土井正博氏、現役時代は一度も優勝経験のなかった名選手!

image




Yahooショッピングで検索

1961年、大阪の大鉄高校を2年で中退し近鉄バファローズに入団した土井正博氏。

当時はドラフト会議のない時代だった事もあり、同じ時期に同じく大阪の浪商のエースピッチャーだった尾崎行雄氏が高校を2年で中退して、東映フライヤーズに入団していますから、時代を感じます。

土井正博氏は1963年に初の二桁本塁打を放って以来(13本)、1980年まで18年連続二桁本塁打を放ち、通算本塁打は465本。

2022年現在、土井正博氏の通算本塁打465本は、歴代12位(本塁打王1回)。打点1400も歴代12位。通算打率も,282。オールスターゲーム出場15回、ベストナイン3回のパリーグを代表する大打者でした

が、土井正博氏は何と20年の現役時代、リーグ優勝経験が一度もありません。

近鉄バファローズがパリーグ初優勝したのは、西本幸雄監督時代の1979年でしたが、その西本幸雄監督就任の1974年オフ、29本塁打、67打点、打率.277の土井正博氏は太平洋クラブライオンズに移籍。

近鉄バファローズ在籍時の土井正博氏は、1969年と1972年の2位がチーム最高順位でした。


土井正博氏は、ライオンズでも1年目から34本塁打(無冠の帝王、初の本塁打王)、82打点、打率.260とチームの主砲として活躍。『山賊打線』のライオンズはこの年8年ぶりのAクラス(3位)入りしました。

球団はその後クラウンライター、西武と親会社が変わり、1979年西武ライオンズ1年目でも土井正博氏は、阪神タイガースから移籍してきた田淵幸一氏と共に、クリーンナップを打っていました。
 
そんな土井正博氏も1981年を最後に現役を引退。これは新監督に就任した広岡達朗氏が土井正博氏を戦力外と考えていたようで、前監督の根本陸夫氏から「引退しろ」と言われたと伝わっています。

まぁ〜この辺は土井正博氏の性格では、管理野球広岡達朗監督と揉めると心配した根本陸夫氏の、親心があったようです。

ところが!その広岡達朗監督の1年目の1982年、なんと西武ライオンズはリーグ優勝、日本シリーズ制覇を果たしており、結局、土井正博氏は現役時代は、優勝に縁のない野球人生でした。


現役引退後、土井正博氏は根本陸夫氏のはからいによりテレビ埼玉「ライオンズアワー&ヒットナイター」 の解説者になり、1985年に西武ライオンズの二軍打撃コーチに就任。

広岡達朗監督から森祇晶監督に代わった翌1986年、土井正博氏は1軍打撃コーチになり、新人の清原和博氏含め、その後の西武ライオンズの強打線を築き、3年連続リーグ優勝、2度の日本一に貢献しています。

一時、諸々ありチームを離れ韓国プロ野球の打撃コーチを経て、1996年に再び西武ライオンズの打撃コーチに就任後も、1997~1998年のリーグ2連覇に貢献。

テレビ埼玉解説者を経由し、2004年に三度目の打撃コーチ(ヘッド兼任)するとリーグ優勝、日本一に貢献しており、コーチ時代の土井正博氏は優勝請負人のような存在になっておりました。