「ゲット・レディ」は、1970〜1976年頃のまだ日本ではアンダーグラウンドな存在だった踊り場では大人気だった曲でしたが、一般的には日本ではそれほどヒットしませんでした。
なので同世代の音楽好き、洋楽好きだった爺さん婆さんでも、若い頃に踊り場に行ったことのない層には全くなんの思い出も思い入れもない曲なので、なかなかこういう曲は珍しいです。
そんな「ゲット・レディ」は、モータウンのスモーキー・ロビンソンが作り、コーラスグループのテンプテーションズがモータウンレコードから1966年に発表した曲。
R&B部門では1位を獲得しましたが、全米ビルボードチャート一般ポップス部門では最高位29位で、1960年代当時のヒット曲連発のモータウンの曲の中では、大ヒットとは言えない楽曲でした。
一方、レア・アースがまだサンライナーズという名前で活動していた頃から(1960年結成)、「ゲット・レディ」はライブでのレパートリーの定番だったそう。
そしてサンライナーズからレア・アースにバンド名を変え、1968年のデビューアルバム「ドリームス/アンサーズ」に「ゲット・レディ」は、ザ・シュープリームスのカヴァー等と共に収録されています。
前年の1967年に、アメリカのロックバンド、ヴァニラ・ファッジがシュープリームスのヒット曲「ユー・キープ・ミー・ハンギング・オン」を全くアレンジを変え発表し、ビルボード最高位6位を記録。
このヴァニラ・ファッジの「ユー・キープ・ミー・ハンギング・オン」の商業的成功は、レア・アースの追い風になったと思いますが、残念ながらこの時はヒットに至らなかったです。
で、このアルバムには、当時のサイケデリックソウルシーンの大功労者!マイク・セオドアとデニス・コフィー(モータウン、ファンク・ブラザーズの一員)が全面的にバックアップしたそう。
結局、この二人とレア・アースの関係がモータウンのベリー・ゴーディJr.の目にとまったのでしょう。
モータウンは当時、商業的に大成功していた白人ロックを自分の所でもやろうと目論見、モータウンの子会社をたちあげたわけですが、その会社名にこのレア・アースを使ってます。
ちなみに新しい会社名がまだ決まってない段階で、レア・アース側が「じゃあレア・アースにすれば?」と冗談めかしに言ったら、ベリー・ゴーディJr.はOKしたとか。
ですから、ベリー・ゴーディJr.は相当!レア・アースというバンドに入れ上げていたのでしょう。「これは成功する。金になる!」と直感したんじゃないですかね?あの方はその辺は天才だから。
そして、バンドのレア・アースはモータウンと契約し、その子会社のレア・アース・レコードから再デビュー。この時再びレコーディングされ直したのが、あの!「ゲット・レディ」です。
こちらの再録音の「ゲット・レディ」は、途中からメンバーのソロ演奏の応酬の21分の長さの演奏になり、これに聴衆の拍手や声援が被せられましたが、そのヴァージョンの歌部分をシングルカット。
シングル「ゲット・レディ」の冒頭に歓声が入ってるのはそのせいで、こちらは1970年のビルボードシングルチャートで最高位4位の大ヒットを記憶。バンドも「ゲット・レディ」も大成功を収めました
ただ、日本の古の踊り場好きレア・アース「ゲット・レディ」ファンも、「イヤイヤ!白人は偽物。本家黒人のテンプテーションズが最高さ」の人も、共にレア・アースの事なにも知らなかったりします。
それほどレア・アースというバンド情報は、日本では極めて乏しいです(私もそれほど詳しくはないですが)。
レア・アースは、こちらも日本ではヒットしませんでしたが「アイ・ジャスト・ウォント・トゥ・セレブレート」も、1971年にビルボードチャートで最高位7位の大ヒットを記録。
この「アイ・ジャスト・ウォント・トゥ・セレブレート」は、1999年のジョージ・クルーニー主演映画「スリー・キングス」のOPに使われており、2023年のグラミー賞の開幕でも演奏されています。
と、日米でレア・アースの評価はかなり違いますが、一般的には日本で「アイ・ジャスト・ウォント・トゥ・セレブレート」も「ゲット・レディ」もヒットしてないので、この辺はしょうがない。
また、第三期ディープ・パープルのお披露目ライブになった事でロックファンには有名な、25万人が集まったと伝わる1974年の野外ライブ「カリフォルニア・ジャム」に、レア・アースも出演しています↑。
ディープ・パープル、レア・アースの他の出演バンドは、まだブラックロックと言われてた頃の、それほど日本では知名度の高くなかったアース・ウィンド&ファイヤー。
こちらも、日本ではまださほど知られてなかったイーグルス。オジー・オズボーン在籍時のブラック・サバス、そしてエマーソン・レイク&パーマー等々、錚々たるバンドばかり。
で、売れなけりゃ売れないで困るし、売れたら売れたで音楽性の違いだのスケジュールの多忙さに嫌気がさしただのはレア・アースも同じだったようで、売れた時点でメンバーチェンジは起きていました。
そして「カリフォルニア・ジャム」から3ヶ月後の1974年7月、バンドは分裂。その後はメンバーを一新したり、辞めたメンバーが戻ったりを繰り返し、訴訟や麻薬など面倒な揉め事は続くもヒット曲は出ず。
それでもレア・アースは、全米ビルボードチャートトップ10入りが2曲あり、トップ30まで広げればもっとヒット曲はあるわけですから、仕事になるのでレア・アースは一度も解散表明はしていません。
最後になりますが、古の踊り場ファン、レア・アースの「ゲット・レディ」ファンには耳タコのあの!歌唱のピーター・リベラ(ピーター・ホーレルベケ)↑の情報が、あまりになさすぎるので僭越ながら少々。
ピーター・リベラは1946年、モータウンのご当地デトロイト生まれで、無名バンドでドラムを叩いてるところを、サンライナーズというそのバンドより少しは知名度のあるバンドにスカウトされています。
週に5晩出演のクラブバンドを皮切りに、サンライナーズはデトロイトで名をあげ、あれよあれよでクラブバンドとしては売れっ子になったそう。
そしてレパートリー不足を補うため、ドラマーのピーター・リベラも歌うようになり、彼のレパートリーはすぐに30曲にも及んだそうで、この決断が後のあの「ゲット・レディ」のあの声になるわけです。
で、前出の通りレア・アースはトラブル満載バンドなので、ピーター・リベラも「カリフォルニア・ジャム」後の分裂騒動時に一度脱退し、1976年に戻り1983年までレア・アースで活動しましたが、そこまで。
以降レア・アースというバンドはメンバーを変えながら継続してますが、ピーター・リベラはレア・アースに参加しておりません。でも、現在も音楽活動は続けておられるようです。