5歳時に東京大空襲くらった王貞治氏、広島で被爆した張本勲氏、満州から帰国した坂東英二氏

 



高校野球早実の選抜優勝投手=王貞治氏、徳島商の夏準優勝投手=坂東英二投手、そして浪商の張本勲氏は同期入団。

誰もがご承知の通り、王貞治氏は中華民国籍の父と日本人の母の間に東京都墨田区で生まれ育っており、生まれた翌年に日本は大東亜戦争に突入、5歳の時に東京大空襲を経験してます。

でも、このお三方の中では父が中華料理屋を営んでいた王家が、それでも一番裕福だったようです(今の感覚で言えば普通以下でしょうが)。

張本勲氏は日韓併合時代に朝鮮半島から日本に渡ってきた両親の元、広島で生まれ育ってますが、生まれた翌年に日本は大東亜戦争に突入、5歳の時に家族は広島で被爆。姉が死亡しています。

日本敗戦後、張本勲の父親は朝鮮半島に戻り、生活基盤を整えたら家族を呼び寄せようとしたそうですが急死。母親は日本で闇市でホルモン焼き屋で生計を立ててたようですが、生活は苦しかったとか。

そんな、幸い体と才能に恵まれた張本勲氏のプロ野球への羨望は、母親に家をプレゼントして、腹一杯美味いものを食べる事だったそう。


坂東英二氏の両親は日本人ですが満州生まれで、こちらも5歳で日本敗戦後、満州から日本に戻ってきてるそうですが、現代人には想像を絶する引き揚げだった事でしょう。

で、当時の夏の全国大会の坂東英二氏は準優勝投手で、この大会での延長18回引き分け再試合含め64奪三振は今も夏の大会の記録。それはそれは坂東英二氏は話題の好投手だったと想像できます。

一方、王貞治氏が選抜優勝投手になったのは2年春のことで、3年最後の夏は都大会決勝で明治に延長で負けており、5季連続出場を逃しこの夏の大会には出場していません。

また、張本勲氏の浪商はこの夏の大会に出場しましたが、張本勲氏は部員の不祥事に巻き込まれ出場していないので(濡れ衣だったそう)、メディアの話題性は坂東英二氏の圧勝だったと思われます。


でも、高卒ルーキー東映フライヤーズのその張本勲氏は、打率.275、本塁打13本、打点57で高卒ルーキーとしてパリーグ新人王を獲得。

セリーグ中日ドラゴンズに入団した坂東英二氏は4勝4敗、防御率3,15。読売ジャイアンツ王貞治氏は打率.161、本塁打7本、打点25で、中央大卒の大洋ホエールズ桑田武氏に新人王をとられています。

前年1958年のセリーグ新人王は、立教大卒の長嶋茂雄氏で本塁打王打点王を獲得してますが、桑田武氏も中日ドラゴンズの森徹氏と同数の31本で、2年連続で大卒ルーキーが本塁打

天下の王貞治氏も、ルーキーイヤーは影が薄かったのがわかりますね〜。