甲子園通算12勝5敗、早実の荒木大輔氏は、誰に5回負けたのか?

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結果だけ先に書いてしまいますが、早実荒木大輔氏が甲子園大会春夏5季連続出場で負けた相手校は以下の通りです。

・横浜
・東山
報徳学園
・横浜商
・池田

と言うわけで荒木大輔氏中学3年卒業時の1980年、春の選抜決勝戦は2回目の出場の東京の帝京が、中西清起投手擁する高知商と9回を終わって0対0の大熱戦。

結局、延長10回裏、高知商が1点を取りさよなら勝ちで優勝し、帝京は惜しくも準優勝でしたが、エースの伊東昭光投手はまだ2年生!

伊東昭光投手には甲子園出場のチャンスが、あと3回残っていたので、「これから帝京は強いぞー!」と、東京の高校野球ファンは誰もが思ったものでした。

が、、、

夏の甲子園出場をかけた東東京都大会は、絶対的優勝候補の春の選抜準優勝の帝京は順当に準決勝進出しましたが、なんと!ここで早実の1年生、荒木大輔投手に帝京は完封負けしちゃう(0対4)。

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早実には、帝京の伊東昭光投手と同じく2年生エースの芳賀誠投手がおり、選抜出場をかけた1979年の秋季東京大会の頃は、まだ荒木大輔氏は中学生ですから、当然、芳賀誠投手が投げてます。

芳賀誠投手は立川を8対0で完封、國學院久我山を3対0で完封、準決勝の帝京戦は、伊東昭光投手との投げ合いで1対2で敗れ、春の選抜出場はならなかったものの、3試合1失点の東京を代表する好投手でした。

その芳賀誠投手が故障で、大事な夏の甲子園をかけた東京都大会で投げられなくなったのですから、帝京にしたら、伊東昭光投手にしたら、「一年坊主」の先発、荒木大輔投手など眼中になかったでしょう。

おそらく早実と戦う前に、決勝で当たるであろう、秋季大会は9回裏に逆転サヨナラ負けを食らうも、ともに選抜出場した二松学舎大付との決勝戦を、もう頭に置いてたと予想できます。

なので、春の選抜の全国準優勝校の帝京が、早実の「一年坊主」の先発、荒木大輔投手に完封され負けちゃうなんて、当時は実は大番狂わせでした!

そして早実の決勝戦の相手は、春の選抜出場時は東京ナンバー1だった二松学舎大付

ところが10対4で、二松学舎大付荒木大輔投手の早実はやぶって、よもやの!甲子園出場を決めちゃったんですね〜。

早実荒木大輔投手デビューで、選抜準優勝校、帝京の伊東昭光投手の影が薄くなってしまった!

ちなみにこの試合、二松学舎大付のベンチには荒木大輔氏と同じ1年生に、この2年後の選抜で二松学舎大付を全国準優勝に導く市原勝人投手がおりました。

なので、この頃の東京は、帝京(春)、早実(夏)、二松学舎大付(春)が全国大会準優勝でしたから、かなりレベルが高かったですねー。

で、甲子園初登場の早実荒木大輔氏の1回戦の相手は、大阪の強豪!北陽

荒木大輔氏が、あれよあれよで1安打シャットアウト勝ちするのは今も語り草になってますが、実は春の選抜の北陽の相手も準優勝した東京の帝京で、この試合も北陽は0対2でシャットアウト負けしてます。

このへん、今やあまり語られることないですけど、東京者には心地良い記憶です(笑)。

で、荒木大輔氏1年夏の快投は、今も伝説になってる通りで、決勝まで全試合無失点。決勝戦愛甲猛投手擁する神奈川県の横浜打線に打ち込まれ、早実は4対6で負けましたが見事に準優勝。

荒木大輔投手1敗目は、決勝戦愛甲猛投手擁する横浜高校

 

