1978年のヤクルト・スワローズ初優勝は、劇的だったな〜♪

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2022年現在、二リーグ分裂後、セリーグでリーグ制覇し日本シリーズも制し日本一になった回数は、読売ジャイアンツの22回に次いで6回のリーグ2位の強い!ヤクルトスワローズ

しかし1978年、ヤクルトスワローズ初優勝までの28年間でAクラスは僅かに3回の、本当に旧国鉄、サンケイは弱小球団でした。

そこで今更ながら、何故?そんな弱い球団が優勝できたのか?ヤクルトスワローズ初優勝の1978年を振り返ってみたいと思います。

実は前年1977年は球団初のリーグ2位!

前年、荒川博監督の途中休養後、ヘッドコーチの広岡達朗氏が監督代行になり、正式に監督になったのが1977年で、結果は長嶋茂雄監督の読売ジャイアンツが2連覇の元のヤクルトスワローズは2位でした。

まぁ〜広岡達朗監督と言えば有名な管理野球ですが、正にその1年目がこの1977年!

春季キャンプより「麻雀禁止」・「花札禁止」・「禁酒」・「ユニフォーム姿での禁煙」・「練習中の私語は禁止」などと、徹底的な管理を行い「ぬるま湯」的なチームを一変しようとしたわけです。

勝てば官軍、名監督ですから、どんなに厳しくても例え15ゲーム差の大差でもチーム初の2位。選手をとても大事にするフロントも、現場のナインも文句は言いたくても言えない(笑)。




ちなみに、広岡達朗監督と言えば片腕として有名な森昌彦コーチを、作戦兼バッテリーコーチとして要請したのが翌年の1978年。

森コーチ招聘含め、この年のヤクルトスワローズは色々な意味で、全てが良い方向に噛み合った年だったと言えます。

まず!新外国人のデーブ・ヒルトンが打率.317(8位)、本塁打19本の1年目から大活躍!

もう一人の外国人選手、3年目のチャーリー・マニエルも2年連続の3割の打率.312、本塁打39本。この両外国人の活躍は大きかったですね〜。

そして3番の若松勉氏が前年の首位打者には及びませんでしたが(2位)、見事に3年連続3割の打率.341、17本塁打。五番の大杉勝男氏も3年連続3割で打率.327(4位)、本塁打30本と日本人選手も絶好調!

この4人に加え杉浦享氏が17本塁打(打率.291)と、本塁打二桁打者が5人の強力打線で、広島東洋カープの205本に次いで157本塁打とリーグ2位の本塁打数で、チーム打率も広島に次いで2位でした。

ちなみに当時の広島東洋カープも強く、ヤクルト優勝の1978年は3位。

そして、抑えに南海ホークスから江夏豊投手を獲得し、翌1979年は4年ぶり2度目のリーグ優勝。あの有名な「江夏の21球」で日本シリーズも制し、球団史上初の日本一に輝いています。

1978年に、そんな強い広島東洋カープと3年連続リーグ優勝を目指した読売ジャイアンツを抑え、ヤクルトスワローズがリーグ優勝できたのは、やはり秀逸な投手陣の頭数が揃っていたからでしょう。

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チーム防御率はリーグ4位と良くなかったですし、強力打線に助けられた所も多分にありましたが、まず高卒プロ11年目、円熟のエース!松岡弘投手が16勝2S。

こちらも早大から社会人を経由し、プロデビューは遅かった松岡弘投手と同い年のプロ入り7年目、安田猛投手が15勝4S。この二人で31勝6Sの活躍が大きいですね!

そして松岡弘投手、安田猛投手と共に三本柱だった鈴木康二朗投手が13勝1S(3敗で最優秀勝率)。

そしてもう一人の、この年高卒プロ入り10年目でブレイクした!井原慎一朗投手が10勝4S。この4投手で54勝(チーム勝ち数68)11S と、先発抑えで大活躍しました。

更に、読売ジャイアンツから移籍2年目の倉田誠投手が前年の0勝から5勝4セーブ(2敗)。

数字は良くなかったですが、2年目の梶間健一投手が90,2イニング登板、会田照夫投手も同じく90,2イニング登板と、投手総動員で勝ちに行った雰囲気のあるチームだった記憶があります。

更に更に!ヤクルトスワローズはリーグ優勝が一杯一杯で、広島・巨人・巨人と3年連続セリーグ優勝チームを日本シリーズで破ってる、3連覇の最強!阪急ブレーブスには勝てないだろうと、大方の野球ファンは思っていました。

 

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 が、 日本シリーズ第一戦、無敵!阪急ブレーブスの先発は大エース!山田久志投手をヤクルトスワローズ打線は攻略し7回を終わって5対2でヤクルトリード。
 
が、ヤクルトの先発の安田猛投手と、リリーフの井原慎一朗投手が阪急打線につかまり4点を失い、結局6対5で阪急先勝!

第二戦は阪急がシーズン13勝の今井雄太郎投手、ヤクルトがエース!松岡弘投手の先発。
 
で、再び好調のヤクルト打線は今井雄太郎投手を攻略。6回を終わって9対2と大きくリードしましたが、松岡弘投手が7回につかまってマルカーノにスリーランホームランを打たれノックアウト。

が、今度は井原慎一朗投手が好リリーフして、10対6でヤクルトが勝ち、これにて1勝1敗。

そして第三戦は阪急のベテラン、日本シリーズに強い足立光宏投手に好調な打線が3安打完封され、鈴木康二朗投手が打たれ5対0。
 
阪急が2勝1敗とリードし、やっぱり阪急は強いなという感じでしたね〜。
 
第四戦のヤクルト投手陣は総力戦で、『安田→井原→梶間→西井→松岡』の5投手で継投し、最後に9回に2度目の阪急先発の今井雄太郎投手を攻略。6対5でヤクルトが勝ち2勝2敗のイーブン。

第五戦もヤクルト投手陣は総力戦で、『梶間→井原→小林→松岡』の4投手継投で、阪急二度目の先発の山田久志投手を攻略し7対3でヤクルトが勝ち、なんと!先にヤクルトが王手をかけました。
 
でも、日本シリーズ3連覇中の阪急、これは意地を見せたのでしょう!第六戦はベテランの白石静生投手が完投し、再び継投の『鈴木康→小林→西井』のヤクルト投手陣を打ち崩し12対3の圧勝!

さて!運命の第七戦、ここまで継投の広岡監督はエース松岡弘投手に託し、阪急は好調のベテラン足立光宏投手の先発でしたが、松岡弘投手は見事に!完封シャットアウト。
 
4対0で初の日本一にヤクルトは輝きました。