1 星影のワルツ 千昌夫
2 帰って来たヨッパライ ザ・フォーク・クルセダーズ
3 恋の季節 ピンキーとキラーズ
4 小樽のひとよ 鶴岡雅義と東京ロマンチカ
5 恋のしずく 伊東ゆかり
6 花の首飾り /銀河のロマンス ザ・タイガース
7 サウンド・オブ・サイレンス サイモン&ガーファンクル
8 ゆうべの秘密 小川知子
9 マサチューセッツ ビー・ジーズ
10 シーシーシー ザ・タイガース
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1968年のオリコン年間売り上げチャートの、これがトップ10。
時はグループサウンズブーム真っ盛り。ザ・タイガースのジュリー=沢田研二氏他のメンバー、そしてザ・テンプターズのショーケン= 萩原健一氏の、アイドル人気が爆発していた1968年。
が、、、
実は、一番売れたレコードは千昌夫氏の「星影のワルツ」で、洋楽でランクインしてるのが、サイモン&ガーファンクル の「サウンド・オブ・サイレンス」とビー・ジーズ の「マサチューセッツ」。
時はザ・ビートルズの現役時代ですが、トップ30まで広げても、ザ・ビートルズの曲は1曲もランクインされてません。
1968年といえば、ザ・ビートルズファンじゃなくても知られてる「ヘイ・ジュード」が発表され世界中で大ヒットした年ですが、日本では「ヘイ・ジュード」すらリアルタイムは売れてなかったわけです。
「ヘイ・ジュード」は、1968年の全米ビルボードチャート年間1位曲で、英豪加でも年間1位ですが日本は48位。47位のザ・テンプターズの「おかあさん」以下でした。
巨匠!渋谷陽一氏が以前、「ビートルズ世代」なんて日本には存在しない説を唱えており、私も強く同意でしたし、こうして記録をふりかえると、それははっきりわかります。
『ビートルズ世代』なんて日本には存在しない!
遅れてきたビートルマニアの私が少年の頃、『ビートルズ世代』の筈の当時若者の団塊の世代や、その少し下の人たちと話をして驚いたのが、びっくりするほどザ・ビートルズの事を何も知らない(笑)。
本来は『ビートルズ世代』の筈の人達が、実はザ・ビートルズをリアルタイムあまり聴いてない。楽曲を殆ど知らないのには、いささかショックを受けました。
確かに1966年7月1日、21:00より日本テレビで中継録画で放映されたザ・ビートルズ来日公演の視聴率は56,5%でした。
が、1963年のNHK紅白歌合戦は視聴率81,4%、1964年の東京五輪女子バレー決勝戦は視聴率66,8%、1966年の拳闘の世界戦、原田対ジョフレ戦は63,7%と、当時はテレビが珍しくて偉かった時代。
例えば、ではこれだけ高視聴率だったからと言って、当時若者だった人が皆、ファイティング原田氏やエディ・ジョフレに詳しいか?女子バレーの当時の日ソの選手、詳しいか?と言えばどうでしょうか?
