1970年、関根恵子さんが大映「高校生ブルース」で映画デビューした時、まだ15歳。
関根恵子さん、きっちり、おっぱい出してますが、いまだったら未成年の関根恵子さんにこんな事させたら、映画関係者逮捕されちゃうんじゃないでしょうか?
そんなこんなで蒼き関根恵子さん、おっぱい出しまくりで1970~1971年の大映を支えましたが、結局、大映はあえなく倒産。持っていたプロ野球チームも、現在の千葉ロッテマリーンズに売却されました。
そして1973年にはテレビのオーディション番組「スター誕生!」からデビューした森昌子さん・桜田淳子さん・山口百恵さんの、その名も「中三トリオ」が人気になりますが、御三方とも中学3年生の15歳。
というわけで日本人男性は、昔っからロリコンの変態野郎の巣窟です(笑)。
これは外人の趣味もしかりで、1970年代から80年にかけて日本で人気だった外国人女優にも、その日本人のロリコン変態野郎ぶりが、はっきり現れてます。
本国イギリスとアメリカではヒットしなかった映画「小さな恋のメロディ」が、日本で初上映されたのは1971年。ヒロインのトレイシー・ハイドは1959年生まれ。撮影当時は11~12歳でした。
この「小さな恋のメロディ」が日本で空前の大ヒットになり、1970年代後半まで何度も繰り返し上映され、トレイシー・ハイドも映画雑誌「スクリーン」の女優人気投票で、毎年トップを争う人気ぶり。
まぁ〜11~12歳と言えば、日本で言えばランドセル背負ってる小学生ですからね〜。
当時の日本の熱狂的なトレイシー・ハイドファンは、スクリーンや雑誌のグラビアのトレイシー・ハイドに「聖少女」を観たのでしょう。
ちなみに私の狭い世界の経験で恐縮ですが、オードリー・ヘプバーンとトレイシー・ハイド好きだった男は、童貞をこじらせる率高かったです。
デビュー時は平均年齢16歳、アメリカのガールズバンド「ザ・ランナウェイズ」が1976年にデビューすると、ロリコン大国日本でも多いに話題になりました。
メインシンガーのシェリー・カーリーは1959年生まれでトレイシー・ハイドと同い年で、1977年の来日時は17歳。
思いっきりタバコ吸いながら、シェリー・カーリーは空港から出てきました(笑)。
ザ・ランナウェイズのシングル「チェリー・ボンプ」はオリコンチャート総合で10位、洋楽部門では堂々1位を獲得。来日公演は日本武道館で行われる人気ぶり。
音楽雑誌も軒並みザ・ランナウェイズの特集記事を載せたり、特集号を出していましたが、主に中心は17歳のシェリー・カーリーのコルセット姿でした。
というわけで、筋金入りのロリコンエリートの当時の童貞日本人男性達の心を、シェリー・カーリーは鷲掴みにしてたと言えます。
1980年になっても日本人男性の変態ロリコンパワーは衰えず、次に見つけたのがこの年上映の映画「青い珊瑚礁」でヒロインを演じたブルック・シールズ。
ブルック・シールズは1965年生まれですから、映画撮影当時は14歳です。
この14歳の美少女がトレイシー・ハイドの跡を継いで、映画雑誌「スクリーン」「ロードショー」で大人気になっています。
翌1981年の「エンドレス・ラブ」でも絶世の美少女ぶりを、ブルック・シールズは発揮しており、この当時の日本で一番人気のある外人女優でした。
ただ、当時のブルック・シールズは本当に美少女でしたが、外人にありがちですが年齢を重ねるにつれ、ちょいと顔がゴツく変わってきて、日本人好みの大人の外人の顔にはならなかったですね〜。
ご本人もブリンストン大学に進学後、学業を優先させた事もあり、大人になってからは、あまり日本では話題にならなかった女優さんだと思います。
ソフィー・マルソーは1966年生まれで、 ブルック・シールズより1歳年下のうえ、彼女の人気を決定付けた「ラ・ブーム」は日本公開は1982年なれど、本国フランスでは1980年に発表されています。
だから、撮影当時のソフィー・マルソーは13歳。
まぁ〜生粋のロリコンエリート揃いの日本人男性は、11~12歳のトレイシー・ハイド同様、ソフィー・マルソーにも「聖少女」を求めたような気がしますね〜。
トレイシー・ハイドはイギリス人、シェリー・カリーとブルック・シールズはアメリカ人、そしてソフィー・マルソーはフランス人。
日本人男性は筋金入りのマザコンでロリコンで、普通の大人の女性とまともに対応できない弱点を持つ男が多いようですが、別にこれは今に始まった事じゃないんです(笑)。昔から同じ。
そして日本人好みの外人の顔って、間違いなくあると思いますし、また、白人黒人問わず、日本人女性に限らず「アジ専」の外人の好む顔って、必ずしも日本人男性が好む顔じゃないのも、よく言われますね。