法大:江本孟紀氏通算6勝1敗、早大:小坂敏彦氏通算22勝6敗。しかしプロ入り後は

 


法政大時代の江本孟紀氏は、通算6勝1敗、防御率2.35、39奪三振

同期の早稲田大のエース小坂敏彦氏は22勝6敗、防御率1.68、218奪三振。 

当然!東京六大学、それも早稲田大のエースですから小坂敏彦氏は見事に!読売ジャイアンツのドラフト1位指名。江本孟紀氏はドラフト指名されず(高校時代はされた)、社会人野球の熊谷組

さてプロ入り後の結果は、小坂敏彦氏はプロ通算9勝に対し、熊谷組からドラフト外東映フライヤーズに入団した江本孟紀氏はプロ通算113勝19Sでした。

 

この差はなんだったんでしょうね〜?

小坂敏彦氏が入団した読売ジャイアンツは当時、不滅の!V9時代で投手陣も強力。堀内恒夫氏、高橋一三氏、渡辺秀武氏に、晩年とはいえエースのジョー!城之内邦雄氏もいて先発ローテーションは鉄壁。

 東京六大学の花形スターの小坂敏彦氏も、試合に勝って当たり前のV9真っ盛りでは出番がない。

ちなみに前年のドラフト会議で、田淵幸一氏が阪神タイガースに指名された読売ジャイアンツなので、自分を指名すると思っていた星野仙一氏が外され、そして中日ドラゴンズに入団したのは有名な話です。

が、明治大時代の星野仙一氏の通算成績は23勝24敗、防御率1.91、199奪三振

勝ち星こそ星野仙一氏が小坂敏彦氏より1つ多いですが、勝率、防御率奪三振、全て!小坂敏彦氏の方が上。

 

ですから、もし星野仙一氏が当時の読売ジャイアンツに入っていたら、やはり小坂敏彦氏と同じで、出番は無かったのではないでしょうかね〜?


当時プロ野球は有名な「黒い霧事件」の後で、1969年に中日ドラゴンズ黒い霧事件疑惑で田中勉氏が引退、そしてエースの小川健太郎氏が1970年に永久追放。

更には権藤博氏も山中巽氏も引退しており、中日ドラゴンズはピッチャー不足だったのが、若手の星野仙一氏にはラッキーだったと思えますね〜。

一方、江本孟紀氏は東映フライヤーズの前にロッテオリオンズから声がかかったそう。

 

ですが、当時のロッテ投手陣は「成田・木樽・小山」の三本柱は鉄壁!若手の村田兆治氏もいたし、八木沢荘六氏もいたので、自分の出番はないと断っています。

というわけで、当時の野球少年の憧れはON砲、王貞治氏と長嶋茂雄氏率いる読売ジャイアンツでしたが、当時の読売ジャイアンツ、V9ナインの中でレギュラーになる、ローテーションピッチャーになるのは至難の業。

人気がない球団とはいえプロですから、試合に出てなんぼだという事ですね〜。