キャロル解散ライブ時のクールスの、「黒ずくめ」の革ジャン・サングラス・リーゼント・バイクは衝撃だった!

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クールスの上は黒の革ジャン、下は青か黒のジーンズで、バイクのタンクも黒の「黒ずくめ」のチームカラーを打ち出したのは舘ひろし氏。

舘ひろし氏は愛知県立千種高等学校時代、ラグビー部の主将をしていたそうで、ラグビーNZ代表「オールブラックス」が好きだったので、それを真似たそうです。

舘ひろし氏もよくある話ですが、「上京」という名で京ではない千葉県津田沼千葉工業大学に入学(笑)。

原宿にあった洋服屋「GRASS」でバイトをしていたとかで、この洋服屋の経緯がクールスのメンバーが、当時としてはかなり洒落た黒の革ジャンが揃えられた理由でしょうね。

クールスより前に革ジャンをユニフォームにしてたキャロルは当初、バイク乗りのゴワゴワのレザーを着ており、ファッション性に関してはクールスの革ジャンの比ではなかったです。

クールス結成の頃、クールスが着ているような洒落た革ジャンなんて、普通の子はどこに売ってるのか?さっぱりわからなかったし、デパートや普通の洋品店で見た事もなかったですから。

ちなみに1980年代になり、代々木公園でラジカセ鳴らしてツイスト踊ってた連中の革ジャン御用達だった、原宿の「クリームソーダ」は、70年代のクールス結成時、まだなかった(オーナーの山崎氏は、既に新宿でバー「怪人20面相」を営んでましたが)。

あと、後世の人が間違えてはいけないのはクールス結成時、舘ひろし氏は既に24歳のいい大人。

当時の暴走族はほぼ99%ティーンエイジャーで、一部の「頭」(当時は後の「総長」なんて893みたいな名称はなかった。頭か会長だった)や、うっかりそのまま残ってる輩以外、二十歳超えた暴走族なんて、殆どいなかったです。

基本的に暴走族は、バイクは四輪取得の年齢になるまでの繋ぎ、四輪も成人超えるまでの「悪い遊び」で、普通、二十歳も超えると暴走族に飽きちゃってやめる。

また、当時の暴走族はほぼ不良、非行少年ですから、二十歳も超えるとその流れでそれを生業にする暴力団員になる輩も多く、真のバイク愛好家は少なかったです。

当時のティーンエイジャー中心の暴走族の服装は、まさにバラバラで、バイクや車の塗装も勝手気ままで、クールスのような「黒」でチームカラーを統一するなんて発想、当時の暴走族にはなかったです。

なので、クールスはあらゆる意味で暴走族ではありません。

舘ひろし氏は暴走族と自称してますが、当時の警察発表による都内の主要暴走族グループ名に、クールスの名前はありませんでしたし(笑)。

また、村山一海氏は「大人だったから」クールスは暴走族ではなかったと、近年のYouTubeで証言しており、同じクールスのメンバーでも舘ひろし氏とは見解が異なってます。

クールスは、みんな二十歳を超えた「大人のバイク愛好家」チームで、今ならどうってことはないですが、二十歳超えた「いい大人」が、道楽でバイクチームを作るというのは稀!

おそらく当時は、クールスだけだったと思います。

そして24歳と言っても、舘ひろし氏は3月の早生まれなので、普通の同学年なら大学出て就職3年目。

高卒なら就職7年目で、中卒や高校中退で職人修行に入っていたら、もう一人前の職人になってる年齢です。

余談ですが、ライオンズのエースだった東尾修氏は、舘ひろし氏の1学年下、岩城滉一氏と同学年で、キャロル解散の1975年は既に高卒プロ入り7年目で、23勝の最多勝を獲得してましたから、、、。

まぁ〜舘ひろし氏の実家は愛知県の開業医で、同じくクールスの舘ひろし氏より1学年下の岩城滉一氏も、実家は中野区弥生町で建築土木の「岩城工業」を営んでいました(今はないです)。

以前何かのインタビューで、岩城滉一氏はそのまま親の跡を継ぐつもりだったと述べておりましたが、後のクールスのリーダーの佐藤秀光氏含め、御三方は当時23~24歳の大学留年生(岩城氏と佐藤氏は帝京大)。

23~24歳で正社員の勤め人でもなく、修行中含め職人でもなく大学院生でもない、今風に言えば「Fラン大」留年のフリーター、または無職のクールスは、ある種「今風の若者」の先駆けだったかもしれないですね〜。

当時は普通、世間や親がこれを許さなかったので珍しいタイプでした。

そして近年、佐藤秀光氏は巷で長年蔓延っていた「クールスはキャロルの親衛隊だった」説を、完全否定しています。

キャロル最年長の矢沢永吉氏は1949年生まれですが、1950年の早生まれの舘ひろし氏とは同学年。

ジョニー大倉氏も内海勝利氏もユウ岡崎氏も皆、舘ひろし氏と岩城滉一氏より年下なんです。

10代、20代前半の1歳2歳の年の違いは、とても大きいのは男ならわかると思いますので、年齢的にクールスがキャロルの親衛隊に心情的になるわけがない(笑)。

岩城滉一氏も以前、何かのインタビューで「友達」という表現をしていた記憶があります。

また近年、キャロルの内海勝利氏はYouTubeで、共演の年上のジェームス藤木氏を「兄貴」と称してます。

なのでクールスはキャロルのラストライブの、会場の日比谷野音までの先導とステージの警護を、「友達」として請け負ったというのが正しいでしょう。

ネット上や巷でキャロルはクールスの「兄貴分」と、よく称してる方おりますが、全くの出鱈目です(笑)。

 

ザ・ローリング・ストーンズの有名な「オルタモントの悲劇」の野外ライブの、警護を担当していたアメリカのバイカー集団ヘルス・エンジェルスを、「ストーンズの親衛隊」とは誰も言わないですから。

で、どういう経緯でクールスがキャロルのラストライブの先導と警護を請け負ったのか?今も誰からも証言がありませんが、それがテレビ番組で撮影され放映。

追記。2021年9月、ラジオで舘ひろし氏がキャロルの事務所からクールスに依頼が来たと証言されました)。

キャロルは勿論、そこで観るリーゼントにサングラスで「黒ずくめ」のクールスのメンバーとバイクが、あまりにカッコ良くて、、、

ブラウン管の前のパーマリーゼントのアロハや赤のスウィングトップやチャイナの非行少年や、その予備軍たちは、おったまげたわけです。

結果的に、俳優の岩城滉一氏も舘ひろし氏も、後のバンド「クールス」も、このキャロルの解散ライブでの先導と警護ぶりが、テレビ放映された事で芸能界入りしています。

最後になりますが、というわけで芸能界デビューのとっかかりは、かなりのシンデレラボーイだったクールスでしたが、浮き沈みの激しい芸能界で、岩城滉一氏も舘ひろし氏もバンド「クールス」も、2020年現在まだ健在!

あの人は今になってないのは、凄い事だと思います。