クールスの「黒のロックンロール」の演奏は、近田春夫とハルヲフォンだったそう、、、





1975年のクールスのデビューアルバム「黒のロックンロール」発表頃から、私的に(楽器素人のバイカー達が、このサウンドは演奏できないっしょ)と思っていた謎がやっと解けました↑(笑)。

アレンジ・編曲は全て近田春夫氏なので、私的には「黒のロックンロール」を長年「近田春夫アルバム」と呼んでいましたが、近田春夫氏は長髪なので賛同してくれる非行少年は当時はおらず(笑)、、、

(非行少年は頭悪くて話にならねーな〜)と、自分も非行少年でしたが自分のことは棚に上げ、思い続けて数十年!(笑)。

近年、クールスのジェームス・藤木氏と近田春夫氏の対談を読んでいたら、このお二人でアルバム「黒のロックンロール」は創作したとのことで、今更ながら目から鱗でした。

そして更にクールスのベーシスト、大久保喜市氏がYouTubeでアルバム「黒のロックンロール」のレコーディングは、ハルヲフォンだったと話しており、これも驚きました!

近田春夫氏率いるハルヲフォンは内田裕也氏系のニューロックの一派で、近田春夫氏は1975年の同年には、後楽園球場で行われたワールドロックフェスティバルにも参加していた腕利きミュージシャン。

で、近田春夫氏は慶應ボーイですしハルヲフォンのメンバーは全員、実家が東京(笑)。なのでアルバム「黒のロックンロール」は東京サウンドです(歌唱の舘ひろし氏は名古屋出身ですが)。

当時、近田春夫氏は『谷啓とスーパーマーケット』にも参加していましたが、近田春夫氏とハルヲフォンが一般的に有名になるのは、クールスの「黒のロックンロール」発表のもう少し後でした。

そして、そんな近田春夫氏の、これもわりと近年のインタビューで、非常に面白い発言がありました。

近田春夫氏がクールスの「黒のロックンロール」を手掛ける3年前、『内田裕也と1815スーパーロックンロールバンド』というグループが結成されたそうで、このメンバーが確かにスーパーに凄い!

ドラムに元ザ・テンプターズPYGウオッカコリンズの大口広司氏、ベースにウオッカコリンズののアラン・メリル、ギターにブルースクリエイションの竹田和夫御大。そしてキーボードが近田春夫氏。

正に!当時のスーパーバンドです。

近田春夫氏のインタビューによるとこのスーパーバンドのお披露目が、テレビ「リブヤング!」で、その時にアマチュアバンドとして登場したのがキャロルだったとか。

2022年で半世紀前の話ながら、なんとなーく矢沢永吉氏やキャロルのメンバー、そしてその場にいたスーパーバンドの皆さんの「運命の糸」というか何というか。出会いは偶然ではなく必然て感じがします。

近田春夫氏によると、リハでキャロルが演奏した「Good Old Rock'n Roll」に圧倒され、本番始まる前に意気消沈してしまって、このスーパーバンドはお披露目日が終焉日になったとか、、、。

というわけで、やっぱりキャロルは凄かったと、話がそれてしまい恐縮。


で、話を戻して「黒のロックンロール」の収録曲は、「恋の炎は燃えて」1曲だけメンバーのジェームス・藤木氏の作曲。

後は4曲がジョニー大倉氏、4曲が五大洋光こと矢沢永吉氏、1曲がヨモ・ヨシロー氏です。

そして近田春夫氏が「言えなかったんだ」と「シンデレラ」 の作詞作曲の、全12曲のアルバム。
 
特出するのが舘ひろし氏が9曲も作詞を担当していることで、もう1曲がメンバーの村山一海氏で、メンバー以外の作詞は近田春夫氏だけ。

まぁ〜思えばシングル「紫のハイウェイ」は結果、作詞:舘ひろし、作曲:矢沢永吉(五大洋光名義)、編曲:近田春夫という、なかなかの豪華版。

おそらくクールスはレコードデビュー当時、「紫のハイウェイ」1曲だけは!必死にスタジオで楽器練習したのでしょう。 

シングル、アルバムの最高のプローモーションになったテレビ「ぎんざNOW!」で、楽器素人のバイカー集団のクールスは、「紫のハイウェイ」を生演奏してましたからね〜。

ちなみに私、エンターテイメントとして、レコーディングとライブでメンバーが違うのは全然OKなので(笑)、アルバム「黒のロックンロール」を批判中傷してるわけではありません。

