1973年4月15日、無敵の『怪物』ハイセイコーが、中央クラシック三冠の『皐月賞』も優勝し9連勝負けなしの快挙を披露しました。
ハイセイコーは無敵のダートの大井競馬から芝の中央競馬に移籍し、果たして中央で芝ではどうか?と懸念もされましたが、見事に『弥生賞』『スプリングS』に連勝し8戦全勝。
そして9連勝目が『皐月賞』でしたが、地方競馬出身馬が中央クラシックを制したのは史上初ということもあり、『怪物』ハイセイコー人気は競馬界だけでなく社会現象になりました。
一方人間、高校生の方の『怪物』、作新学院の江川卓投手は同年4月5日の選抜大会準決勝で、ポテンヒットでの失点が秋の新チーム以降初失点で、連続イニング無失点記録はストップ。
その後、広島商のツーアウトからの奇襲ダブルスチールをキャッチャーがサードに悪送球してしまい、それが決勝点になり作新学院は1対2で敗退しました(江川卓投手は被安打2)。
ちなみにこの年の選抜大会での江川卓投手の、4試合での60奪三振は、今も破られていません。
さて作新学院の『怪物』江川卓投手は敗れましたが、こちらはまだ!「負けなし」の競馬の『怪物』ハイセイコー。
5月6日の『NHK杯』でも優勝。頭差の辛勝でしたが、これでハイセイコーは大井競馬6連勝後、中央競馬に移っての4連勝で無敵の10連勝。
まぁ〜当時は高度成長からバブルに向かって一直線の時代でしたから、地方から上京してきて仕事につけばそれなりにカッコがついた時代です。
でも、カッコはついても、やっぱり企業にはエリートの有名大卒や世襲や血縁、縁故関係など諸々ありますから、思うところがあった労働者は多かったと思います。
そんな世情の中、地方競馬出身なれど中央競馬で勝ち進むハイセイコーに自分を重ね合わせて応援してた人多かったのでしょう。
5月27日の『東京優駿』、ダービーのハイセイコー人気は凄まじく、東京競馬場には13万人集まり、単勝オッズは1,2倍。単勝支持率は東京優駿史上最高(当時)の66.6%でした。
が、しかし、、、
ゴールまで残り400mでトップにでたハイセイコーでしたが、9番人気のタケホープと12番人気のイチフジイサミに追い込まれて3着。
『怪物』ハイセイコーが初めて負け、不敗神話が崩れたのが『東京優駿』=ダービーの11戦目でした。
ちなみに、タケホープは『弥生賞』で優勝したハイセイコーに負けた7着後、『皐月賞』を回避し休養に入っており、イチフジイサミはハイセイコーとは真逆で、デビューから10戦まで未勝利。
特別競馬で2連勝しクラシック挑戦権を得ましたが、ハイセイコーが優勝した『皐月賞』は4着ですから、タケホープ・イチフジイサミの枠連『5-7』は9,560円の大穴になりました。
『5-7』を千円買ってたら払い戻しは9万5千6百円。1973年の大卒初任給は62,300円ですから、月給1ヶ月分以上。当てた人は嬉しかったでしょうね〜。
タケホープの単勝も5,110円。あれだけのハイセイコー人気の中、タケホープの単勝を勝った人っていうのも凄いですね〜。
タケホープの複勝は560円、イチフジイサミが850円。複勝でも買ってた人には美味しかったでしょう。
そんなハイセイコーの敗因は距離。それまでの2000m以下のレースと違い『東京優駿』は2400m。血統の問題で距離が長すぎたのではないか?と言われました。
が!しかし11月11日の『菊花賞』は3200mでしたが、ハイセイコーは最後の直線で内から抜け出し勝ったと思えましたが、タケホープに再びゴール直前もの凄い追い込みでさされ鼻差の2着でした。
が、どうしてなかなかのレースでしたから、血統も含め競走馬の勝ち負けは本当に謎が多いです。