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結果として、荒木大輔氏は5季連続甲子園出場の快挙を達成したわけですが、帝京にはまだ2年生の伊東昭光投手がおり、二松学舎大付にも1年生の市原勝人投手がいた。

そして何より早実にはもう一人、2年生の好投手!芳賀誠投手がいたのですが、1981年の春の選抜出場をかけた秋季東京大会で、なんと帝京の伊東昭光投手、一回戦で日大二に0対4に負けちゃった。

再び!荒木大輔投手の早実は優勝し、準優勝の桜美林とともに早実荒木大輔投手、これで2季連続甲子園出場。

昨夏の全国準優勝チーム、絶対的!優勝候補の早実の1回戦の相手は無印の京都の東山でしたが、荒木大輔投手は打ち込まれてしまい、なんと!2対6で初戦敗退(桜美林は2回戦敗退)。

この選抜大会は荒木大輔投手は背番号1でしたが、夏は再び背番号11に戻され、背番号1は1学年上の芳賀誠投手はつけました(実際は荒木大輔投手が先発してましたが)。

というわけで、必ずしも!荒木大輔投手も順風満帆ではなかったわけですが、1981年の東東京都大会も、3年最後の甲子園のチャンスだった帝京の伊東昭光投手、3回戦で城西に打ち込まれ5対12で早々に敗退。

卒業後、本田技研に進んだ伊東昭光投手、ノンプロで大活躍しロサンゼルス五輪にもエースとして金メダル獲得に貢献し、ヤクルトスワローズにドラフト1位指名されプロでも活躍した伊東昭光投手の、この高校3年時の不調さは今も謎ですねー。

2年夏は報徳学園金村義明投手(3敗目)、3年春は横浜商の三浦将明投手(4敗目)に負けた荒木大輔投手

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で、荒木大輔投手3度目の甲子園出場をかけた1981年の東東京都大会は、早実桜美林の選抜出場校同士の対決でしたが3対0で早実が勝利し、荒木大輔投手これで見事に!甲子園3季連続出場。

春の雪辱をかけた優勝候補の早実は、高知に4対0、鳥取西に5対0と快調に3回戦進出し、金村義明投手擁する報徳学園にも8回表まで4対0で勝利寸前でしたが8回裏に1点を返され、何と9回裏に同点に追いつかれ、延長でひっくり返され4対5で早実は負けてしまいました。

そして3年最後の選抜をかけた東京都秋季大会、荒木大輔投手5季連続出場で1番危なかったのがこの大会。

準決勝の日大二戦は、延長11回7対7の引き分け再試合!再試合は8対1と早実のコールド勝ちでしたが、一発勝負の高校野球は本当に怖いですねー。

 


決勝の、3年生になった二松学舎大付の市原勝人投手との対戦を8対4で制し、荒木大輔投手これで4期連続出場。

でも、日大二戦も二松学舎大付戦も、荒木大輔投手けっこう東京都大会で打たれてるので、もしかすると1学年上の好投手!芳賀誠投手が卒業したから、気が抜けたのかもしれないですね。

それでも1982年の春の選抜は、東京都大会準優勝の二松学舎大付とともに早実もベスト8進出。

東京者としては、二松学舎大付早実の東京同士の決勝戦を期待したものでしたが、この大会のベスト8出場校は強力!

奈良の郡山、愛知の中京、広島の尾道商、大阪のPL学園、和歌山の箕島、神奈川の横浜商と、どこが優勝してもおかしくない強豪揃い。

伏兵だった市原勝人投手の二松学舎大付は郡山、中京をやぶって見事に決勝に進出し、PL学園に負け準優勝でしたが、早実は2年生の三浦将明投手の横浜商に敗れベスト8止まりでした。

荒木大輔投手3年夏の早実は、ダントツの優勝候補だった!

