名作「傷だらけの天使」最終回ラストで流れた「ひとり」は、リアルタイム当時全くヒットしなかった

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昭和の名テレビドラマ「傷だらけの天使」の最終回、夢の島のシーンで流れる楽曲「ひとり」。


作詞は元ザ・タイガース、元PYG井上堯之バンドの岸辺修三(現:一徳) 、作曲は同じく井上堯之氏、歌うは元ザ・ゴールデンカップルのデイブ平尾氏。元グループサウンズメンバーの作品です。

傷だらけの天使」ファンならご存知の方が多い名曲ですが、「ひとり」はリアルタイム当時、全くヒットしてません。

「ひとり」はグループサウンズブーム終焉後、ザ・ゴールデンカップスデイブ平尾氏の1972年のシングルソロデビュー曲「僕たちの夜明け」のB面曲。

「僕たちの夜明け」は作詞作曲集団フォーメンによる作品で、メンバーの杉本真人氏はグループ解散後、小柳ルミ子さんの「お久しぶりね」等ヒット曲を放ってます。

 

が「僕たちの夜明け」は全くヒットせず、当然、B面の「ひとり」も知られることなく埋もれていた楽曲でした。

デイブ平尾氏の「僕たちの夜明け/ひとり」が発表された1972年といえば、岸辺修三氏と井上堯之氏のPYGが、シンガーの沢田研二氏と萩原健一氏のツインボーカルのバンドスタイルを断念しだした時期。

 
PYG在籍中の1971年11月に発表された沢田研二氏のソロシングル第一弾「君をのせて」(宮川泰氏作曲)は、大きなヒットにならず(オリコン最高位23位)。

 

1972年3月発売のシングル第二弾の、こちらも元ワイルドワンズ、グループサウウンズの加瀬邦彦氏作曲の「許されない愛」が初ヒットを放っています。

一方、沢田研二氏が事務所の方針でソロ活動が活発になったこの時期(沢田研二氏はバンドでやりたかったが)、PYG沢田研二氏を外し「萩原健一PYG」名義でサードシングル「戻らない日々」を発表。

 「戻らない日々」も「ひとり」同様、岸部修三作詞、井上堯之作曲でしたが全くヒットせず、「萩原健一PYG」は商業的に失敗しています。

ところが、バンドでやりたい沢田研二氏は萩原健一氏以外のPYGメンバーを、自身のバックバンドとして起用しだし、結果的に「沢田研二PYG」に1972年の「許されない愛」のヒット以降なっていきます。

まだPYGは解散しておりませんが、俳優として評価の高くなった萩原健一氏の連続テレビドラマ初主演の「太陽にほえろ!」が同じく1972年7月より放映開始。


当時は銀幕のスター(映画俳優)はテレビには出なかったのですが、映画界の斜陽により多くの銀幕のスターがテレビドラマに出るようになって、「太陽にほえろ!」も「石原裕次郎!テレビ初登場」が売り。

 

で、グループサウンズの人気者!萩原健一氏との二枚看板が売りでした。

既にジャズのメンバーとの音楽活動もやっていてヒット曲も多々あり、更にテレビに全く興味のなかった石原裕次郎氏は、特に自分の意見を「太陽にほえろ!」で言うこともなかったのでしょう。

テーマ曲は、PYGが担当することになります。

これはPYGのまだメンバーだった萩原健一氏の推しだと思われますが、結果的にテレビドラマの主題歌がロックサウンズだったのは「太陽にほえろ!」が初!

作曲は井上堯之氏ではなく、同じ元ザ・スパイダース大野克夫氏で、「太陽にほえろ!」のテーマは多くの大衆に好まれました。

で、PYGはいつしか井上堯之バンド名義になり、「太陽にほえろ!」のテロップでもそう紹介され、沢田研二氏のバックで参加した紅白歌合戦でも、PYGは井上バンドとなっていました。

結局、PYGは解散表明することなく、自然と沢田研二氏のバックバンドの「井上堯之バンド」になり、そして萩原健一氏の主演ドラマや映画の音楽担当をするようになっていってます。

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1975年3月29日放映の「傷だらけの天使」最終回に、PYG岸部修三氏作詞、井上堯之氏作曲、デイブ平尾氏歌唱の「ひとり」をラストの挿入歌に推したのは、おそらく萩原健一氏でしょう。

監督の工藤栄一氏や脚本の市川森一氏が当時、デイブ平尾氏のヒットしなかったデビューシングルのB面曲の「ひとり」を知っていたとは考えずらいですから。

というわけで「傷だらけの天使」の最終回ラストで使われた、幻の名曲「ひとり」はヒットすることなく、1976年9月発売の井上堯之氏のソロアルバム「 Water Mind」で「I STAND ALONE」として収録。

更に1978年2月発売の柳ジョージとレイニーウッドのファーストアルバムにも、「一人/I STAND ALONE」として収録されたので、井上堯之氏や柳ジョージ氏の歌唱で知ってる古のロックオヤジ、ロック爺は多いかもしれないですね。