「巨人の星」花形満が大リーグボール1号を打った試合のリアルは、阪神対巨人天王山の3試合目だった!

h

あなたのサイトのURL、そろそろスリムにしませんか?

漫画&アニメ「巨人の星」で、星飛雄馬が青雲高を1年で中退し、読売ジャイアンツにテスト入団。ルーキー1年目を迎えるのは1968年の設定です。

そして、阪神タイガース花形満が大リーグボール1号を打倒。ホームランをかっとばすのが同年9月18日の、甲子園球場での阪神対巨人戦の設定でした。

で、現実のこの試合は、阪神VS巨人4連戦の2日目のダブルヘッダー第二試合。

前日17日は、今も伝説の江夏豊投手が王貞治氏から奪三振のシーズン日本タイ記録を奪い、次の王貞治氏まで打者一巡をわざと打たせてとり、奪三振の新記録も王貞治氏からとった試合なんですねー。

 

結局、第一戦は決勝打も自らのバットで放った江夏豊氏の奪13三振、1対0の延長完封シャットアウトで、阪神タイガースが勝利(サヨナラのホームを踏んだランナーは、現役時代の吉田義男氏)。

 

翌18日の4連戦の2戦目はダブルヘッダーの昼の試合。こちらも村山実投手の力投により、2対0で阪神タイガースは前日に続いてサヨナラの完封勝利します。

 

ここで首位ジャイアンツと2位阪神タイガースは、ゲーム差0。

というわけで漫画&アニメの花形満の打倒!大リーグボール1号の試合は、4連戦の3試合目のダブルヘッダー夜の試合は、正に!首位攻防戦の天王山だったんですねー。

で、7月終了時には首位ジャイアンツと10.5ゲーム差あった阪神タイガースが、この試合に勝てば首位が入れ替わる試合!

 

村山実投手同様、4年前のリーグ優勝経験者でもある先発、ジーン・バッキーが気合が入っていた、緊張していたとしても当然でしょう。

 

星飛雄馬が大リーグボール1号を花形に打たれた試合は、ゲーム差0で迎えた、阪神VS巨人の正に天王山だった!

image

試合は1回表、ワンアウト後に2番の高田繁氏のサードゴロを、小玉明利氏がなんとトンネル。

バッキーはこれで気持ちが昂ったのか?3番の王貞治氏にデッドボール。結局このデッドボールが後の乱闘の伏線になっているわけですが、続く4番の長嶋茂雄氏、5番の末次民生氏に連続四球で押し出しの1点献上してしまいました。

バッキーはノーヒットで初回に1点を取られましたが、その後立ち直り2,3回と無得点に抑え4回も2死。チェンジの筈のサードゴロを、なんと再び小玉明利氏がトンネル!

ちなみに小玉明利氏は、長年に渡り近鉄バファローズで活躍し、1968年に大きな期待を背負って阪神に移籍したばかりでしたが、大きな活躍することなく翌1969年を最後に現役引退しています。

結局、この小玉明利氏の二度目のエラーでバッキーは気持ちが切れたようで、連打を浴び一挙5点を献上。ランナーなおも二塁において、3番王貞治氏との対戦になり、そして事件が起きたわけです。

show_img.php

 


漫画&アニメでも描かれてるように、バッキーの王貞治氏に投じた頭部への投球に、1打席目もデッドボールを受けているので王貞治氏が、バッターボックスから抗議をします。

が、2球目も膝下の危うい打球が来て、流石に王貞治氏はマウンドまで駆け寄り抗議すると、両軍ベンチから選手がマウンドに怒濤の一直線。大乱闘になり、バッキーはこの乱闘で指を骨折。退場。

バッキーにかわった権藤正利投手が、今度はなんと王貞治氏の頭にデットボールをくらわせてしまい、王貞治氏は担架に乗せられ退場してしまいました。

球場内は再び騒然となり、不穏な空気に包まれますが、次の長嶋茂雄氏がホームランを放ち、漫画&アニメでは星飛雄馬はそんな長嶋茂雄氏を見て、「巨人魂」をみせてもらったと感動します。

結果、読売ジャイアンツはこの試合を10対2で勝利し、再びゲーム差をつけますが、次の日の第四戦は江夏豊投手が中一日で再び先発。

ジャイアンツ打線に三塁を踏ませぬ10奪三振の好投、完封シャットアウトで阪神タイガースは勝利(3対0)し、この首位攻防の4連戦は、江夏豊投手の大活躍で阪神タイガースの3勝1敗で勝ち越していました。


阪神タイガースは、あの!漫画&アニメでお馴染みの大リーグボール1号を花形満が打倒し、ホームランにした試合のみリアルでも敗れたわけです。

投手王国なれど貧打戦だった、当時の阪神タイガース

c




が、しかし、、、

迎えた更なる天王山!9月28~29日の、今度は後楽園での巨人VS阪神の3連戦は、28日第一戦の先発の江夏豊投手が、よもやのノックアウトで阪神は3対7で負けてしまいました。

翌日のダブルヘッダー第一試合の第二戦は、村山実の力投で阪神は3対2で勝ち両チーム1勝1敗。

夜の第三戦には、前日ノックアウトをくらった江夏豊が再び登板。力投をみせるも打線の援護なく2対1で阪神は負け、ここで阪神タイガースは力尽き、読売ジャイアンツはV4を達成したわけですが、、、

この年の阪神は、バッキーが防御率2,19で12勝13敗。村山実氏が防御率2,73で15勝8敗。江夏豊氏も防御率2,13で25勝12敗。

二桁勝利のこの三本柱、全員が防御率2点台なのに、特にバッキーは負け数の方が勝ち数をうわまわってるのを見てわかる通り、この年の阪神タイガースのチーム打率はリーグ5位(チーム防御率1位)の、貧打戦だったんです。


image

リアルは漫画&アニメのように、花形満は存在してなかったですから(笑)、チーム本塁打数も、ON砲全盛時代の1位の読売ジャイアンツ177本に対し、阪神タイガースは119本とこれもリーグ5位。

更に盗塁数もトップの読売ジャイアンツ133に対し(機動力もV9ジャイアンツは凄かった)、阪神タイガースはリーグ最下位の僅か34。

読売ジャイアンツ柴田勲氏一人で盗塁数37ですから、いかに当時の阪神タイガースが「打てない」「走れない」チームで、『江夏、村山、バッキー』の三本柱に!頼っていたか、誰でもわかると思います。

歴史にifはないですが、もしバッキーが乱闘で骨折、残りのシーズンを棒にふらなければ、二度目の天王山で1勝2敗と負け起こした後、阪神はずるずる4勝5敗と負け越す事はなかったのではないか?

阪神タイガース優勝もあったのではないか?と、私的には今も勝手に思っています。

ちなみに田淵幸一氏がドラフト1位で阪神に入団、登場するのはこの翌年1969年からの事。

でも、、、

『田淵・カークランド』の一発の魅力はあれど、本当に阪神タイガースが貧打戦を解消したのは、村山実氏もバッキーも引退(近鉄トレード後)、江夏豊氏もトレードにだされた後の、『田淵・ラインバック・ブリーデン・掛布』と揃った1976年以降の事でしたねー。