1979年、日本シリーズ伝説の広島VS近鉄=「江夏の21球」。
1966年のドラフト会議で、阪神タイガースに1位指名された江夏豊投手は紆余曲折あって、南海ホークスから広島カープに移籍して2年目の1979年、プロ野球人生初の!リーグ優勝を果たしました。
一方、1965年の第一回のドラフト会議で近鉄バファローズに2位指名された鈴木啓示投手も、1979年が近鉄パリーグ初制覇で、既にベテランの領域のお二人は、共にリーグ優勝も日本シリーズも初体験。
ただし江夏豊投手はこの年、22セーブでセーブ王を獲得する大活躍でしたが、一方の鈴木啓示投手はそうではありませんでした。
近鉄リーグ初優勝の前年、鈴木啓示投手は25勝10敗で2年連続最多勝、2,02で自身初の最優秀防御率賞を受賞しましたが、この年は故障を抱えてしまった事もあり登板数も減り10勝8敗。
この年は井本隆投手がチーム最多の15勝、村田辰美投手が12勝、柳田豊投手が11勝と、鈴木啓示投手は4番目の勝ち星投手でしたが、日本シリーズは第二戦の先発でしたから、信頼されていたのがわかります。
第一戦はチーム勝ち頭の井本隆投手の先発で、柳田豊投手との継投で延長12回、広島カープのリリーフエース江夏豊投手を打ち崩し、6対4で近鉄が先勝しました。
第二戦も先発の鈴木啓示投手が9回2失点完投(自責点2)し、近鉄は9対2の圧勝で2連勝。
『もってる』千両役者の江夏豊氏、『もってなかった』鈴木啓示氏

第三戦は江夏豊投手が好リリーフし、広島カープが3対2で初勝利し(広島は日本シリーズ初勝利でもありました)、第四戦も5対3で広島カープが連勝。対戦成績は2勝2敗のイーブンになりました。
さてここで第五戦は、鈴木啓示投手二度目の先発で、7回を投げ1失点(自責点1)と好投しましたが、近鉄打線が広島カープ先発の山根和夫投手に完封され、1対0で広島勝利で優勝に王手。
登板した2試合ともに力投・好投でしたが、鈴木啓示投手は敗戦投手で1勝1敗になりました。
後がない近鉄、第六戦の先発は第一戦、第四戦に続いて1勝1敗の井本隆投手でしたが見事にこの試合を完投し、6対2で近鉄勝利。
3勝3敗のイーブンで、勝負の第七戦の近鉄の先発は、こちらも3試合目の鈴木啓示投手。
1966年入団の鈴木啓示投手、1967年入団の広島の江夏豊投手、どちらも勝てば初の日本一でしたが、鈴木啓示投手はピリッとせず3回で6安打打たれ2失点(自責点1)で降板。
もし鈴木啓示投手が、この試合でナイスピッチングをし近鉄バファローズが勝って初の日本一になっていたら!3試合登板して2勝1敗。その1敗も打線の援護なき負けでしたから、MVPの可能性はありました。
まぁ〜鈴木啓示投手降板後、近鉄バファローズも広島東洋カープ先発の山根和夫投手を攻略し、試合は6回を終わって4対3と広島東洋カープ1点リードの激戦になっています。
そして7回途中から、広島はリリーフエースの江夏豊投手を送り出し必勝を期しますが、9回裏に江夏豊投手、ノーアウト満塁の絶体絶命のピンチを招いた、これが伝説の「江夏の21球」でした。
第二戦 投球回9 被安打6 四死球1 奪三振9 失点0 自責点0(勝利投手)
第五戦 投球回7 被安打7 四死球1 奪三振6 失点1 自責点1(敗戦投手)
第七戦 投球回3 被安打6 四死球1 奪三振1 失点2 自責点1
結局、江夏豊投手、この絶体絶命のピンチを切り抜け、広島は日本シリーズ初優勝を達成。同時に江夏豊投手もプロ入り以来初の日本一を達成。正に!千両役者!江夏豊氏これにありになったわけです。
で、鈴木啓示投手がもし好投していたら、鈴木啓示投手が逆に初の日本一を手にしていたわけですから、この辺はお二人の生まれ持った運気というかなんというか。それを感じます。
そして更に!両チーム、両投手のドラマは翌年も続き、1980年の日本シリーズの対決も同カードの広島VS近鉄。
1980年のシーズンは14勝をあげた鈴木啓示投手は、この年もチームの勝ち頭になった井本隆投手の15勝に次ぐ好成績で第二戦に先発登板しています。
で、第一戦の近鉄の先発は昨年に続いて井本隆投手。試合は近鉄が4対3で負けていた試合を9回、昨年の宿敵!江夏豊投手を攻略し同点に追いついています。
更に延長12回、ロングリリーフになった江夏豊投手から近鉄は決勝点を奪い、6対4で近鉄は初戦をものにしています(勝ち投手はリリーフの柳田豊投手)。
鈴木啓示投手のMVPは十二分にあった!日本シリーズ第七戦!
そして第二戦も先発の鈴木啓示投手が見事に2失点(自責点2)完投し、近鉄9対2の圧勝で2連勝。昨年と同じで今年のシリーズも近鉄連勝のスタートでした。
第三戦の近鉄は、シーズン7勝の村田辰美投手からシーズン13勝の柳田豊投手に継投。
劣勢だった近鉄は8回裏に3対3の同点に追いつき、ここで第一戦に先発した井本隆投手が登板しますが、エラーをきっかけに1点を取られ試合は4対3と広島が1点リード。
広島は第一戦でリリーフに失敗してる江夏豊投手が8回途中から登板していましたが、今度は9回をピシャリと抑え広島1勝2敗。江夏豊投手が勝利投手になり1勝1敗。井本隆投手が負け投手になっています。
第四戦の近鉄の先発は、それでもシーズンチーム勝ち頭の井本隆投手の連投。初回にライトルにツーランホームランを打たれますが、以降は9回まで許したヒットは1本の好投を見せます。
が、近鉄打線が広島の山根和夫投手に完封され、試合は2対0で広島が勝ち2勝2敗のイーブンに戻しました。
通算317勝の鈴木啓示投手と、通算206勝・193セーブの江夏豊投手