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そして荒木大輔投手、3年最後の夏の東東京大会も、選抜準優勝の二松学舎大付が立ちはだかるので、早実も危ない感じでした。

が、なんと!選抜準優勝の二松学舎大付、都立足立に4回戦で1対4で負けちゃった。

早実は準々決勝で二松学舎大付に勝った都立足立を9対0でやぶり、準決勝も城西に6対1と、この大会、圧勝に次ぐ圧勝で決勝進出しましたが、甲子園出場はそんなに甘くない。

決勝の修徳戦は2対2のまま延長戦突入。延長10回に早実が1点をとり辛くも勝利し、荒木大輔投手は見事に甲子園5季連続出場を果たしています。

1982年夏の甲子園大会は、春の選抜ベスト8に勝ち残った高校が準優勝の二松学舎大付の他にも、優勝したPL学園、奈良の郡山、神奈川の横浜商、広島の尾道商、和歌山の箕島と軒並み予選負け。

春の選抜ベスト8校で、夏も甲子園に出場できたのは中京と早実だけだったのも、この大会の早実が絶対的優勝候補の理由でもありました。

 


1回戦の宇治戦を早実は、12対0の圧勝!2回戦の星稜戦も10対1の圧勝!

今年こそは!荒木大輔投手の早実、全国制覇は間違いないと、東京者はこの時は思ったほど早実は投打ともに圧倒的な強さを見せつけました。

3回戦の東海大甲府戦も、荒木大輔投手が打ち込まれますが、早実は6対3で勝利し、春に続いてベスト8進出し、準決勝の対戦相手は徳島の池田。

池田は2回戦で西東京代表の日大二相手に4対3の辛勝だったので、昨年の秋季大会で早実も引き分け再試合の苦戦相手だった日大二とはいえ、再試合はコールド勝ちしています。

また、東京都春季大会決勝も早実日大二を9対2で勝ってますから、その日大二に辛勝で、同年の春の選抜にも出場してなかった、夏の大会も3年ぶり3回目の出場の池田を、多分、早実はなめていたでしょう。

3年夏、池田に滅多打ちをくらうまで、この大会の強打は早実だった

で、この大会優勝した池田が「やまびこ打線」と呼ばれ打棒が爆発するのは、この早実戦からなんです。

準々決勝まで、池田の本塁打2本に対し、早実荒木大輔氏が1本、小沢章一氏が1本、板倉賢司氏が3本、上福元勤氏が1本と6本も本塁打を放っており、実はこの試合まで「強打」は、池田ではなく早実の売り文句だったんです。

ところが試合開始早々から荒木大輔投手が打たれ、リリーフした石井丈裕投手も打たれ、なんと!早実畠山準投手が打てず池田に2対14で敗北。

そして池田は、決勝の広島商も12対2の大勝で優勝したので、「やまびこ打線」と呼ばれるようになったわけですが、繰り返しますが、この大会、準々決勝までは早実が「強打」のチームだったんです。


結局、早実荒木大輔投手は甲子園で優勝はできませんでしたが、5季連続甲子園出場成績は、通算12勝5敗、防御率1.72。

通算12勝は、同じく5季連続出場のPL学園桑田真澄投手の20勝3敗、4季連続出場で春夏連続優勝の箕島の石井毅投手の14勝1敗に次ぐ、横浜商の三浦将明投手の12勝3敗と並ぶ勝利数。

荒木大輔氏と同じ5季連続出場してる桑田真澄投手は2回全国優勝してるので、甲子園大会で負けたのは3回。

4季連続出場で、3年時には春夏連続優勝した石井毅投手は、当時の箕島にはもう一人ショートで控え投手だった上野敬三氏がいたので、2年夏はその上野敬三氏が先発して負けてるので、自身の敗戦は1度だけ。

三浦将明投手は2年春、3年の春夏と甲子園大会は3回出場で3年時は春夏準優勝とはいえ、優勝してないので3敗。

荒木大輔氏は5回甲子園大会に出場し、一度も優勝してないので5敗。

そしてこの荒木大輔氏の5敗は、この先タイ記録はあっても、抜かれることのない甲子園記録でもあるんですねー。