大谷翔平氏より遥か前にいた二刀流!永淵洋三氏と外山義明氏


近代野球でも大谷翔平氏以前に、日本プロ野球には存在しておりました。

一人は近鉄バファローズの永淵洋三氏↓。あの!水島新司先生の漫画「あぶさん」のモデルと言われた選手です。

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1960年に前年の最下位から大洋ホエールズをリーグ優勝に導き、日本シリーズも勝って『三原マジック』と呼ばれた三原脩氏が大洋ホエールズから近鉄バファローズに招聘され監督を勤めた1年目の1968年。社会人野球出身の新人の永淵洋三氏が、二刀流として売り出されました。

ちなみにこの年の近鉄バファローズの快進撃は凄まじく、6月まで首位を突っ走り優勝確実と言われていた最中、 永淵洋三氏は投手・外野手・代打の三役を与え、当時はマスメディアの取材の少なかったパリーグで話題の中心でした。

が、『三原マジック』で沸いた近鉄バファローズでしたが、チームは夏から失速し結果はBクラスの4位。

永淵洋三氏も投手としては12試合に登板し(先発は一度だけ。主にリリーフ)0勝1敗。防御率2,84と、打ち込まれたわけではありませんが、打者として好成績!

規定打席に届かなかったとはいえ、打率.274、本塁打5本と1年目にしてはまずまずの成績を残したので、二刀流は1年で終わり、 翌年からは外野手専任になり、見事に首位打者を獲得しています(東映フライヤーズ張本勲氏と同率受賞)。

そしてもう一人は、同じく近鉄バファローズからヤクルトアトムズ(現:スワローズ)の監督になった三原脩氏によって、1971年に二刀流を襲名した社会人出身でプロ入り2年目の外山義明氏↓。

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ちなみに外山義明氏は投手として1年目の1970年に4勝10敗、防御率3.39の実績がある選手で、三原脩監督に打撃力を買われて二刀流として売り出されました。

そんな外山義明氏は1971年も投手として5勝11敗、防御率3,25と数字を残す一方、二刀流のバッターとしては74試合に出場し3本塁打、打率は.211と低迷したため、こちらも二刀流は1年で終了。

とは言え永淵洋三氏は投手として勝ち星がなかったのに対し、外山義明氏は投手としても勝ち星がありますし、打者としても3本塁打を放っているので、お見事だったと言えます。

ちなみに外山義明氏は1971年に1番打者でピッチャースタメン登録しており、これは2016年に日本ハムファイターズ大谷翔平氏が登場するまで、45年間他に一人もいない記録でした。

外山義明氏はその後、ロッテオリオンズ(現・マリーンズ)と南海ホークスに在籍しましたが、投手としては勝ち星はなく、打者として1978年まで活躍されました。 

余談ですが二刀流とは言われませんでしたが、国鉄スワローズ読売ジャイアンツで通算20年で400勝をあげた金田正一氏は、打者としても38本塁打放っており8度も敬遠され、代打で2本塁打も放ってます。