エリック・クラプトンだけになってしまった、古のクリームのメンバー

 

ジンジャー・ベイカーが2019年10月に他界した時、もう少し日本のマスメディアも取り上げても良いんじゃない? と思ったけど〜、、、

そもそも今の20~40代のマスコミ関係者、ジンジャー・ベイカーを知らないだろうから、しょうがない。

ジャック・ブルースも2014年に他界してるので、これでクリームの3人のメンバーで残ってるのは、エリック・クラプトンだけになってしまいました。

今となっては古のロックファンの間で、クリームはジンジャーとジャックのバンドだったと、だいたい認知されてます。

が、現役当時と解散から暫くの間は、やっぱりカリスマギタリスト!エリック・クラプトンの人気がダントツでした。

けっしてわかりやすい音楽を演奏してたわけではなかったクリームが、イギリスや欧州、アメリカの、それもポップシーンで大人気になったのは、一にも二にも、エリック・クラプトンの風貌、美貌が大きい。

けっしてポップなバンドではなかったクリームが、大衆にバカ受けした時代背景!

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だから、ジンジャーとジャックがクリーム解散後、ポップシーンからは消えたも同然になったのは当たり前といえば当たり前で、クラプトンだけポップシーンで残り続けたのも当たり前といえば当たり前。

クラプトンは、クリーム時代からポップスターでしたから。 

でも、ここが大事なところで、ザ・ビートルズだってポップスターだったし女の子にキャーキャー言われたアイドルだったけど、自分達で曲を作って演奏してたから野郎どもにも一目置かれ、尊敬もされた。

エリック・クラプトンも、当時としては 珍しかったブルーススタイルのギター奏法の達人だったから、野郎どももカリスマギタリストと、羨望の眼差しでクラプトンを崇拝したわけです。

ただのポップスターで、女の子にキャーキャー言われてるだけだったら、ザ・ビートルズもクラプトンも野郎どもは尊敬しないし羨望の眼差しでは見ない。嫉妬深い男の男の評価って厳しいですから。

ましてやクリームの曲は、ザ・ビートルズの楽曲と違い、普通に女の子に受けるような代物じゃない。

でも、クリームは売れた!延々5分も10分も、3人が「セーノ」でアドリブ合戦をやってるライブ音源に、当時の若者たちは熱狂した。思えば本当に時代を感じますね〜。

The Times They Are a-Changin' を信じてはみたけど、、、

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当時は、ティーンエイジャー向けのポップシーンは終焉し、これからはより音楽的でアーティスティックな新しい音楽の時代が始まると多くの当時の若者たちは思ったものでした。

だから、けっしてわかりやすい音楽ではないクリーム、そしてジミ・ヘンドリックスが売れたわけです。

が、実際には、特に日本の場合、ティーンエイジャー向けのポップシーンが終焉するどころの騒ぎではなく、ティーンエイジャー向けのポップシーンが、70年代から80年代は歌謡芸能の世界で更に加速。

そして今や、ティーンエイジャー向けのポップシーンは40代、50代のおっさん、おばちゃんの主流になっており、60代の婆様たちもジャニーズ系のライブを団扇持って娘や孫と楽しんでます。

だから、1967~1968年頃の、この考えは間違っていたと言えます(笑)。


一般大衆はポップシーンが好きなのであり、女性はイケメンのポップスターが今も昔も大好き。

これ、AV女優好き、アイドル好きの野郎どもも似たようなもんで、一般大衆が求めてるものは、ポップでキャッチーなもので、アーティスティックなものなど求めちゃいない。

まぁ〜エリック・クラプトンが、クリーム解散後、露骨なポップスター路線を歩んだかと言えばそんなことはないわけで、ブラインド・フェイスもデレク&ドミノスも、そういうバンドじゃなかった。

でも、やっぱりクラプトンは天性のポップスターだから、お金儲けの音楽業界も一般大衆もクラプトンを追い宣伝するから、やっぱりクラプトンのニューバンドは売れ続けた。

更に!!、、、

クラプトンが、ドラッグと酒とセックスに溺れてても、それをファンも知ってても、不思議と!クラプトンは、いつまでも!ポップスターだったのは、やはりあの顔!独特の風貌と雰囲気のせいでしょう。


