カルメン・マキ&OZのファーストアルバムは、古の邦楽ロック屈指の名盤!

 

 


昨今の事は何もわかりませんが、1970年代の日本のロック名アルバムの1枚、カルメン・マキ&OZの1975年のファーストアルバム、その名も「カルメン・マキ&OZ」。

カルメン・マキさんは、1969年のデビュー曲「時には母のない子のように」を大ヒットさせ 、その一目でハーフとわかる風貌と、17歳と思えない言動のクールさで時代の寵児になり、紅白歌合戦にも出場。

「時には母のない子のように」のプロデューサーだったCBSソニー酒井政利氏に、大ヒットのご褒美にステレオと何枚かのL Pをプレゼントされ、その中の1枚にジャニス・ジョップリンがあったとか。

カルメン・マキさんはジャニス・ジョップリンに強烈に感銘し、自分もロックバンドがやりたくなり、ここから人生が変わったと言えます。


1971年にカルメンマキさんは、こちらも天才ギター少年と誉れだった(カルメン・マキさんと同学年)竹田和夫氏のブルース・クリエイションとコラボレーション・アルバムを発表。

その「カルメン・マキ&ブルース・クリエイション」も、一部のロックファンの間では話題になりましたが、当時の日本のロックをマスメディアは全く取り上げなかったので、一般的には広まらなかったです。

あの『天下の!カルメン・マキ』でも、マスメディアが取り上げないのですから、他の日本のロックバンドが、如何に取り上げられなかったか?後世の方でもわかると思います。

日本のロックバンドをマスメディアが比較的取り上げたのは、1972年12月レコードデビューのキャロルで、初めてお茶の間ヒットになったのは、ダウン・タウン・ブギウギ・バンドの「スモーキン・ブギ」。

ただ、当時のダウン・タウン・ブギウギ・バンドを、お茶の間がロックバンドと認知していたかどうかはわかりませんけど(笑)。宇崎竜童氏のサングラス姿に、メンバー全員のつなぎ姿は話題でした。


そんな「スモーキン・ブギ」が大ヒットしていた1975年1月に、 カルメン・マキ&OZのファーストアルバムは発表され、当時の日本のロックでは異例の10万枚のヒットを記録しています。

とはいえ、歌謡シングルヒットがなかったので、一般的にカルメン・マキ&OZが知られる事はありませんでしたが、当時のロック少年少女達にとってカルメン・マキさんはカリスマ!

これは当時のクリエイションや四人囃子サディスティック・ミカ・バンド等にも言えますが、歌謡曲とは異なるロックサウンドを日本のバンドが作り、アルバムを出すというのは事件だったんです。

特にカルメン・マキ&OZは、繰り返しますが『天下のカルメン・マキ』がロックシンガーに転身。史上初めてロックバンドのメインシンガーとして女性が全曲歌いまくってるわけで、これは当時本当に凄かった!


勿論、内田裕也とザ・フラワーズの麻生レミさん、サディスティック・ミカ・バンドのミカさん、シュガーベイブ大貫妙子さんも歌ってました。

が、バンドには内田裕也氏、加藤和彦氏、山下達郎氏の男性シンガーもおり、アルバム全曲の歌唱はなかったですから。

 

また、浅川マキさんという巨匠も既におりましたが、彼女はソロシンガーでしたから、当時はまだまだマッチョ!男の世界イメージの強かったロックバンドで、女性シンガーというのは異色でした。

当時、日本は空前の和製ふぉーくブームでしたから、カルメン・マキさんは「時には母のない子のように」や「戦争は知らない」を普通に歌って、そっちで活動していたらおそらく大金持ちになれたでしょう。

繰り返しますが、彼女はあの!「時には母のない子のように」の『天下のカルメン・マキ』ですから。

 

一方、ロックバンドの方は全く商売になっていなかったのに、カルメン・マキさんは、商売になってない方に向かったのが、今でもすげーよなと思うわけです。

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まぁ〜リアルタイム当時も、カルメン・マキさんのシャウトは「すげーな〜」と感心しましたが、時が経ってこちらも爺になって、24歳当時のカルメン・マキさんの歌唱を聴き返すと、やはり感慨もひとしお。

全く日本で商売になってなかった邦楽ロックで勝負をかけた、カルメン・マキさんのその『漢気』というか心意気というか何というか、誠に粋で鯔背で思うところがあります。

で、全曲日本語でも「カルメン・マキ&OZ」のスピリッツはロックですし、全曲オリジナルナンバーでも、歌唱もサウンドも心地良いロックの名アルバムです。 

 

とにかく一にも二にもカルメン・マキさんの歌唱、シャウトがかっこいい!アルバム。総論は他に言葉はないです。かっこいいの一言!

