江夏豊投手のオールスター9人連続奪三振は、実は15人連続だった!

1971年のオールスターゲーム第一戦は、有名な阪神タイガース江夏豊投手の9連続奪三振の記録を作った試合でした。

また、前年の1970年のオールスターゲーム第二戦で、その江夏豊投手は先発し8奪三振。5人連続奪三振で降板しているので、2年に渡り14人連続三振を奪った事になります。

8奪三振の相手打者は、阪急ブレーブス長池徳士氏、東映フライヤーズ張本勲氏と大杉勝男氏。そしてその後の5連続になったのが、

有藤通世氏(ロッテオリオンズ
長池徳士氏(阪急ブレーブス
・池辺巌氏(ロッテオリオンズ
張本勲氏(東映フライヤーズ
野村克也氏(南海ホークス


長池氏と張本氏は2打席連続三振です。で、翌1971年の9人連続奪三振の対戦相手が、

有藤通世氏(ロッテオリオンズ
基満男氏(西鉄ライオンズ
長池徳士氏(阪急ブレーブス
江藤慎一氏(ロッテオリオンズ
土井正博氏(近鉄バファローズ)
東田正義氏(西鉄ライオンズ
・阪本敏三氏(阪急ブレーブス
岡村浩二氏(阪急ブレーブス
加藤英司氏(阪急ブレーブス


第三戦にも6回から登板した江夏豊投手は、先頭の江藤慎一を三振に仕留め、結果的に2年3試合に渡り15連続奪三振の記録を残しています(16人目の野村克也氏は、バットを短く持ってセカンドゴロ)。

まぁ〜当時のパリーグのバッターは、「人気のセ、実力のパ」と言われていた時代なので、皆「江夏何するものぞ」で、ブンブン振り回してきたので達成できた奪三振ショーとは言え、本当に凄い記録です。



で、、、

江夏豊氏も後年回想してますが、1970年の江夏豊投手は前半戦不調で6勝9敗と負けが先行しており、新聞記者に「よくこんな数字で恥ずかしくもなくオールスターに出たな」と揶揄され発奮したそうです。

でも、江夏豊投手はセリーグ投手部門でファン投票1位選出。監督推薦ではないですし、パリーグの投手部門も、2年連続で一軍実績の殆どない(同年前半戦は0勝1敗)近鉄バファローズの太田幸司投手。

太田幸司投手も実績もないのにオールスターは烏滸がましいと、出場するのは嫌だったそうですが、ファン投票で選ばれているのに欠場したら投票したファンに失礼。これは江夏豊投手も同じだったでしょう。

ちなみにこの年は、三沢の太田幸司投手の「コーチャンブーム」の影響で、第二の「コーチャン」と騒がれた箕島の島本講平氏(南海ホークス)も、パリーグ一塁手部門でファン投票1位に選ばれています。

島本講平氏は選抜優勝投手でしたが、プロ入り後は野手に転向するも前半戦は打率.000。それまで一塁は一度も守った事がないのに、一塁手でファン投票1位という、本人には厳しい出場だったと思います。

 

甲子園のアイドル!プロ2年目の太田幸司投手も、あの試合は投げていた!

 

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というわけで、ファン投票で選ばれた以上、どんな成績でも出場するのが、選ばれた選手のファンに対する誠意、使命。

また、『江夏・田淵』の黄金バッテリーですが、阪神タイガース田淵幸一氏は、前年、前々年とセリーグ捕手部門のファン投票1位でしたが、プロ入り3年目のこの年はファン投票で選ばれていません。

1971年の捕手部門のファン投票1位は、田淵幸一氏の1学年下のヤクルトスワローズ大矢明彦氏でした。

田淵幸一氏は前年1970年に、広島カープ外木場義郎投手に頭部にデッドボールをうけ、一時は生死を彷徨う重症で入院、休養したので89試合出場に終わり、1971年には急性腎炎も患っていました。

前半戦のそんな田淵幸一氏は、捕手で出場したのは1試合だけで一塁手と外野手を守っていたのが、捕手部門でファン投票が伸びなかった原因だと思われます。

また、そんな体調不良の田淵幸一氏は前半戦で本塁打は僅か4本、打率.232と、江夏豊投手同様、とてもオールスターに出場できるような成績ではありませんでした。

でも、そこはオールスター=お祭り。田淵幸一氏はセリーグの若き人気者ですから、川上哲治監督の推薦で3年連続出場を決め、粋な計らいで『江夏・田淵』の黄金バッテリーを川上監督が組ませたんですね。

 


そんなオールスター第一戦の先発は江夏豊投手と、阪急ブレーブスのホームグラウンドの西宮球場開催ということもありますが、前半戦10勝2敗と絶好調だった阪急の米田哲也投手でした。

米田哲也投手は1回表を三者凡退の無難な立ち上がりでしたが、 2回にピッチャーの江夏豊投手のスリーランホームラン含む4点を献上して降板。

パリーグは3回から前半戦9勝10敗、近鉄バファローズの鈴木啓示投手が登板し、3回5奪三振の力投で0点に抑え、6回から登板したのがパリーグファン投票投手部門1位、注目の!近鉄太田幸司投手でした。

太田幸司投手はヤクルトのデーブ・ロバーツから三振を奪い6回は1四球無安打で0点。7回にも1三振を奪いますが、広島の国貞泰汎氏にヒット、阪神藤田平氏に二塁打を打たれ一点を献上し降板しています。

ちなみに太田幸司投手が三振を奪ったデーブ・ロバーツは前半戦に22本塁打放っており、これは王貞治氏の28本に次ぐ、長嶋茂雄氏と並ぶリーグ2位の成績でしたから、太田幸司投手も嬉しかった事でしょう。

一方、セリーグは自らのスリーランホームランと9連続奪三振の快挙を達成した江夏豊投手降板後、4回からは前半戦9勝7敗の巨人の渡辺秀武投手が登板。失策のランナーを出すも2回無安打3奪三振無失点。

ここで、パリーグ一塁手部門1位で選出された、春先まで高校生で一軍実績0の南海の島本講平氏は、5回の先頭バッターとして代打で登場してますが、渡辺秀武投手の前に三振に倒れています。

三番手は前半戦8勝2敗と快調だった、同じく巨人の高橋一三投手が登板し1回を1四球無安打無失点。7回から前半戦7勝7敗の中日の水谷寿伸投手が登板するも、打者一人を打ちとると交代。

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5番手に当時「王キラー」で有名だった前半戦5勝6敗なれど、防御率1.92の大洋の小谷正勝投手が登板すると9回まで投げ打者8人に4奪三振の好投で、オールセは見事にノーヒットノーランを達成しています。

まぁ〜パリーグもまさかのノーヒットノーランですから、なんとか阻止しようと9回にはこの試合ベンチを温めていた南海の野村克也氏を代打で起用しますが、好投の小谷正勝投手の前にあえなく三振。

次の有藤通世氏に代わりサードに入っていた、南海の高橋博士氏はセカンドフライでツーアウト。そして最後に代打で登場した張本勲氏もショートライナーと、小谷正勝投手の9回の力投が光ります。

ちなみに小谷正勝投手は、オールスター出場はこの1回だけですので、ご本人も思い出深い事でしょう。

最後になりますが、この江夏豊投手の記録にあと一歩で並んだのが1984年のオールセ、巨人の江川卓投手の8連続奪三振ですが、この試合の先発は中日の郭源治投手で江川卓投手は二番手の登板。

また、この年のファン投票投手部門1位は同じ巨人の西本聖投手で、江川卓投手は監督推薦と、その辺が江夏豊投手とは違いがありました。


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