昨年は2勝2敗後、広島に先に王手をかけられた近鉄。第五戦の先発は第二戦に続いて二度目の先発、好調の鈴木啓示投手。
試合は9回を6対2で近鉄が勝利し、鈴木啓示投手は4安打2失点(自責点2)の2試合連続の見事な完投勝利で、今年は近鉄が先に王手をかけました。
そして、勝てば初の日本一の近鉄の第六戦の先発は村田辰美投手でしたが、初回に5番の水谷実雄氏に満塁ホームランを打たれ1回KO。
その後、三番手のシリーズ初登板の太田幸司投手が山本浩二氏にソロホームランを打たれたり(2回を投げ打たれたヒットはこれ1本)、近鉄は 2対6と敗れ、再び勝負は第7戦までもつれ込みました。
第七戦の近鉄の先発は三度の井本隆投手で、5回2失点(自責点1)とまずまずのピッチングでしたが近鉄打線が零封。
6回表に近鉄が広島の先発、山根和夫投手を攻略。逆転二塁打を放ったのは昨年の『江夏の21球』の最後のバッター石渡茂氏で、見事にこれでリベンジを果たし、近鉄3対2と逆転した所でピッチャー交代。
先発2完投勝利で絶好調の鈴木啓示投手が、弱小時代から近鉄のマウンドを担ってきた大エース!鈴木啓示投手を、満を持して!西本幸雄監督は二番手で6回裏から登板させました。
ところが!江夏豊投手と違い、鈴木啓示投手は『もってなかった』のでしょう。なんと7人のバッターに4安打1死球の大荒れで2点を奪われ逆転を許し、1回持たずにKO。

第二戦 投球回9 被安打6 四死球3 奪三振4 失点2 自責点2(勝利投手)
第五戦 投球回9 被安打4 四死球1 奪三振4 失点2 自責点2(勝利投手)
第七戦 投球回0,2 被安打4 四死球1 奪三振1 失点2 自責点2(敗戦投手)
もし、既に完投で2勝していた鈴木啓示投手が、この試合のロングリリーフに成功していれば、間違いなくMVPだったでしょうし、監督の西本幸雄監督もそれを考慮しての交代だったでしょう。
1点をリードした広島は、7回からリリーフエースの江夏豊投手がこのシリーズは二度目の登板。当時のストッパーは、3イニング投げるのは当たり前ですから、凄い時代でしたね〜。
第一戦は救援に失敗し負け投手になった江夏豊投手でしたが、ここが鈴木啓示投手との持って生まれたものの違いなのでしょうか?3回を1安打3奪三振、無失点のナイスピッチングを披露しています。
一方、近鉄は三番手の柳田豊投手、四番手の村田辰美投手も打たれ、近鉄は3対8で敗退。2年連続で江夏豊投手は優勝投手になっています。
若き阪神タイガース時代は、セリーグの連続奪三振王だった江夏豊投手とパリーグの連続奪三振王だった鈴木啓示投手。共にベテラン投手になって日本一をかけた2年間の激戦は、こうして幕を閉じました。
結局、鈴木啓示投手は生涯でリーグ優勝したのは、日本シリーズに出場したのはこの2回だけでしたが、江夏豊投手は翌1991年に移籍先の日本ハムファイターズでリーグ優勝、パリーグでもセーブ王!
読売ジャイアンツとの日本シリーズにも江夏豊投手は再び登場しましたが、日本一にはなれず、大投手!江夏豊投手も日本一経験は、この近鉄との日本シリーズの2年だけでした。