ユーミンの「やさしさに包まれたなら」の、吉川忠英氏のアコースティックギターは、いつ聴いても美しいな〜♪

 

1989年のアニメ映画「魔女の宅急便」のエンディングテーマに使用されたので、リアルタイム1974年を知らない世代でも、かなり知られてる、ユーミンナンバーの「やさしさに包まれたなら」。

イントロの印象的なギターは、名手!吉川忠英氏。 

アメリカに渡って音楽活動し、日本に帰ってきた後の吉川忠英氏の仕事ですが、この当時の3フィンガー系のアコースティックギター、かなり吉川忠英氏が弾かれてる。

当時、アコースティックギターといえば石川鷹彦氏か吉川忠英氏かってぐらい、知る人ぞ知る売れっ子名手でした。

ドラムは林立夫氏、ベースは細野晴臣氏、エレキギター鈴木茂氏、キーボードは松任谷正隆氏のキャラメル・ママからティン・パン・アレーにグループ名がかわった頃のメンバー。

この曲には参加してないけど、このアルバムにはシュガーベイブ時代の山下達郎氏が参加しております。

達郎氏のシュガーベイブはリアルタイム当時、郡山で行われたワンステップロックフェスッティバルに、クリエイションや四人囃子サディスティック・ミカ・バンド、キャロル、ジュリー=沢田研二氏、小野洋子さん等と共に出演しておりました。

が、、、

残念ながら、全く一般的には知られた人ではなかったので、達郎氏を選んだユーミンとプロデュースの村井邦彦氏のセンスは、ずば抜けていたと思われますね。

というか、リアルタイムはこのアルバム、殆ど売れてなかったし、キャラメル・ママティン・パン・アレーのメンバーも一般的にはそれほど知られてなかったです。

ユーミン=当時は荒井由実さんが、一般的に知られるようになるのは翌1975年。

TVドラマの主題歌に使われた「あの日にかえりたい」と、ユーミンが楽曲を提供したバンバンの「いちご白書をもう一度」が爆発的に売れてから。

で、1975年はいきなり時代がかわったと言っても過言ではなく、翌1976年のオリコン年間アルバムチャートトップ20には、ユーミンの旧作含むアルバムが3枚もランクイン。

やさしさに包まれたなら」は、その頃だされた、アルバム未収録だった大ヒットナンバー「あの日にかえりたい」含むユーミン初のベストアルバム「ユーミンブランド」がバカ売れした結果、一般的に知られた曲です。

このへん、イーグルスが「呪われた夜」のヒット後だしたベストアルバムで、それ迄のイーグルスの名曲を、多くの日本の洋楽ファンが知ったのと、よく似てますね。

前年までは吉田拓郎氏、井上陽水氏、かぐや姫等が上位を占めていた「フォーク一人勝ち」の時代が終焉。

所謂「フォークからニューミュージック」的に言われだした、そのきっかけがユーミンの大ブレイクだったわけです。

で、ユーミンのアルバムでも活躍してた鈴木茂氏がアメリカに渡り、あちらのミュージッシャン達と競演したソロアルバムを発表。翌1976年にはシュガーベイブを解散した山下達郎氏も、アメリカに渡りソロアルバムを発表。

まあ、商業的にはどちらも大成功と言えるものではなかったわけですが(今や初老予備軍&初老の当時の一般的な若者達は、まだそこまで音楽のセンスが成熟してなかったから)、、、。

同じく1976年、フェリックス・パッパラルディとのアメリカツアーとレコーディングを終えた、若き竹田和夫御大のクリエションの日本武道館での凱旋帰国ライブ。

1975年のキャロル解散、ソロになった矢沢永吉氏の1976年の日比谷野音での「帰ってきたぞー!」のソロライブ前後からの快進撃しかり。

世の中の流れがちょっとかわってきたのが、1975~76年だったと、K-UNITバンマスは記憶しております。

1980年頃大ブレイクした高中正義氏が、サディスティック・ミカ・バンドサディスティックスからソロになり、インストアルバムを発表するのも(こちらも当時はそれほど売れなかった)この頃で、所謂フュージョンブームの起源はこの頃だったとも言えるでしょう(当時、クロスオーバーという言葉はあったと思うけど)。

というわけで、時代の変革のとっかかり、特に当時の女の子の意識、センスを変えたのは、ユーミンの影響だったと、ボクは思ってます。