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で、各論の収録曲ですが、アルバムA面1曲目は、東京は青山出身のOZのギタリストの春日博文氏作曲、加治木剛名義の後のダディ・竹千代氏作詞による「六月の詩」。

 

お二人は高校の同級生だそうで、英語ではなく明確に日本語でロックをやろう、日本語でもロックは出来るという強い思いが、ずーっとあったと思います(そういう論争があった時代だった)。

 

全体に、アルバムのサウンドは当時のブリティッシュロック、プログレっぽいアルバムですが、それに乗る日本語詞とカルメン・マキさんの歌唱に、違和感を感じる人は今も昔もいないでしょう。

 

極めて普通に日本語詞がロックサウンズに馴染んでる、「六月の詩」をアルバムA面トップに持ってきたセンス、とても良い名刺がわりの1発。


カルメン・マキさんの歌唱あってとは言え、「六月の詩」の作曲の春日博文氏、作詞の加治木剛名義の後のダディ・竹千代氏、もっと再評価されても良いと思われます。

2曲目も春日博文氏作曲で、作詞はカルメン・マキさんの旧本名を使った Maki Annette Lovelace 名義の「朝の風景」。イントロのギター、そしてピアノがとてもキャッチー!

 

また、詞だけ読んでると、普通に当時の歌謡曲や和製ふぉーくでもいけるそれですが、サウンドカルメン・マキさんの歌唱もロックなのが凄い。日本語詞が見事にロックになってます。

A面ラストは再び加治木剛氏作詞、春日博文氏作曲の「Image Song」。加治木剛名義のダティ竹千代氏というと、東京おとぼけCATSイメージが私は強いので、「Image Song」の壮大な愛の詞はちょいと驚き。

こちらもカルメン・マキさんの歌唱あっての名曲ですが、加治木剛名義のダティ竹千代氏、凄い才能のある方でございます。

 

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B面1曲目は先行シングル発売されていた、コアな人気の高かった「午前一時のスケッチ」。

作詞作曲ともに加治木剛氏で、この曲は時代がずれてたら、例えば1980年代の歌謡ロックブームの頃なら、普通に歌謡ヒットしただろうと思わされる曲です。

時代が悪かったというかなんと言うか。まぁ〜この辺の当時の普通の若者の音楽趣向論にになると、話が長くなるのでやめておきましょう、、、。

B面2曲目は再び、加治木剛氏作詞、春日博文氏作曲の「きのう酒場で見た女」。アルバム中唯一!雰囲気の違うホンキートンク調の曲で、こういう曲も歌えちゃうカルメン・マキさんは実にかっこいい。

そしてB面ラストは、当時の邦楽ロックファンだったら説明無用、邦楽ロックの最高峰の1曲と言えるでしょう!「私は風」。見事なハードロックです。

まぁ〜なんと!中森明菜さんも後にカヴァーしたので、彼女のファンならそちらでご存知かと思います。

こちらはMaki Annette Lovelace 名義のカルメン・マキさんご本人のアルバム2曲目の作詞で、作曲は春日博文氏。

 

全6曲中5曲を作曲した春日博文氏。4曲作詞、1曲作曲の加治木剛氏。そして全曲歌唱で2曲作詞のカルメン・マキさん。このアルバム製作時、若きお三方はどんな思いだったのでしょうね〜。

 


で、当時のカルメン・マキ&OZは何故か?メンバーチェンジが激しく、結成当初はベースに鳴瀬喜博氏、ドラムに樋口晶之氏でした。

が、アルバム発表前後は、ドラムに現在渋谷「クロコダイル」の店長の西哲也氏、古田宣司氏、そしてその後、内藤正美氏に代わっており、ベースも千代谷晃氏、川上茂幸氏に代わってます。

キーボードに石川清澄氏。そしてゲスト・プレイヤーに深町純氏がアルバム「カルメン・マキ&OZ」は加わっており、基本的にOZは、春日博文氏とカルメン・マキさんのバンドだったって感じでしょうか?
 
で、鳴瀬喜博氏はOZの後に、チャー=竹中尚人氏や金子マリ氏等と「スモーキーメディスン」を結成しますがレコード発売はなく、その後、金子マリ&バックスバニー」でレコードデビューしています。

また、樋口晶之氏は元居たブルースクリエイションからクリエイションになったバンドに参加しており、この当時のカルメン・マキ&OZ周辺のミュージシャンの動向そのものが、日本のロック史です。