ですが、こちらは同じサーフィン、サーファーを題材にしていたわりに、イマイチヒットしなかったですね(「ビッグ・ウェンズデー」も、実は一般的にはそれほどヒットはしてないですが)。
まぁ〜、時代は高度成長から後にバブルと命名される直前て事もあり、かなり当時の日本人は浮かれ気分だったので、ちょっと「カリフォルニア・ドリーミング」は終盤が暗いから、、、
ハッピーエンドではなかったのが、壮快なラストだった「ビッグ・ウェンズデー」と違い、ヒットしなかった原因ではないか?と勝手に思っております。
とはいえ、私的にリアルタイム、今はなき新宿京王(今バルト9の隣の京王ビル) で「カリフォルニア・ドリーミング」を観て、今でも記憶と印象に残ってるほど印象深い映画。

「カリフォルニア・ドリーミング」は、ストーリーは他愛もないのですが、3つのカップルのお話が、これがどれもなかなか深い映画なんです。
まず脇役ですが、モテモテサーファーのリック(ジョン・カルビン)の悲しい恋人、ステファニーを演じたタニア・ロバーツ。彼女がとても!「カリフォルニア・ドリーミング」は良い!
1949年生まれのタニア・ロバーツは、「カリフォルニア・ドリーミング」日本公開時、三十路を迎える年齢で、モデルなどを主にやっていたそうですが、女優としては遅咲きの方でした。
で、タニア・ロバーツはこの後、ファラ・フォーセットで有名なテレビドラマ、邦題「史上最強の美女たち!チャーリーズ・エンジェル」の最終シーズン(1980~81年)のエンジェルの一人、ジュリーに抜擢。
日本でも、お茶の間で顔が知られるようになりました。
日本でも、お茶の間で顔が知られるようになりました。
⭕️グリニス・オコナー
で、「カリフォルニア・ドリーミング」の、こちらのグリニス・オコナーが、まぁ〜本筋のヒロインで、当時はとても注目度の高かった女優。
主人公のシカゴからやってきた、色白で冴えない若者、デニス・クリストファー演じるTTが一目惚れする、カリフォルニアの女の子コーキーを演じたのがグリニス・オコナーです。
1956年生まれのグリニス・オコナーは、タニア・ロバーツより7歳年下で、ティーンエイジャーの恋愛物語「ジェレミー」のヒロイン役で日本でも知られた清純派女優でしたが、こちらではベッドシーンあり!
潔く美しい巨乳を惜しげもなく晒してくれ、ファンを喜ばせたものでした。
で、1980年代後半から、グリニス・オコナーはテレビドラマがメインになっているようで、日本でも知れ渡るような映画には出てないですね〜。

ちなみに私は「カリフォルニア・ドリーミング」を観るまで、ビーチバレーというスポーツは存在すら知らなかったので、ビーチでバレーボールをやるというのは、不思議な光景に観えたものでした。
調べてみるとビーチバレーが、オリンピック種目になったのは1996年のアトランタから。日本でも湘南・鵠沼海岸で行われた1987年のそれが、第一回大会だったそう。
まぁ〜己の無知の自己弁護ではないですが、1979年の「カリフォルニア・ドリーミング」上映時に、ビーチバレーを知ってる日本人て、そんなにいなかったんじゃないかしらね〜?
⭕️ドロシー・トリスタン
最後にもう一人、なんだかダサい兄ちゃんながら純朴なTTに好感を持ち、自分の家に住まわす事になったコーキーのパパ、飲み屋の親父のアール(ネッド・ウィーン)の別れた奥さんのフェイ。
このフェイを演じたのが、1934年生まれのドロシー・トリスタン。
調べてみるとビーチバレーが、オリンピック種目になったのは1996年のアトランタから。日本でも湘南・鵠沼海岸で行われた1987年のそれが、第一回大会だったそう。
まぁ〜己の無知の自己弁護ではないですが、1979年の「カリフォルニア・ドリーミング」上映時に、ビーチバレーを知ってる日本人て、そんなにいなかったんじゃないかしらね〜?
⭕️ドロシー・トリスタン


最後にもう一人、なんだかダサい兄ちゃんながら純朴なTTに好感を持ち、自分の家に住まわす事になったコーキーのパパ、飲み屋の親父のアール(ネッド・ウィーン)の別れた奥さんのフェイ。
このフェイを演じたのが、1934年生まれのドロシー・トリスタン。
「カリフォルニア・ドリーミング」公開時は、40代の熟女ながらノーブラ姿や着替え中を子供達に覗かれる役を演じており、リアルタイム映画館でドキドキして観ていたものでした。
ドロシー・トリスタンも最初はモデルで、女優としては1971年のジェーン・フォンダの「コールガール」、1973年のジーン・ハックマンとアル・パチーノの「スケアクロウ」等に出演していました。
ドロシー・トリスタンも最初はモデルで、女優としては1971年のジェーン・フォンダの「コールガール」、1973年のジーン・ハックマンとアル・パチーノの「スケアクロウ」等に出演していました。
で、「カリフォルニア・ドリーミング」の監督、ジョン・D・ハンコックとドロシー・トリスタンは夫婦で(お互い二度目)、自分の奥様にジョン・D・ハンコックはお色気シーンを演じさせてたんですね〜。
そんなドロシー・トリスタンも2023年1月、アルツハイマーによる合併症のため、88歳で永眠されてます。

というわけで、映画「カリフォルニア・ドリーミング」に出演していた、綺麗どころ衆をご紹介しました。
アメリカと言えば全米1位の大ヒット曲「名前のない馬」や、「金色の髪の少女」のヒットで有名ですが、ママス&パパスのオリジナルが使えなかったのは、版権の問題でもあったのでしょうかしら?
それとも、ありがちな映画会社とアメリカ所属のレコード会社のタイアップだったのか?映画のサントラとしてLPも発売され、当時は話題でしたが、CD化はされてないようです。
まぁ〜、タイトルバックのオープニングはヘンリー・スモールの曲で、ラストにやっと「カリフォルニア・ドリーミング」が使われてましたが、オープニングの方が良かったんじゃないかしらね?