オコエ瑠偉選手、大江竜聖選手、清宮幸太郎選手が東京の高校球児だった頃


東京は関東一OB、1997年生まれのオコエ瑠偉選手は、東北楽天イーグルスから読売ジャイアンツに移籍して1年目の2023年は、41試合出場で打率.222、本塁打2本でした。

同じ読売ジャイアンツの同じく東京は二松学舎OB、1999年生まれの大江竜聖投手の2023年は、32試合登板、4勝6ホールドと2年ぶりに復活。

最後にもう一人、東京は早実OB、1999年生まれの日本ハムファイターズ清宮幸太郎選手の2023年は99試合出場で打率.244、本塁打10本でした。

まぁ〜2022年の清宮幸太郎選手は129試合に出場し18本塁打放ちましたが、打率.218で三振が113と、まるで外国人選手みたいな成績でしたが、2023年は三振が69まで減っています。

 

で、、、

2015年の夏の全国高校野球選手権大会は、オコエ瑠偉選手の関東一と、1年生だった清宮幸太郎選手の早実が共に準決勝まで進んだので、東京者としてはとても印象に残った大会でした。

1年時から清宮幸太郎選手は、甲子園で2本ホームランを放った注目のスラッガーでしたが、東京は激戦区ですので、その後は3年春の選抜に出場しましたが、結局、甲子園大会出場は2度。

一方、同じ1999年生まれでも1月の早生まれなので、学年は清宮幸太郎選手より1つ上の大江竜聖投手も2014年の夏の全国高校野球大会に1年で出場。翌春の春の選抜も出場しましたが、甲子園大会はこの2度だけ。

大江竜聖投手が3季連続出場を目指した2年夏は、4回戦で堀越に逆転負け。結果はこの東東京大会、3年のオコエ瑠偉選手の関東一が優勝。西東京大会は1年の清宮幸太郎選手の早実が優勝したわけであります。




そして翌春の選抜をかけた2015年秋季大会は、清宮幸太郎選手の早実と大江竜聖投手の二松学舎が二回戦で早くも対戦。2対1で二松学舎が勝利し、清宮幸太郎選手は選抜絶望。

二松学舎も決勝で関東一に3対4で負け昨年に続いて準優勝でしたが、今回は主催者権限で関東枠が5校、東京枠が1校になってしまったので、大江竜聖投手の二松学舎は選抜されませんでした。

1年夏、2年春と甲子園大会に出場するも、その後は甲子園に届かなかった大江竜聖投手、3年最後の甲子園出場をかけた2016年夏の東東京大会。

二松学舎は準決勝で東亜学園に逆転負けしてしまい、大江竜聖投手の高校野球生活はこれにて終了しています。

一方、西東京大会の2年生の清宮幸太郎選手の早実も、準々決勝で八王子に逆転負け。清宮幸太郎選手も1年夏以降、甲子園出場は遠ざかっていました。

そして2017年の春の選抜をかけた2016年東京都秋季大会で、清宮幸太郎選手の早実は決勝で日大三をやぶり見事に優勝!

清宮幸太郎選手、1年夏以来3季ぶりの甲子園・選抜出場で、2017年の選抜は再び主催者権限で関東枠が5校、東京枠が2校になったので準優勝の日大三も選抜されました。

なので、前年準優勝の大江竜聖投手の二松学舎が選抜されなかったのは、本当に惜しまれます。


そして2016年のドラフト会議で、その大江竜聖投手は読売ジャイアンツから6位指名を受け入団。前年、東北楽天イーグルスから2位指名を受けたオコエ瑠偉選手に続き、東京の強豪校からのプロ入りでした。

春の選抜大会の早実は、清宮幸太郎選手1年夏の準決勝進出というわけには行かず2回戦敗退(日大三は一回戦敗退)。

そんな清宮幸太郎選手3年最後の夏の西東京都大会の早実は決勝まで勝ち進みますが、3年連続で夏は決勝で敗れている東海大菅生に2対6で敗退。清宮幸太郎選手の高校野球生活は終わりました。

そして同年ドラフト会議で清宮幸太郎選手は7球団から1位指名を受け、抽選の結果、日本ハムファイターズが交渉権を獲得。

ちなみに読売ジャイアンツ清宮幸太郎選手を抽選で外し、ハズレ1位も抽選になった村上宗隆選手も抽選で外しております。


そんな東京の強豪校OBのお三方、オコエ瑠偉選手と清宮幸太郎選手は高卒1年目から1軍に登場しますが、大江竜聖投手は3年目に1軍初登板でしたが、1軍に定着するのはプロ入り4年目の2020年。

大江竜聖投手は、2019年から2023年まで133試合に登板、7勝0敗勝率10割、29ホールド、防御率3,89。大江竜聖投手は、おそらくこのまま貴重な中継ぎ投手として仕事をすると思います。

一方、高卒1年前から1軍出場していたオコエ瑠偉選手は2024年でプロ入り8年目、清宮幸太郎選手は6年目。

オコエ瑠偉選手はここまで277試合出場で打率.222、本塁打11本。清宮幸太郎選手は458試合出場で打率.216、本塁打59本と、ネームバリューに比べ伸び悩んでいるので、2024年は飛躍していただきたいですね〜。