これ視聴率64,0%の力道山対デストロイヤーも同じで、また、近年の野球のWBCやサッカーの国際試合も高視聴率なのと同じ事。皆が皆、野球やサッカーに詳しいわけじゃないのは誰でもお分かりでしょう。
1966年にザ・ビートルズ来日というムーブメント、お祭りがあっただけなんです。
私の感覚では、ザ・ビートルズ解散後発売の所謂「赤盤・青盤」以降、ポール・マッカートニーがウイングスでヒット曲を連発した1970年代に、ザ・ビートルズに興味を持ち出した人達。
この層の方が、ザ・ビートルズ現役時代の1960年代に若者だった人達より、絶対ザ・ビートルズに詳しいと実感してます。
更には、ネットの時代になり情報溢れる昨今の若者の方が、ザ・ビートルズファンは圧倒的にマニアが多いです。博士みたいな人もおります。
また私ら世代も、思春期のとっかかりの頃はビートルズは解散していたので、ビートルズはもう古い、これからはハードロックだプログレだ。いやフォークだと、ほぼ「中二病」で突っ走ってます(笑)。
ですから、その手はザ・ビートルズに偏見を抱いたまま年くってますから、当然詳しくない。
ちなみに私等世代でも、皆、若い頃はディープ・パープルやレッド・ツエッペリン聴いて、学祭で「その曲やってたよ」という爺さん多いですが、たいてい嘘です(笑)。或いは願望からの記憶の捏造、幻想。
私等世代は、だいたい天地真理さんや浅田美代子さんのファンで、吉田拓郎氏や井上陽水氏、かぐや姫の楽曲を「女にモテようと思って」弾こうとし、FとB♭で挫折してますから(笑)。
まぁ〜日本の1960年代のザ・ビートルズ論、そして今の爺さん婆さん、おっさんおばちゃんの若い頃話の嘘について語ると長くなるので、このへんでやめましょう(笑)。
が、そういうわけでリアルタイムの「ビートルズ世代」なんて日本には存在してないです。
で、こうして1968年当時の日本のヒット曲を眺めると、ほぼ!マイナーキーの哀愁のメロディの曲ばかりで、これは1970年代の「フォーク」と一括りにされてたヒット曲もしかりです。
当時の日本人は、やたらと悲しい哀愁のメロディ好きだったのがはっきりわかります。
堂々2位の、ザ・フォーク・クルセダーズの「帰って来たヨッパライ」はメジャーキーですが、この曲はテープ早回しの「面白い声」とコミカルな詞がバカ受けした曲なので例外。
また、第10位のザ・タイガースの「シーシーシー」も、メジャーキーのとてもグルーヴィングで明るい曲なので、この2曲は当時の日本にしてはメジャーキーの異例の大ヒットだったと言えます。
ザ・フォーク・クルセダーズが、当時の音楽をやっていた若者の意識を変えさせた!
嫌らしい話ですが、「帰って来たヨッパライ」の作詞を担当した1968年に22歳になった北山修氏、作曲を担当した21歳になった加藤和彦氏には、若くして莫大な印税が入った筈です。
それ以前より、加山雄三&ザ・ランチャーズや加山雄三氏絡みのザ・ワイルドワンズ、ジャッキー・吉川とブルーコメッツ、ザ・スパイダースなど、既にオリジナル曲で売っていたバンドはありました。
が、それまで芸能界に全く関わっていなかった、ほぼ無名のグループだったザ・フォーク・クルセダーズの、メンバーの手による楽曲の大ヒットによって、所謂「アングラ」ブームが起きています。
アングラという言葉は、ザ・フォーク・クルセダーズが日本で広めた言葉で、ザ・フォーク・クルセダーズがいなかったら、この後の和製フォークブームのURCやエレックはなかったでしょう。
ザ・フォーク・クルセダーズこそが、無名の若者達が自分達で曲を作り自分たちで歌い演奏し、そして全ての印税を自分たちが手にする!ザ・ビートルズ的なグループでした。
彼らの商業的成功は、70年代の歌謡芸能の世界の所謂「芸能人」とは一線を画していた吉田拓郎氏や井上陽水氏、そして矢沢永吉氏に至るまでの商業的大成功の、先駆けだったと言えます。
まぁ〜ザ・タイガースと共にグループサウンズブーム最盛期から末期、日本で最も人気のあったグループのピンキーとキラーズの「恋の季節」が3位。
団塊の世代から2021年現在60代の人で、ザ・ビートルズの楽曲は殆ど知らなくてもピンキーとキラーズ、そして「恋の季節」を知らない人はいないでしょう。
そのぐらい社会現象になったグループ、楽曲でしたから。
しつこいようですが、ザ・ビートルズの楽曲は1969年のトップ30にも1曲もランクインしてません。
悲しい哀愁のメロディ好きの日本人の音楽趣味の中で、こちらも異例の明るくポップなサウンドなれど、そこまで売れてなかった「天使の誘惑」が大賞受賞というのは、どういう理由だったんでしょう?
何故?売上No.1の「星影のワルツ」は、レコード大賞を逃したのだろう?
