バブル突入前の横浜商は強かった〜!強い横浜商復活を期待してます



神奈川県の横浜市立横浜商は、今の夏の全国高校野球選手権に1923年(大正12年)、第9回大会に初出場している(早実相手に1対5で敗退)歴史ある野球部です。


2023年春現在、通称「Y高」の横浜商は春の選抜は9回、夏の全国大会は7回出場していますが、1997年の春の選抜を最後に26年甲子園から遠ざかっており、強い横浜商の甲子園での活躍を知るのは中年以上でしょう。

なので、中年以上の現代人が強い横浜商を経験しているのは、1979年に2年生の愛甲猛氏を擁する横浜を決勝でやぶり夏の大会46年ぶり3度目の出場を決めた、通称「ジャンボ」=宮城弘明投手が在学していた時です↓。

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2回戦から登場した横浜商は甲子園の全国大会でも、初戦の福岡の八幡大付を6対1でやぶり、3回戦の山口の豊浦にも14対4の圧勝。準々決勝も大分の大分商を6対3で勝ち、あれよあれよで準決勝進出!

この大会の残りのベスト4も強烈で、結果春夏連覇を果たす和歌山の箕島、春の準優勝校の牛島和彦投手と香川伸行捕手の浪商、そして徳島の池田です。

準決勝で横浜商は優勝した箕島に2対3でやぶれましたが、春の選抜の決勝戦の再現と思われましたが浪商が池田に0対2でやぶれ、決勝はその池田を8回裏に逆転した箕島が(4対3)春夏連覇しました。

ちなみに横浜商の宮城弘明投手と同級生の横浜の愛甲猛投手は、1年時の1978年夏に続いて3年時の1980年夏の大会にも出場。1年生の荒木大輔投手の早実を破って、横浜は夏初優勝しております。


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更に大人気の荒木大輔投手の早実と神奈川代表の戦いは続き、1982年春の選抜に、こちらも44年ぶり6回目の出場になった2年生の三浦将明投手を擁する横浜商は勝ち上がり、準々決勝で早実と対戦。

3年生になる荒木大輔氏4度目の甲子園の準々決勝の相手は、1年時夏の決勝で負けた横浜と同じ神奈川県代表の横浜商ですからリベンジでした。

横浜商は一回戦を奇遇なことに再び福岡の八幡大付と対戦になり、2対1の僅差で勝ち上がると、 2回戦の愛知の愛知を6対2でやぶり準々決勝進出。優勝候補の早実荒木大輔投手に三浦将明投手は3対1と投げ勝っています。

横浜商の準決勝の相手はP L学園。

3年前の夏に優勝した箕島に横浜商が敗れたように、結果優勝したPL学園に3対2のさよなら負けしたましたが、この2大会で強い横浜商の印象を今も抱いてる中高年野球ファンは多いと思われます。


横浜商は同年夏は、神奈川大会準決勝でよもやの完封負けを日大高にくらい予選敗退しますが(決勝で日大高は法政二に敗退)、 3年生になった三浦将明投手擁する横浜商の快進撃は止まらず翌年は春夏連続出場を決めています。

1983年春の選抜は前年ベスト4の横浜商は優勝候補の一角で、一回戦の相手はこちらも優勝候補の広島の広島商

一回戦屈指の好カードを7対2で勝利すると、2回戦の石川の星稜を1対0、北海道の駒大岩見沢を2対0、準決勝で静岡の東海大一を4対0の3連続完封で決勝進出。

選抜決勝戦の相手は優勝候補筆頭!昨夏優勝の徳島の池田。池田には昨夏、早実荒木大輔投手と石井丈裕投手をめった打ちにし大勝した水野雄仁氏と 江上光弘氏が3年になり絶好調でした。

結局、試合は水野雄仁投手に2安打シャットアウトに抑えられ、横浜商は0対3で敗退し池田は夏春連続優勝しましたが見事に横浜商は準優勝(横浜商初)。

横浜商は夏も神奈川県大会を勝ち上がり、 宮城弘明投手以来4年ぶり4回目の夏の全国大会出場を果たし、春の準優勝校ですから池田、愛知の中京と共に優勝候補。横浜商は東の横綱でした。



ところが、開会式後の横浜商の第一戦は鹿児島県の鹿児島実相手に大苦戦! 延長戦を5対4で制し辛くも二回戦進出。

が、そこは好投手!三浦将明投手を擁する強打の横浜商は二回戦を長崎の佐世保工を6対0で下し、3回戦を石川の学法石川を19対3の圧勝。準々決勝も山口の宇部商4対1で下し春に続いて準決勝進出しました。

さてこの大会、準々決勝の池田対中京をマスメディアも野球ファンも「事実上の決勝戦」と呼んでいたほど注目されており、この試合を3対1で制した池田の、夏春夏3連覇は確実だろうと思われたものでした。

横浜商の準決勝の対戦相手は福岡の久留米商。第二試合の久留米商は全くの無印から勝ち上がってきたチームなので、まず横浜商の春夏連続決勝進出は間違いない。

第一試合の池田対PL学園も、まだ1年生がエース(桑田真澄氏)と4番(清原和博氏)のPL学園も「これからのチーム」と呼ばれていた程度で、まず池田には勝てないだろうと、誰もが思っていました。

PL学園は準々決勝で高知の高知商相手に10対9の辛勝であり、桑田真澄投手はノックアウトをくらい外野を途中から守っており、エースとしてはまだ安定感に欠けていたのも、そう思われた理由でしょう。

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近年、桑田真澄氏は諸先輩方に池田には負けて当たり前。ここまで来れたのは「桑田、おまえのおかげや。でも大阪代表として10点は取られるなよ」と試合前に言われていたと回想してるほど、PL学園ナインも池田に勝てると思ってなかったほど、当時の池田の強さはず抜けてました。

第二試合の横浜商の三浦将明投手も、練習中に第一試合で池田が負けてると途中経過を知らされた時、何かの間違いだと思ったそうです。

結局、圧倒的優勝候補だった池田は桑田真澄投手に完封シャットアウトされ0対7で敗退。この試合は高校野球史に残る大番狂せだったと言えます(この試合までPL学園はそれほど注目されていなかったから)。

第二試合は、横浜商が前評判通りの強さを見せつけ12対2で久留米商をやぶり春夏連続決勝進出。

池田が相手だったら圧倒的に池田有利の下馬評だったと思いますが、横浜商は春の準優勝校のうえ、この大会も一回戦以外は圧勝!如何に池田を破ったPL学園とはいえ、エースと4番が1年のチームですから、十分に優勝はあると思われてましたね。

でも試合は3対0でPL学園が制し、PL学園は5年ぶり2回目の夏の大会優勝。横浜商は春夏連続準優勝。

結局、2023年春現在、横浜商野球部最高の栄光の時代は、この1983年の春夏準優勝が最高・最強です。

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この後、横浜商は春2回、夏3回甲子園大会に出場し、1989年の選抜では準優勝した元木大介氏の上宮に準決勝で負けてますがベスト4。1990年の夏の大会でも準々決勝で優勝した沖縄水産に負けますがベスト8。

というわけで、神奈川県も屈指の野球激戦区です。

 

近年は私学の横浜と東海大相模が二強であり、他にも慶應などの私学時代であり、市立の横浜商には厳しい時代ですが、強い!横浜商をまた甲子園で観てみたいですね!