1970年 阪神タイガースまたしても惜しくも2位!

 

1968年9月には熾烈な首位争いをしながら、読売ジャイアンツに4連覇され2位に甘んじた阪神タイガースは、翌1969年も2位でジャイアンツは5連覇を達成。

1970年には村山実投手が監督兼任になり、阪神は6年ぶりのリーグ優勝を目指したわけですが、この年の阪神はチーム防御率が4年連続1位の相変わらずの投手王国でしたが、チーム打率もなんと1位でした。

当時の阪神は投手は良いけど打てない貧打戦(1968~1969年、1971~1972年リーグ5位)で有名でしたが、何故か?1970年はチーム打率も1位と投打ともに絶好調!

ちなみに、この年のセリーグは各球団、投手陣がものすごく良く、3割打者はジャイアンツの王貞治氏のみ(.325で首位打者)。

次いで阪神安藤統男氏が.294で2位、同じく遠井吾郎氏が.284で3位、藤田平氏も.275で6位と、3人も打率トップ10に入ったのが、チーム打率1位の大きな要因だったと思われます。

4年連続チーム防御率1位は、なんといっても村山実監督兼投手、江夏豊投手の両輪が好調な時代で、この年の村山実投手は防御率0.98で1位、14勝3敗で最高勝率(.824)の投手二冠。


江夏豊投手も防御率2,13で5位、21勝17敗で、三振奪取340は入団1年目から4年連続の奪三振王。13勝10敗の若生智男投手も防御率2,17で6位。新人の上田二朗投手も防御率3,00、9勝8敗と貢献しました。

というわけで珍しく阪神は、チーム防御率もチーム打率もリーグ1位なのに、それでも結局、2ゲーム差でジャイアンツに6連覇を許してしまい、チームは3年連続2位に終わっています。

原因は2つで、この年球界を激震させた黒い霧事件八百長)に江夏豊投手が巻き込まれ、ファンに時計を貰ったらそのファンが暴力団関係者だった為、球団は6月後半に10日あまりの謹慎処分を下しました。

江夏豊投手の謹慎処分だけではないですが、この6月に阪神は6勝12敗と大きく負け越してしまい、これが最後までジャイアンツを追い抜けなかった原因だったと言えます。

もう1つの原因は、快調にホームランを量産していた、2年目の田淵幸一氏の負傷欠場でしょう。


田淵幸一氏は8月26日の対広島カープ戦までの89試合で、昨年の22本にあと1本と迫る21本塁打を打っていましたが、同日の広島、外木場義郎投手から頭部にデッドボールをうけ、意識不明のまま病院に搬送。

一時は生死を彷徨う大怪我でしたが、一命はとりとめたものの、田淵幸一氏はシーズン後半を棒に振ってしまったのが、打線が好調な年だっただけに惜しまれます。

また、ジャイアンツとの首位攻防戦になった10月10~12日の三連戦、第二戦は村山実投手で勝ちますが、1戦、3戦を中1日登板の江夏豊投手で落とし、ここで逆転できなかったのは痛かった。

 

結局、1973年も阪神は最終戦ジャイアンツ戦に敗れ優勝を逃しており、ジャイアンツV9時代のV4、V6、V9の三度、後一歩で阪神は優勝できなかった、当時のジャイアンツの底力を今更ながら痛感します。

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