横浜高校・愛甲猛投手は1年夏と3年夏の間、3季甲子園出場を逃していた

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2010年から2013年春まで、春夏高校野球全国大会神奈川県代表は横浜が11回、2020年のコロナで春中止、夏交流試合含め東海大相模が10回(春2回、夏1回優勝)。

あとは慶應が3回、桐光学園桐蔭学園が各々1回と、今や神奈川県の野球強豪校と言えば東海大相模と横浜の二強があまりに有名です。

が、遡って1978年夏の大会に出場した、後のロッテオリオンズ中日ドラゴンズで活躍した1年生の愛甲猛投手擁する横浜は15年ぶり、まだ2回目の出場で、横浜は当時まだ野球新興校でした。

春の選抜では、かの!「作新の怪物」江川卓投手で日本中がわいた1973年に横浜は2年生の永川英植投手(後にヤクルトスワローズ)を擁し初出場初優勝。翌年も3年生になった永川英植投手で連続出場しましたが、夏は1963年以降1978年まで15年間出場はなく、1978年は春夏通算でも横浜はまだ4回目の出場。

というわけで、さほど全国的にまだ有名校ではなかった横浜は2回戦からの登場で、徳島商に10対2で勝ちますが3回戦の県岐阜商に0対3で敗退しています。

そしてこの大会で優勝したのは大阪のPL学園でしたが、PL学園もこれが春夏通じて初優勝!

PL学園は、準決勝の中京戦を0対4の劣勢から9回裏に4点取り追いつき、延長12回5対4のサヨナラ勝ち。決勝の高知商戦も0対2で負けていた9回裏に3点とってサヨナラ勝ちし初優勝。「逆転のPL」と呼ばれました。

逆転のPL=初優勝のPL学園、共に初優勝=春夏連覇の箕島の時代!



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後の広島カープの西田真二氏、阪神タイガース木戸克彦氏のバッテリーによる「逆転のP L」によって、強いPL学園の歴史を刻むのはここから始まったと言えます。

一方、1年生の愛甲猛投手の横浜が2年後に決勝を戦う事になる東京の早実は、この大会が2年連続22回目の出場の既に古豪。

後に中日ドラゴンズで活躍する川又米利氏や荒木大輔氏の兄のいた早実は、これで4季連続出場で、昨年春夏は連続ベスト8の東の優勝候補でしたが、なんと一回戦で鳥取県の倉吉北(初出場)に2対3で敗退。

結局、強い早実の甲子園連続出場はここで途切れ、1年生の荒木大輔投手登場の夏まで3季連続で甲子園には出場していませんでした。

一方、1年生の愛甲猛投手も5季連続出場のチャンスがあったわけですが、来春の選抜出場をかけた秋季大会で準々決勝で対戦した東海大相模に2対2の日没引き分け後の再試合、1回表にあげた4得点を横浜は守れず7回に同点に追いつかれ、延長11回4対5のサヨナラ負けで、夏春連続出場の夢は消えています。


愛甲猛投手3季目になる2年夏も神奈川県大会で決勝戦進出するも、後にヤクルトスワローズに入団する宮城弘明投手擁する横浜商に1対3で横浜は敗退。愛甲猛投手は甲子園出場を後一歩で再び逃してしいます。

その横浜商はなんと!46年ぶり3度目の甲子園大会出場で、準決勝まで勝ち上がりましたが、箕島に2対3で敗れ箕島は決勝でも徳島県の池田を下し夏も初優勝でしたが、春夏連続優勝を成し遂げています。

そして愛甲猛投手、最後の春の選抜をかけた横浜なれど秋季神奈川大会で再び!準決勝で宮城弘明投手擁する横浜商に2対7で敗退。4季目の甲子園も夢と散ってます。

そんな1980年の春の選抜は東京の、後にヤクルトスワローズで活躍する伊東昭光投手を擁した帝京が初めて決勝進出。後の阪神タイガース中西清起投手擁する高知商に延長10回1対0でサヨナラ負けしましたが、こちらも一時代を築いた「強い」帝京の歴史はここから始まっています。

さて1年夏で甲子園出場したものの、結局3年最後のチャンスになった5季目の愛甲猛投手の横浜は夏の県大会でも決勝進出(夏は3年連続決勝進出)。

4回戦で横浜の宿敵!宮城弘明投手擁する横浜商を2対1で破った桐蔭学園を、横浜は2対0のシャットアウト勝ちで2年ぶり夏、愛甲猛投手は2度目の甲子園出場を決めています。

そして有名な1年生の荒木大輔投手の早実と決勝戦で対決を制し、愛甲猛氏の横浜は夏の大会初優勝を成し遂げています。

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