「ビハインド・ザ・マスク」をカヴァーしたマイケル・ジャクソン、エリック・クラプトン、そしてグレッグ・フィリンゲインズ

キーボーディストでシンガーのグレッグ・フィリンゲインズは、1976年にスティーヴィー・ワンダーのバンドに参加し名を馳せ、その後はスタジオミュージシャンとして活躍しました。

1979年に、マイケル・ジャクソンのアルバム『オフ・ザ・ウォール』、1982年にも記録的なセールスになった、アルバム『スリラー』にもグレッグ・フィリンゲインズは参加。

で、プロデューサーのクィンシー・ジョーンズは、アルバム『スリラー』に日本のイエロー・マジック・オーケストラの『ビハインド・ザ・マスク』を収録しようとしました。

が、この時は作者の坂本龍一氏作との間に一悶着あったようで、結果として『ビハインド・ザ・マスク』は採用が見送られ、グレッグ・フィリンゲインズ1984年のソロアルバムでカヴァーしています。


まぁ〜、マイケル・ジャクソンのアルバム『スリラー』にもし『ビハインド・ザ・マスク』が収録されていたら、日本でも大ニュースになり話題になり、今も語り草になっていたでしょう。

残念ながらグレッグ・フィリンゲインズは裏方として音楽業界では有名でも、日本の普通の人達には馴染みのないミュージッシャン。

なので、彼の『ビハインド・ザ・マスク』は、殆ど日本で話題にならなかったです。

そして1985年、当時は賛否両論ではなく否の方が圧倒的に多かった、フィル・コリンズプロデュースのエリック・クラプトンのアルバム『ビハインド・ザ・サン』にも、グレッグ・フィリンゲインズは参加。

賛否の否は基本ブルースマンエリック・クラプトンテクノサウンドは、いかがなものか?でしたが、レコード会社も、ドル箱のエリック・クラプトンを『過去の人』にしたくなかったとして当然。

ジェフ・ポーカロスティーヴ・ルカサー等、当時のアメリカの人気ミュージシャンが参加した『フォーエヴァー・マン』は、クラプトンはテクノの時代でも健在でっせ〜!アピールの曲だったと思います。

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アルバム『ビハインド・ザ・サン』収録のこの『フォーエヴァー・マン』は、PVもかっこ良く日本でも話題になりましたが、エリック・クラプトン本人はこの曲の制作過程に後々クレーム言ってましたね。

まぁ〜『フォーエヴァー・マン』他2曲は、レコード会社からヒットシングルを要求され、ドゥービー・ブラザーズヴァン・ヘイレンでお馴染みのテッド・テンプルマンのプロデュースでしたから。

その辺は、エリック・クラプトンは色々思うところがあったようです。

ただ、基本『ビハインド・ザ・サン』は、エリック・クラプトンがこの後長きに渡り一緒にレコーディング、ライブを行うネイザン・イースト、グレッグ・フィリンゲインズとの初仕事。

エリック・クラプトンも、二人に何か感じるものがあったのでしょう。嫌だったら即解雇でしょうから。

こうして新生エリック・クラプトンの活動は、サポートメンバーも代わり始まったわけですが、翌1986年発表のアルバム『オーガスト』で、なんと!『ビハインド・ザ・マスク』をカヴァーしました。

まぁ〜、このへんは没になったとは言えマイケル・ジャクソンのアルバム『スリラー』と、自身のソロアルバムでやってるグレッグ・フィリンゲインズと、プロデューサーのフィル・コリンズの影響でしょう。


あの!エリック・クラプトンが日本のイエロー・マジック・オーケストラの曲をカヴァーするなんて、日本人には嬉しい大事件だったのですが、アルバム『オーガスト』は何故か?その日本で不調でした。

新生クラプトン(本人の歌唱とギターは何も変わらないのですが。笑)になる前の、1983年のアルバム『マネー・アンド・シガレッツ』は日本でオリコン最高位9位。

ところが、新生クラプトン第一弾の『ビハインド・ザ・サン』が同15位で、『オーガスト』は同28位と、『ビハインド・ザ・マスク』をカヴァーしてるのに、日本では売り上げランクが落ちているんです。

日本の昔からの保守的なエリック・クラプトンファンには、テクノサウンドのクラプトンは受け入れられなかったし、若い層はクラプトンとて「いいおっさん」。興味がなかったのでしょうね。

とはいえ、あの!エリック・クラプトンが日本のイエロー・マジック・オーケストラの『ビハインド・ザ・サン』を、歌い演奏しアルバムに収録しているというのは凄い事でした。
 
ちなみにマイケル・ジャクソンの「ビハインド・ザ・マスク」は、マイケルの死後発表されたアルバム『MICHAEL』に収録されました。3人の曲を聴き比べてみると楽しいですよ♪