江夏豊氏の401奪三振、6年連続奪三振王の凄み!

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シーズン401奪三振記憶の、今も破られることのない大記録を、当時の阪神タイガーズの若き大エース!江夏豊氏が記録したのが1968年。

それまでの奪三振セリーグ記録だった、国鉄スワローズ金田正一投手の350、日本記録だった西鉄ライオンズ稲尾和久投手の353を大幅に上回った大記録です。

また、金田正一投手が400イニングでの350奪三振稲尾和久投手が404イニングでの353奪三振だったのに対し、江夏豊投手は329イニングで401奪三振と、投球回数より奪三振が大幅に上回っていたのが凄い!

金田正一投手、投球回400 350奪三振
稲尾和久投手、投球回404 353奪三振
・江夏 豊投手、投球回329 401奪三振



ちなみに歴代4位記録も1970年の江夏豊投手の奪三振340ですが、こちらも投球回数は337,2と、この年も投球回数を奪三振が上回っていました。

また、稲尾和久投手が353奪三振を記録した1961年は、こちらも破られることはないと思うシーズン42勝(14敗)の記録を打ち立てた年でしたが、この年の稲尾和久投手は25完投に7完封。

一方、1968年の江夏豊投手は25勝(12敗)、26完投で8完封と稲尾和久投手より1つずつ、完投、完封が上回ってるのがまた凄い。

1968年の江夏豊投手が記録を打ち立てた頃も、エースピッチャーは先発・リリーフ当たり前の、まだその名残のある時代でしたが、同年の江夏豊投手は49試合登板で先発が37試合。

一方、稲尾和久投手は78試合登板で先発が30試合での記録。金田正一投手は62試合登板で先発が37試合での記録ですから、やはり「稲尾、金田」の頃のエースピッチャーはリリーフがとても多いですね。

先発数だけ見ると、金田正一投手と江夏豊投手は37試合で同じですし、稲尾和久投手は30試合と二人より少ない。

ですから、稲尾和久投手も金田正一投手も、当時は先発ローテーションは守られつつも、試合途中からのリリーフ登板が圧倒的に多く、そこで勝利数と奪三振を重ねたという感じでしょうか?

金田正一投手、29勝20敗 62試合登板 先発37試合 34完投 9完封
稲尾和久投手、
42勝14敗 78試合登板 先発30試合 25完投 7完封 
・江夏 豊投手、
25勝12敗 49試合登板 先発37試合 26完投 8完封 



また「権藤権藤雨権藤」の言葉が残ってる、登板過多で有名な中日ドラゴンズ権藤博投手の1年目、1961年は35勝(19敗)ですが69試合登板なので、稲尾和久投手の78試合登板は相当!多い。

おそらくこの1961年頃は、稲尾和久投手が78試合に登板しても、権藤博投手が69試合に登板しても、それが当たり前の感覚で野球ファンは観ていたのでしょう。

ちなみに権藤博投手は1年目が先発44と、上記の『江夏・稲尾・金田』の誰よりも多く先発してますし、32完投12完封というのも、誰よりも上まってます。

稲尾和久投手の42勝に次ぐ、シーズン38勝(4敗)の記録を持つ南海ホークス杉浦忠投手も、同1959年は69試合登板と権藤博投手と同じ登板数。

ちなみにこの1961年の権藤博投手も310、1959年の杉浦忠投手も336で奪三振王を獲得してますが、権藤博投手の投球回数は429,1、杉浦忠投手が371,1での記録です。

ですから如何に1968年の江夏豊投手の、329イニングで401奪三振が、とんでもない奪三振率だったか誰でもわかると思います。

・杉浦 忠投手、投球回371,1 336奪三振
・権藤 博投手、投球回429,1 310奪三振
・江夏 豊投手、投球回329    401奪三振



1968年、広島カープ外木場義郎投手が1,94で防御率1位を獲得し、江夏豊投手の8完封に次ぐ6完封を記録し、奪三振江夏豊投手に次ぐ260とってますが、投球回数は302.1回での数字。

