ジーン・バッキーが自業自得なれど戦列離脱したのは、阪神タイガースには痛かった1968年

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1968年、読売ジャイアンツと熾烈な優勝争いをしていた阪神タイガースは、村山・江夏・バッキーの3本柱でローテーションを回していました。

9月18日、天王山の読売ジャイアンツ戦でジーン・バッキー王貞治氏に投じたビーンボールまがいの一球が原因で、両軍入り乱れの乱闘騒ぎになり、荒川博コーチを殴り指を骨折してしまいました。

バッキーはシーズン後半を登録抹消で棒に振りますが、この骨折前のジーン・バッキーは13勝14敗ながら防御率は2.19。しっかり3本柱の一角の仕事をこなしていました。

村山実氏がこの年は15勝8敗、江夏豊投手が25勝12敗で、バッキー含め3人で53勝あげているので、もしジーン・バッキーが9月18日以降もローテーションピッチャーでいたら、読売ジャイアンツの4連覇は難しかったのではないか?と、今更ながら思うわけであります。

ジーン・バッキー退場の9月19日の試合は、実はダブルヘッダーの第二試合で、2ゲーム差で追う阪神と首位巨人のあれは天王山。首位攻防戦4連戦の第三戦でした。

前日の第一戦は江夏豊氏の有名な、王貞治氏から三振奪取日本対記録と新記録を奪った一戦で(打者一巡三振を取らず、打たせて取って)、最後は江夏豊氏自身がさよならヒットを打って1対0で阪神勝利。

翌日の昼の第二戦も、村山実投手が2対0の快投で、夜の第三戦が乱闘の第三戦で結果的に2対10と阪神タイガースは敗れますが、翌日の第四戦では江夏豊投手が中1日で登板!

再び3対0の快投で、阪神タイガース読売ジャイアンツとのゲーム差はこれにて0にしています。

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余談ですが、この乱闘の一戦は漫画「巨人の星」で、花形満星飛雄馬の大リーグボール1号を打った設定で、花形満長嶋茂雄氏のホームランを「猛虎魂」「巨人魂」と美しくまとめてましたが、実は読売ジャイアンツは首位陥落の大ピンチでした。

そして9月28~29日の二度目の天王山、読売ジャイアンツ阪神タイガースの首位攻防戦。この間、読売ジャイアンツは対中日戦を城之内・菅原・高橋一各投手で3連勝。広島戦も城之内投手で勝って4連勝。

一方、阪神タイガースは対大洋戦を柿本投手で落とし村山投手で勝ち1勝1敗。またゲーム差が開いての一戦でしたが、江花豊投手は前回の巨人戦以来の中9日の休養十分の登板でした。

 

当時は貧打の阪神打線が珍しく3回表までに3点を先取。江夏豊投手ならもう阪神は勝ったも同然と思われましたが、全く野球は何が起こるかわからない!

 

その裏、江夏豊投手は伏兵!黒江透修氏にツーランホームランを浴び、5回にもルーキーの高田繁氏にツーランホームランを打たれ、7失点のめった打ち。よもやのノックアウト。

 

3対7で阪神タイガースは初戦を落としますが、翌日のダブルヘッダー第一試合は村山実投手が気迫のピッチングで3対2と阪神タイガースが勝利し、夜の第二試合には再び!江夏豊投手が連投先発。

しかし江夏豊投手の熱投及ばず、阪神打線はジャイアンツの金田正一投手が打てず1対2で試合を落とし、阪神タイガースは二度目の天王山で負け越し首位争いから陥落してしまいます。

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ちなみに最初の天王山の阪神4連戦含む9連戦と、二度目の天王山の3連戦含むこの13試合を読売ジャイアンツは8勝5敗で乗り切りますが、8勝のうち城之内投手が3勝、金田投手が2勝とベテラン二人で5勝してるのは今更ながら注目!

あとは菅原投手が2勝、高橋一投手が1勝で、この年17勝をあげてる堀内恒夫投手は0勝。

城之内投手はこの年11勝7敗、金田正一投手は11勝10敗。読売ジャイアンツ投手陣の層の厚さを、これも今更ながら痛感します。

とはいえ!天王山で負け越しても、阪神タイガースに完全に優勝のめがなくなったわけではなく、読売ジャイアンツがリーグ制覇するのは、まだ先の10月8日の対広島戦ダブルヘッダー

ところが阪神はそこまでの5試合で、江夏豊投手は精魂尽き果てたのか?登板なし。こちらも精魂尽き果てたのか?村山実投手が2試合に登板するも2敗と、2勝3敗と負け越しています。

 

一方の読売ジャイアンツはこの間8試合を5勝3敗と勝ち越し貯金を2つ増やしているのが、当時の両リームの総合力、気迫の差が最後に出たという感じでしょうか。

 

読売ジャイアンツは、この年チーム打率リーグダントツトップの.262。チーム本塁打も177本とこちらもトップ。更には盗塁数も133でリーグトップ!

 

村山、江夏、バッキー各投手の3本柱の阪神タイガースはリーグ防御率、完投、完封勝、奪三振全て1位でしたが、チーム打率も本塁打もリーグ5位。チーム盗塁数はリーグ最下位の打てない走れないチームでした。


とは言え、もし!バッキーが10月にいたら、もし天王山での1勝2敗にめげず5連勝を狙い優勝を諦めなければ、どうなってたか本当にわからない1968年でした。