1976年のザ・ローリング・ストーンズの「ホット・スタッフ」は、ストーンズ流ファンクロック挑戦曲だった!

1970年代の日本のロックファンは、リードギタリスト至上主義だった影響もあり、リアルタイム当時はキース・リチャーズより人気があったミック・テイラーが、1974年12月に突然!グループを脱退。


紆余曲折ありロン・ウッドが、後任のザ・ローリング・ストーンズの正式メンバーになっています。

そんなストーンズが1976年発表した、ミック・テイラーなき後の初アルバム「ブラック・アンド・ブルー」(Black And Blue)のA面1曲目、ザ・ローリング・ストーンズ流、ファンクナンバー「ホット・スタッフ」( Hot Stuff)。

時代背景としては、ザ・ローンリング・ストーンズがルーツとするR&R、R&B、ブルースのアメリカ黒人音楽が、70年代に入り、ニューソウル、ニューファンクの流れになっていました。

既に1974年には、スコットランド出身の白人ファンクバンド、アベレージ・ホワイト・バンドは「ピック・アップ・ザ・ピーセズ」で、全米1位を獲得。

更にはアメリカの白人ファンクバンド、ワイルド・チェリーも「プレイ・ザット・ファンキーミュージック」で1975年、全米1位を獲得しました。

白人バンドが黒人音楽をルーツにした演奏をやる、我こそは第一人者の自負がザ・ローリング・ストーンズはあると思われますし、また、ストーンズは良い意味で時代の流れ、空気に敏感。

ただ、ロン・ウッドはこのアルバム発表時に正式メンバーとして加入しており、レコーディング時は未だフェイセズのメンバーだったので、このアルバム、あまり実は参加しておりません。

「ホット・スタッフ」の、この非常に!印象深いファンキーでうねうねしたギターソロは、ロン・ウッド同様、後任ギタリスト候補だったハービー・マンデルが弾いてます。

もしかしたらハービー・マンデルがストーンズのメンバーになっていたかもしれないナンバーなので、ハービー・マンデルも気合いが入っていたのではないか?と推測出来ますね。

こちらもとても印象深いキーボードは、ザ・ビートルズの映画「レット・イット・ビー」でもお馴染み、黒人のビリー・プレストンであり、ハービー・マンデルとビリー・プレストンの力なくして、この極上の!ファンクロックは作れなかった事でしょう。

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この後、ロン・ウッドが正式メンバーになってからのツアーを録音したライブアルバム「Love You Live」のロン・ウッドの「ホット・スタッフ」のギターソロと、オリジナル録音のハービー・マンデルのギターソロを、比べて聴いてみるのも面白いです。

ハービー・マンデルが相当!独創性の高いギタリストなのがわかると思いますから。

だからロン・ウッドではなく、もしハービー・マンデルがストーンズのもう一人のギタリストになっていたら、その後のストーンズサウンドは相当!変わったものになっていたかも知れないです(別にロン・ウッドが悪いというわけではないので、誤解のないように)。
 
が、まあ、そのへんは「神のみぞ知る」という事で、、、。

ちなみにストーンズの「ホット・スタッフ」は、当時の踊り場のDJに好まれなかったよう。

アベレージ・ホワイト・バンドの「ピック・アップ・ザ・ピーセズ」やワイルド・チェリーの「プレイ・ザット・ファンキーミュージック」と違い、当時の踊り場、ディスコで全く使われる事がなかったので、当時のディスコキッズ、ソウル、ファンクフリークに認知度は低い曲です。

又、当時のロックキッズ達にも、ストーンズ流16ビート&ファンクナンバーのこの曲、あまり受け入れられなかったので、それほどヒットしなかったですし、アルバム売り上げもイマイチだったように、私は記憶しております。
 
ストーンズナンバーがディスコでバカ受けしたのは、「ホット・スタッフ」から2年後の1978年、正に!世は世界的なディスコブーム、ナイトフィーバーブームの最中だった年の「ミスユー」(Miss You)。

こちらは「悲しみのアンジー」以来の全米ビルボードチャート1位に輝き、ストーンズが今に繋がる人気を安定的に保つようになったのは、「ミスユー」の大ヒットあってだったと、ボクは思っております。

その前のアルバム「ブラック・アンド・ブルー」も「イッツ・オンリー・ロックンロール」も、あまり売れなかったし、ロックキッズ達にそれほど評判良くなかったですから。

リアルタイムはね。今の評価は知らないけど、、、。