慶應義塾大学ライトミュージックソサエティ出身の、「天使の誘惑」作曲の鈴木邦彦先生もプロの作曲家になって日も浅かった。
シャンソンの訳詞をやっていて、その後歌謡曲の作詞を始めた なかにし礼先生も、まだ若者だったので、そんなに歌謡芸能の世界で力を持っていたとは思えない。
お二人とも、グループサウンズの楽曲も手がけていたので、ブームのグループサウンズに代わって!受賞させたんじゃないでしょうかしら?(笑。私の勝手な憶測です)。
また、売上トップの千昌夫氏の「星影のワルツ」が、レコード大賞は勿論、何の賞も受賞してないのもちょっと意外ですし、同年の紅白歌合戦も千昌夫氏は出場していません。
1968年、最も売れたシングルレコード「星影のワルツ」も歌唱の千昌夫氏も、共にレコード大賞も紅白歌合戦も完全無視だったのは、何故でしょうね?
だって「星影のワルツ」の作曲はあのミノルフォンの巨匠!遠藤実先生ですから、レコード大賞も紅白対合戦も選考委員たちが、遠藤実先生に忖度があっても良さそうなのに(笑)。
ちなみに同年のレコード大賞新人賞は、「恋の季節」のピンキーとキラーズと「あなたのブルース」の矢吹健氏と「くちづけが怖い」の久美かおりさん。
売上No.1の「星影のワルツ」の千昌夫氏が、売れていたピンキーとキラーズはともかく、それほどレコードが売れていたと思えない矢吹健氏と久美かおりさんに負けたのは何故でしょう?
また、人気絶頂のザ・タイガースも「大人に嫌われていた」ので、レコード大賞はお呼びじゃないですし、紅白歌合戦すら出場していません。
これも当時の、ある種の社会現象で、グループサウンズはそれほど!若者には人気はありましたが、大人達、特に大人の音楽関係者には忌み嫌われており、その最たる存在がザ・タイガースでした。
ザ・タイガースは同年、両面ヒットした「花の首飾り /銀河のロマンス」そして「シーシーシー」「君だけに愛を」と4曲も年間トップ30に入るほど売れていたのに、NHKは紅白歌合戦に出さなかった。
1967~1968年が空前のグループサウンズブームのピークだったのは歴史の事実ですが、トップ人気でレコードも売れていたザ・タイガースはレコード大賞も全く何も受賞していません。
ザ・テンプターズも、この年は「神様お願い」「エメラルドの伝説」と2曲がトップ20に入る大ヒットをさせたのに、レコード大賞も紅白歌合戦も全くお呼びでない。
グループサウンズの括りではなかったですが、ザ・フォーク・クルセダーズがレコード大賞「特別賞」を受賞してますが、グループサウンズは紅白歌合戦もレコード大賞も意図的に無視されていた1968年。
ある時期からレコード大賞も紅白歌合戦も、売れたもん勝ちでなんでもありになりましたが、当時は権威象徴として、あからさまなグループサウンズバッシングをやっていたのは、紛れもない事実です。
というわけで当時は私も半ズボンの少年でしたので、ザ・フォーク・クルセダーズやピンキーとキラーズまで含め、世の中はグループサウンズブーム一色と感じてました。
が、こうして当時のオリコン年間チャートを眺めてみると、実際に売れたレコードだけなら、そうでもなかったのがわかります。
売り上げ第4位の「小樽のひとよ」の鶴岡雅義と東京ロマンチカの他にも、「雨の銀座」「ラブユー東京」の黒沢明とロスプリモスがトップ30に2曲。
高橋勝とコロラティーノの「思案橋ブルース」も15位と、ムード歌謡グループも大ヒットした年です。
「天使の誘惑」でレコード大賞を受賞した黛じゅんさんは、この年は他に「夕月」「乙女の祈り」がトップ30入りしており、女性では唯一!3曲トップ30入りさせてます。
だから、3曲総合のヒット曲連発のご褒美で「天使の誘惑」にレコード大賞を与えたんですかね?
でも、「恋のしずく」の伊東ゆかりさん、「ゆうべの秘密」の小川知子さん、「天使の誘惑」より自分の曲の方が売れていたので、きっと複雑な心境だったでしょうね〜(笑。私の憶測ですが)。
最後になりますが、黛じゅんさんの一連のヒット曲の1曲「夕月」が映画化された時、黛じゅんさんの相手役のオーディションで合格したのが、森田健作氏でした。