上げMVP。

多くの関係各位、野球ファンが期待したアメリカチームに対する快刀乱麻のピッチングは、江川卓投手ではなく、松沼雅之投手が山口高志投手に次いで果たしました。

最後になりますが、2023年現在、日米大学野球選手権44年の歴史の中で、5年連続で米国が日本に勝ち越したのはこの5年だけで、日米共に3年連続で勝ち越したことは他に一度もありません。



Yahooショッピングで調べる