同じく1968年のパリーグ奪三振王、近鉄バファローズの鈴木啓示投手は、305奪三振でしたが投球回数は359回と江夏豊投手より大きく上回っています。

翌1969年に江夏豊投手は15勝(10敗)と勝ち星を落としますが、防御率は1,81で1位。三振奪取も262と大幅に減りましたが(奪三振王ですが)、投球回は258,1回なので、三振数は投球回数を上まっています。

結局、江夏豊投手は1年目の1967年から1972年まで6年連続で奪三振王に輝きましたが、2年目の1968年から1971年まで4年連続で投球回数より奪三振が上まっていました。

1973年に、23勝で24勝の江夏豊投手には1勝及ばず最多勝を逃した、読売ジャイアンツ高橋一三投手の238奪三振に対し江夏豊投手は215奪三振で、連続奪三振記録をここで途切れます。

江夏豊投手が投球回より奪三振が上回ったのは、前年の1972年が最後で、シーズン200奪三振超えも1973年が最後になってます。

高橋一三投手、投球回306,1 238奪三振
・江夏 豊投手、投球回307,0 215奪三振



が、江夏豊投手の6年連続奪三振王というのは、2022年までの今も、奇しくも同時期にパリーグで連続奪三振王を獲得し続けた鈴木啓示投手と並ぶプロ野球タイ記録です。

計10回奪三振王に輝いた金田正一投手でも3年連続が2回と2年連続が2回で、連続記録の難しさを思わせています。

6年連続の『江夏・鈴木』の次の記録が、東北楽天ゴールデンイーグルスの則本昴大投手の2014~2018年の5年連続。

で、次が近鉄バファローズの野茂英雄投手の1990~1993年と、オリックスバファローズの山本由伸投手の2020~2023年の4年連続。

則本昴大投手も、5年連続で投球回数より奪三振が上回ってますし、その後も2年その記録を残してます。

則本昴大投手も山本由伸投手も、今の時代ですので投球回数も奪三振も往年の名投手より少ないですが、これは『そういう時代』の投手ですから仕方がないでしょうね。

また、野茂英雄投手の4年連続奪三振王時も、全ての年で投球回数より奪三振が上回っており、これは在籍5年の日本では全ての年がそうで、アメリカに渡っても1998年まで日米で9年連続で記録を続けてます。

2001年にアメリカで二度目の奪三振王に輝いた時、3年ぶりに投球回数より奪三振が上回り、これを2003年まで3年続けてるので、則本昴大投手も凄いですが、やはり江夏豊投手に次ぐ奪三振王は野茂英雄投手でしょう。

そして山本由伸投手が日本を離れ、2024年よりアメリカのロサンゼルス・ドジャースで投げることが決まっているので、日米通算の野茂英雄投手の記録にどれだけ迫れるか?注目したいところです。

また、3年連続で奪三振王に輝いているのはセリーグでは『金田・江夏』以外では、1980~1982年の読売ジャイアンツ江川卓投手しかおりません。

その江川卓投手の絶頂期、最多勝最優秀防御率・最高勝率・最多奪三振の4冠を達成した1981年は、投球回数240,1に対し221奪三振と、やはり投球回数より奪三振は下回ってます。

結局、病や故障もあり江夏豊投手の華麗なる野球人生で、最も成績が落ち込むのが、この後の1974~1976年の3年間で(12勝、12勝、6勝)、南海ホークス移籍後1年目の6勝を最後にリリーフに転向。

そんな江夏豊投手は1977、1979~1983年まで5年連続6回のセーブ王に輝いており、往年の剛球、速球からコントロールピッチャーに変身しています。

が!しかし!そんな技巧派になった江夏豊投手でしたが、1978〜1979年、1982~1984年の5年間は、やっぱり!投球数より奪三振が上まっていますから(1980年は同数)、本当に凄いピッチャーでしたね〜。