荒木大輔氏=大ちゃんブーム真っ盛りの1982年、春夏ともに甲子園出場は危なかった!

 

1982年、大ちゃんブーム真っ盛りの!早実荒木大輔投手3年春の選抜出場をかけた1981年の秋季東京大会。

荒木大輔投手5季連続甲子園出場の快挙の中で、最も!苦しかった、危なかったのがこの4季目の秋季東京大会だったでしょう。 

順当に準決勝進出した早実の対戦相手は日大二。ここで荒木大輔投手は打ち込まれてます。

6回を終わってなんと!7対6。荒木大輔投手、無茶苦茶打たれてますが、それでも早実は1点リード。ところが!9回裏に荒木大輔投手は1点を守れず同点に追いつかれちゃった。

そして延長11回裏の日大二の攻撃で、ノーアウトから荒木大輔投手は三塁打を打たれ、1点取られたら準決勝敗退で選抜絶望。 

満塁策をとった早実ベンチに期待に応え、荒木大輔投手が後続を抑え日没引き分け。この辺がやはり荒木大輔投手は凄いです。

 

そして、再試合は荒木大輔投手は持ち直して好投。打線は爆発し8対2のコールド勝ちで日大二をくだしています。

まぁ〜決勝進出したので負けても選抜に選ばれたでしょうが、決勝戦荒木大輔投手は二松学舎打線に打たれ 8回を終わって2対4と早実の劣勢でしたが、9回に早実は6点を取り逆転。そのまま優勝しています。

当然!これだけ優勝した早実に善戦したのですから、二松学舎も関東・東京代表5校の中に選ばれ、なんとこの選抜大会!あれよあれよで決勝進出!




勝戦PL学園に2対15と大敗しましたが、この時の二松学舎のエースが今の市原勝人監督で、二松学舎が全国的に有名になるのはこの年からでした。

一方、大ちゃん人気で優勝候補の早実も準々決勝まで進出しましたが、神奈川の横浜商に1対3で敗退。とはいえ思えば当時の東京・関東代表は強かったですね〜。

ところが!春の選抜大会に準優勝したばかりの二松学舎、東京都春季大会では3回戦で國學院久我山に3対9で敗北。夏の甲子園をかけた東東京大会のシード権を獲得できず、夏は1回戦からの戦いになりました。

1回戦から3回戦まで都立高相手に圧勝した二松学舎でしたが、4回戦で1対4で足立に敗北。その足立との準々決勝相手が早実でしたが、早実は9対0と圧勝しています。

ところが!早実は選抜に続いて夏の甲子園出場も辛勝で、準決勝の城西戦は6対1でくだしますが、決勝の修徳戦は延長10回、修徳を振り切って3対2のサヨナラ勝ちでの5季連続出場を決めています。

一方、西東京大会は早実の秋季大会の因縁の相手、日大二が決勝で日大三を破って優勝。日大二にしてみれば、春は後一歩で涙だったので意地の勝利だったと思います。