金田正一投手が4試合登板した、読売ジャイアンツV4の日本シリーズ

金田正一氏は、日本プロ野球史上唯一の通算「400勝投手」なのは有名です。

勿論『記録男』の金田正一氏は、他にも通算奪三振(4490)、通算完投(365)、連続シーズン20勝以上(14)、連続イニング無失点(64回1/3)、連続シーズン100奪三振以上(16)などと、今だに破られない記録も数々あります。


また、開幕投手回数14も、シーズン最多奪三振10回も記録なら、史上2人目の沢村栄治賞3回受賞者であり(3年連続受賞、1956年 - 1958年)も達成していますが、縁がなかったのがMVP。

まぁ〜MVPはリーグ優勝チームから選ばれるのが普通ですから、15年在籍した国鉄スワローズ時代は一度も優勝していなかったので、これは無理。

そして読売ジャイアンツ移籍後は連続20勝も途切れ、名前と顔のエースで数字的にはエースだった年がないので、やっぱり無理でした。


一方、金田正一氏はジャイアンツ移籍後は5年連続で日本シリーズに出場しており(正にV9時代)、川上哲治監督はその名前と顔と過去の実績を評価し、3回も第一戦に先発させシリーズではローテーションの柱にしています。

そんな金田正一氏は、一度!シリーズMVPのチャンスがありました。

それは1968年の日本シリーズ。4連覇を目指す読売ジャイアンツと、昨年に続いてパリーグを制覇した阪急ブレーブスの対戦でした。

第一戦のジャイアンツの先発は、V1の1965年、V3の昨年に続いてベテランの金田正一投手。 

金田正一投手はこの年のシーズンは11勝10敗と、防御率も勝ち星も昨年より落としていたのですが、この辺が川上哲治監督の金田正一投手への敬意というか何というか、強く感じるところです。

試合は2対2で迎えた7回表、金田正一投手が阪急打線につかまり、5対4でジャイアンツは初戦を落としています。

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第二戦を城之内邦雄投手の完投勝利で1勝1敗にしたジャイアンツは、第三戦先発の堀内恒夫投手が、よもやの1回KO後、高橋明投手に継投。5対4の1点差になった所でリリーフに金田正一投手を送り出しています。

金田正一投手は5回と3/2のロングリリーフを、奪三振6無失点の好投で9対4の試合の勝利投手になり、第四戦も1点差の試合展開で再びリリーフで登板。3回3/1を1失点で抑え、6対5の試合の勝利投手になりました。

ここまで金田正一投手は、第一戦は先発で好投しますが負け投手になりましたが、4試合に3回登板し2勝をあげています。

さて3勝1敗で優勝に王手をかけたジャインアンツは、エースのジョー=城之内邦雄投手で試合を決めにかかりますが、6回まで完封ピッチングでしたが7回に阪急打線につかまり試合は3対3の同点。

が、8回表に1点をとりジャイアンツはリードすると、8回裏から金田正一投手4度目、リリーフは3度目の登板。もしここで2回を押さえていたら、金田正一投手は間違いなくシーズンMVPだったでしょう。

ところが、金田正一投手は打者5人に1アウトしか取れず、2安打2四球の3失点で逆転を許してしまい、試合は6対4で阪急が逆転勝ち。これで対戦成績ジャイアンツの3勝2敗。

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結局、第六戦は堀内恒夫投手が打たれながらも完投し、7対5でジャイアンツが勝ち4連覇を決め、MVPは新人の高田繁氏が獲得し、2勝2敗の金田正一氏は最優秀投手賞でした。

繰り返しますが、もし第六戦のリリーフに金田正一投手が成功していたら、生涯唯一のシーズン、シリーズを通してのMVP獲得だったでしょうね。

勿論、それは本人もわかっていたでしょうから、百戦錬磨の天下の!金田正一投手でも、やはり日本シリーズの優勝のかかった王手での登板は、プレッシャーがあったのでしょう。
 
翌1969年、金田正一投手は前人未到の400勝を達成、三度の阪急相手の日本シリーズでも第二戦に先発、第四戦にリリーフしましたが、共に勝ち負けはつかず、この年で引退。
 
金田正一投手は日本シリーズV1~V5まで登板し、通算6勝3敗。5勝1敗の城之内邦雄投手より1つ勝ち星が上回っている、V9前半の5年間では一番勝ち星を上げている投手です。