ランナウェイズ、カリフォルニアのガールズバンドに何故?日本人は熱狂したのか?

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校則も今では信じられないほど厳しく、普通の女学生の髪は肩迄、それ以上伸ばしたら三つ編みか一本結わきの髪型。そして赤ぶち眼鏡に、ノーメイクが当たり前だった1977年の日本。

まぁ〜、そこからはみ出し、髪をアフロやカーリーで決めた女の子や、ちょっとお洒落にアイビー、ヨーロピアンで決め踊り場で踊ってる女の子達は、普通に不良少女の烙印をおされた1970年代。

そんな日本で、何故?来日当事平均年齢16才だった、アメリカはカリフォルニアのガールズバンド、ザ・ランナウェイズが、10代の女の子達に大人気で迎え入れられたのか?

ベイシティ・ローラーズやクィーンに女の子達がキャーキャー言ってるのはわからないでもなかったですが、女の子達がガールズバンドのザ・ランナウェイズにもキャーキャー言ってた。

これが、ちょいと私的にはとても不思議な現象、謎の現象でした。

 

日本公開2011年、シェリー・カーリーをあの!ダコタ・ファニングが演じた映画「ランナウェイズ」でも、1977年の日本での謎の熱狂、大歓迎ぶりが描かれてますので、興味のある方は是非是非!

 

 

で、来日時の映像では、シェリー・カーリー、空港でてくる時に歩きタバコしてる(笑)。

まぁ〜今は何処もかしこも禁煙ですけど、当時は空港も駅もけっこう緩かったから、喫煙は驚かないにしても、シェリー・カーリー、当時ティーンエイジャーですからねー。

日本人歌手だったら完全アウト。まして「女の子」だったら、芸能界追放でしょ〜?(笑)。

だから、当時のザ・ランナウェイズ好きのティーンエイジャーの女の子達は、同世代のガールズバンドの彼女たちに、とても「自由」を感じたんじゃないのかな?と、私は勝手に思ってます。

アメリカって自由でいいよねー。アメリカ人て羨ましいな〜」的な。


そんなザ・ランナウェイズのシングル「チェリー・ボンブ」は、ピンク・レディーブーム真っ盛りの歌謡曲含むオリコン総合で最高位10位、洋楽部門で1位を記録する大ヒット。

来日公演も実況録音盤として発売もされました。

 

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まぁ〜私は以前より断言してますけど、音楽関係の雑誌や評論家は騒いでましたが、日本で1970年代後半当時、パンクブームなんて実は起きてません。

殆どの若者達は、既に吉田拓郎氏の大ブームは終焉してましたが、相変わらず和製ふぉーくが大好きが普通。1976~1977年だとユーミン荒井由実さんが人気ありました。

後は、日本全国ツッパリ坊達は矢沢永吉氏に熱狂。アメリカかぶれのサーファー風若者達は、口を開けば「L A、LA」で、ウエストコーストサウンドやファンク、ソウル、ディスコサウンドを好んでいた。

そして数少ない楽器を持ったロック少年達、ロックギターキッズ達は、ハードロックやプログレ、最新のクロスオーバーを好んでいたから、パンクブームが入り込む余地がなかった。


まぁ〜日本の元祖パンクバンド的な位置の、アナーキーがレコードデビューするのも1980年で、日本でパンクっぽいバンドが台頭するのは1980年以降(頭脳警察をパンクとするならそれ以前からだけど)。

それもパンクというより、化粧したりファッショナブルに着飾ったりのニューロマンチックに近いそれで、サウンドも当時流行りのテクノの方が、影響受けてたグループが多かったような気もしましたし。

ボウイが圧倒的人気、商業的成功をおさめたのも、1980年代後半になってからでしたし。

だから、、、

ザ・ランナウェイズがパンクバンドだったかどうかは別にして、彼女達の来日こそが!70年代後半当時の日本においては、最大の!パンクムーブメントだったと私は断言しちゃいます。
 
レコード会社は、ザ・ランナウェイズを今流行りのパンク的な売り方してたしね。
 
で、来日中にベースのジャッキー・フォックスがグループの脱退を表明し、その後、日本でも人気だったシェリー・カーリーも脱退。これはかなり大きなニュースでした。

結局、ザ・ランナウェイズは日本で大人気の2年後の1979年には、もう解散しており、ロックバンドにありがちなセックス、ドラッグもあって(10代なのに)、この辺もパンクっぽかった(笑)。

まぁ〜シェリー・カーリーは脱退後、双子の姉妹マリー・カーリーと音楽で一山当てようとしますがうまくいかず、その後、女優になりますが、こちらもイマイチ。

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日本では、シェリー・カーリーに次いで人気者だったドラムのサンディ・ウェストも解散後、自身のバンドを立ち上げますが成功に至らず、音楽以外で生計を立てていましたが、2006年に他界。

ギターのリタ・ジョーン・ジェットの二人だけは、ソロになってからも成功を収めており、特にジョーン・ジェットは大御所になったので、ザ・ランナウェイズは伝説になっているのでしょう。

もしリタ・フォードとジョーン・ジェットの成功がなかったら、ザ・ランナウェイズは所謂「一発屋」的な扱いで終わってたでしょうから。
 
また、セックス・ピストルズが1996年によもやの再結成を行い、商業的には成功しましたが「偉そうな事言っても所詮は金か」と顰蹙をかうも、その後も何度も再結成興行やってます。
 
一方、ザ・ランナウェイズが一度も再結成興行をしないのは、リタ・フォードとジョーン・ジェットが漢気あるロッカーだから、そんなカッコ悪い事は嫌なんだろうと勝手に思ってます。

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(リタ・フォード)

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(ジョーン・ジェット)
 

ちなみに以前、若い頃はパンクが好きだったというおっさんが、自分がロックに目覚めた時(1980年代)、もうセックス・ピストルズは解散してて、パンクが流行ったリアルな時代を知らないのが悲しい。

少し年上のリアル世代が羨ましいと言っていたので、私は「セックス・ピストルズ現役時代に若者だった俺等世代って、み〜んな普通にふぉーく聴いてアイドルでオナニーしてただけよ」。

セックス・ピストルズは話題にはなってたけど、リアルタイム日本で好きだった奴なんて、そんなにいなかったから、羨ましがる事ないよ(笑)」と、事実を教えておきました。

というわけで、、、

今更ながらザ・ランナウェイズ、サポートメンバーもいない女の子だけバンドで、R&R、ロックショーの、あの演奏&グルーヴ&歌唱・コーラスのステージは、偉かったな〜と感心しています。