「黒のロックンロール」のレコーディングが『近田春夫とハルヲフォン』だったのかと思うと、感慨深いものもありますし、歌はクールス自らが歌ってハモってるのですから、それはそれでアリでしょう。

というか結成してほんの数ヶ月で、よくぞテレビ番組の生放送で「紫のハイウェイ」だけとはいえ演奏して歌ってハモれたものだと、関心してしまうぐらいです。

当時の一時、楽器を持ってバンド編成だった『ずうとるび』もそうでしたが、学祭バンドって感じでしたけど。

で、大久保喜市氏だけはバイカー集団「クールス」とは関係のない、外部から加入したメンバーで、クールスの音楽の主柱だったジェームス・藤木氏が連れてきたのは、ファンには有名な話です。

で、、、

まぁ〜テレビ「ぎんざNOW!」で、生演奏し歌いハモるクールスの「紫のハイウェイ」って、かなり異様でした(笑)。

シャナナを意識したそうですが、舘ひろし氏を真ん中に村山和海氏と水口晴幸氏が両隣のフロントの3人が、怖い顔して歌って踊ってる。

後にシャネルズやチェカーズがこのフロント数人にバックバンドというスタイルで、歌謡芸能の世界で大成功したので、後世の方々には違和感のないスタイルと思いますが、クールスは前例がなかったからね。

いや、なかったとは言えないか。フロントが歌い踊るシャープホークスと、バックが演奏するシャープファイヴがあったから。

あと、ザ・スパイダースもフロントの堺正章氏と井上順氏にギターのかまやつひろし氏が絡んで、歌って踊って、そしてバックはしっかり演奏するってスタイルだったから、前例はないことはなかった。

でも、シャープホークスとシャープファイヴはグループ名も違ったし、ザ・スパイダースはフロントの3人は常に笑顔で陽だったけど、クールスのフロントは3人ともニコリともせず怖い顔(笑)。

営業戦略とはいえ、やはりクールスの「紫のハイウェイ」のステージングは異様だったな〜。

最後になりますが、嫌らしい話ですが、アルバム「黒のロックンロール」全12曲中9曲を作詞した舘ひろし氏には、かなりの印税が入ったでしょう。

というか、25歳にもなって卒業もしてない、大学(千葉工大)に行かない原宿のブティック店員だった今で言えばフリーターの舘ひろし氏が、短期間で9曲も作詞したって凄い才能だと思います。

まぁ〜クールスはティーンエイジャー達の暴走族と異なり、舘ひろし氏はじめレコードデビュー当時は皆さん二十歳を越えたいい大人のバイカー集団。

そんな「大人の男達」が、それまでやった事もない音楽や映画出演でギャラを貰っていたわけです。その結果、色々とメンバー間でギクシャクがあったのは、人として男として普通に想像がつきます。

そんなこんなで舘ひろし氏が短期でクールスを抜けた後も、自身がソロで歌唱する曲は自身で作詞を手がけている曲が多いのは、ファンの間では有名です。

代表的な曲では、のちにビーイングで大成功を収めた長戸大幸氏作曲の「朝まで踊ろう」は舘ひろし氏の作詞ですし、紅白歌合戦出場時の「泣かないで」は作詞ではなく作曲を手掛けてます。

ヒット曲1曲あれば、堂々と!長年シンガーソングライターを看板にして仕事してる方も多い中、舘ひろし氏は自分からシンガーソングライターを名乗ることはないのは、何故でしょうね。

何らかの美学なのでしょうか?