1位 黒ネコのタンゴ:皆川おさむ
2位 ドリフのズンドコ節:ザ・ドリフターズ
3位 圭子の夢は夜ひらく:藤圭子
4位 女のブルース:藤圭子
5位 逢わずに愛して:内山田洋とクールファイブ
6位 手紙:由紀さおり
7位 愛は傷つきやすく:ヒデとロザンナ
8位 今日でお別れ:菅原洋一
9位 ヴィーナス:ザ・ショッキング・ブルー
10位 京都の恋・渚ゆう子
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
1970年はロック史の中で、ザ・ビートルズ解散というショッキングな出来事があった年でした。
なのに、リアルタイムの日本の年間シングル売り上げチャートトップ10に、全く!ザ・ビートルズの曲は入ってません。
年間トップ30まで広げても、1曲もザ・ビートルズの曲はチャートインしていません。
ザ・ビートルズは同年、日本では「レット・イット・ビー/ユー・ノウ・マイ・ネーム」、「オー!ダーリン/ヒア・カムズ・ザ・サン」、「ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード/フォー・ユー・ブルー」とシングル3枚も発表されています。
前年の11月には「カム・トゥゲザー/サムシング」がシングル発売されてますが、これら4曲のうち唯の1曲も1970年のオリコン年間チャート、トップ30にインしていません。
ちなみに最高位で「レット・イット・ビー」の32位。
まぁ〜コアなザ・ビートルズファンは、アルバムを買っていたでしょうから、アルバムはそこそこ売れていたわけですが、それでも当時の藤圭子さん、森進一氏の大ブレイクに商業的にザ・ビートルズは及ばなかった。
また洋楽アルバムも、サイモンとガーファンクルの「明日に架ける橋」やトム・ジョーンズの「ライブ・イン・ラスベガス」の方が、ザ・ビートルズのアルバムより当時は売れてました。
ですから、ロック史的にはもの凄く重要な1970年のザ・ビートルズ解散ですが、リアルタイムの多くの日本人にとって、ザ・ビートルズ解散てどーでもいい話だったんです(笑)。
むしろザ・タイガース解散に涙した女の子の方が多かったんじゃないでしょうかね〜。
一般的には話題の中心は大阪万博で持ちきりでしたし、聴いてる音楽は藤圭子さん。それが1970年の日本でした。
ちなみにザ・ビートルズのアルバムがオリコン年間チャートトップ10に登場したのは解散から2年後の1972年、「レット・イット・ビー」の8位が初めて。
でも、やっぱりサイモンとガーファンクル(4位)、カーペンターズ(7位)のベスト盤にランクで負けています。
そして翌1973年、所謂「青盤」「赤盤」=「ザ・ビートルズ1962~1966」が同チャート3位、「ザ・ビートルズ1967~1970」が6位、そして「レット・イット・ビー」が前年に続く7位。
と、ザ・ビートルズのアルバムがバカ売れ出すのは、日本の場合、解散から3年も経ってからでした。
ですから、若いコアなザ・ビートルズファンは膨大な資料を眺め、イギリスやアメリカとリアルタイム当時の日本が同じだったとは考えない方が良いです(笑)。
2021年現在、ザ・ビートルズ解散時ティーンエイジャーだった層は70歳から60歳ですが、若いコアなザ・ビートルズファンがびっくりするほど、皆さんザ・ビートルズに疎いですから(笑)。
2021年現在、50代から下の「遅れて来たザ・ビートルズファン」の方が、情報量の差もあっての事でしょうが、圧倒的にあらゆる面でザ・ビートルズに詳しいのを、私は実感しております。
はっきり言いましょう。
1966年のザ・ビートルズ初来日は大盛り上がりだったのは確かですが、女性人気はほぼアイドル的なそれで、後のベイシティ・ローラーズや、同時期人気だったザ・モンキーズと似たようなもの。
男も女の子がキャーキャー言ってるザ・ビートルズより、エレキの上手い!ザ・ヴェンチャーズの方が偉いと思ってましたし、一般的には普通に皆、歌謡曲ばかり聴いていて洋楽なんて好んでなかった。
そのぐらい、繰り返しますが、びっくりするほど、ザ・ビートルズ現役時代に若者だった筈の日本の今や爺さん婆さん、ザ・ビートルズの事も曲も知らない人が殆どです。
勿論、1966年に来日して騒動があった事や、メンバーの名前と顔ぐらいは知ってますし、楽曲もイエスタディとヘイジュードは知ってますが(笑)、知っててもその程度です。
そういう意味で言えば、日本にいるのはグループサウンズブーム世代、和製フォークブーム・女性アイドル歌手ブーム世代、そして1970年代終盤のピンクレディ世代です。
ザ・ビートルズもロックもソウルもファンクも、当時はコアなマニアックなファンの世界で、とてもじゃないですが「世代」なんて一括りにできるような、共通了解できる代物ではなかった。
まぁ〜、このへんはレコード業界の巨匠!故石坂敬一氏や故大瀧詠一氏が述べていた、日本で1950年代リアルタイム当時、チャック・ベリーは流行ってなかった説と同じ。
あまり米英と日本が同じようなロックの歴史を歩んでいたとは、若いコアな古のロックファン、研究家の方は思わない事です。歩んでないですから(笑)。
昨今は爺につき洋の東西を問わず、ヒット曲は何もわかりませんが、その昔の日本人はロックのビートやグルーヴ、そしてR&Rやブルースの7thの和音は心に響かない人が殆ど。
ひたすら短調のせつないメロディが好きで、これ歌謡曲に限らず和製ふぉーくもしかり。
1970年のオリコンシングルチャートを30位まで広げても、洋楽はザ・ショッキング・ブルーの「ヴィーナス」、ジェリー・ウォレスの「男の世界」、ザ・オリジナルキャストの「ミスター・マンデイ」。
更にはジミー・オズモンドの「ちっちゃな恋人」、1910フルーツガム・カンパニーの「トレイン」の5曲だけで、繰り返しますがザ・ビートルズは0。1曲も入ってません。
それでも、32位の「レット・イット・ビー」は洋楽で6番目に売れた曲には違いないですが。
勿論!日本ではわりとシングルレコードが発売されていましたが、レッド・ツエッペリンなど入るわけもなく、ジェームス・ブラウンなんざ、正に!非行少年しか当時は知らなかった。
だから、繰り返しますが後世の人は当たり前のロックや音楽の歴史を、当時の日本に当てはめて想像しない事です。ネットで調べれば、当時の日本のヒット状況や映画のヒット作って簡単にわかりますから。
米英と日本のそれのズレは、少し調べれば誰でもわかりますので(勿論、日本独自の歌謡芸能カルチャーを否定するわけではありません。米英とは異なるという話です)。