クラプトンには、信仰宗教家のような大衆を虜にする不思議な魅力がありました。

エリック・クラプトンは、「ハーメルンの笛吹き男」

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そう、当時のクラプトンは「ハーメルンの笛吹き男」みたいな、魔力がありました。

だから、、、

カリスマギタリスト!エリック・クラプトンの、ギタリストとしての評価は、だいたいブルース・ブレイカーズ、クリーム、デレク&ドミノスぐらいまでしか、当時も今もされなくなりました。

が、ギターソロもちょっと弾くシンガーになってから、クラプトン人気は更に大ブレイク!

今やギターを弾く人以外、クラプトンはそのスタイルの「ソロになってからの方が好き」という人の方が、多くなってます。

一方、クリームの残りのお二人、ジンジャー・ベイカージャック・ブルース。このお二人にポップスター性は0。

ジンジャーとジャックは、完全なプレイヤー、ミュージッシャンであり、クラプトンとクリームを結成してなかったら、世界の人に知られることはなかったタイプでしょう。

だから!6つも年下の、若き人気者の(まだロンドンでですが)エリック・クラプトンとバンドを組めば、一発当てられると目論んだジンジャー・ベイカーの考えは正しかったわけです。

クラプトンもクラプトンで、先輩で尊敬するドラマーのジンジャーと一緒にやりたいと思ってましたし、それは自分のプレイヤーとしてのキャリアアップになるという思いもあったでしょう。

結局、クリームがアメリカや欧州で人気がブレイクした時、もうジンジャーもジャックも三十路近い年だったってこともあり、やはり注目は若くてハンサムなエリックに集まったのは当然でした。

ジンジャーもジャックも、クリーム時代のスターに戻れなかった! 


で、ジャックはクリーム解散後、ジョン・マクラフリンラリー・コリエルトニー・ウィリアムス、クリス・スペディング等とアルバムを作ったり、ライブをやってました。

が、ポップスター要素のないジャックのこの活動。少なくとも当時の日本では殆ど情報は入ってこなかったです。

そのジャック・ブルースが、金になるロックシーンでの人気復活で惜しかったのがマウンテン!

マウンテンはウッドストックフェスティバルにも出演した、ベーシストがクリームのプロデュースだったフェリックス・パッパラルディなので日米ともに人気があり、レコードも売れてました。

そのマウンテン解散後に、マウンテンのギタリストのレスリー・ウェストと、ドラマーのコーキー・レイングと、ジャック・ブルースはウエスト・ブルース・レイングを結成。

来日公演も予定されてましたが、ありがちな空中分解でジャック・ブルースは脱退。急遽フェリックス・パッパラルディが呼び戻され、このグループはマウンテンとして来日し、日本武道館でやってます。


これマウンテンじゃなく、ウエスト・ブルース・レイングでの来日だったら、ジャック・ブルースは少なくとも日本では、ベック・ボガード&アピスぐらいの伝説の来日公演として語り継がれてたでしょう。

ちなみにクリームは来日しておりませんし、マウンテン来日時は、エリック・クラプトンもまだ来日は果たしてませんでしたので、ジャック・ブルースは大歓迎で日本は迎えたでしょうから。

で、ジャックは1975年には、ザ・ローリング・ストーンズを脱退したミック・テイラーとバンドを組みますが、スタジオ録音アルバムを残すこともなくこちらも消滅。

というわけで、ジャック・ブルースはクリーム解散後、ポップシーンでクラプトンのような人気者になることは最後までなかったですねー(本人がそれを望んでたかどうかは別にして)。

それでも!ジンジャー・ベイカージャック・ブルースも、素晴らしいミュージッシャンだった!

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そしてジンジャー・ベイカー!、、、

この人はジャックより売れることを意識してましたから、クリーム解散後も、人気者のクラプトンと共にブラインド・フェイスに参加しました。

でもブラインド・フェイス消滅後、なんと!クラプトンを抜かしたブラインド・フェイスのメンバー中心に、ジンジャー・ベイカーズ・エアフォース結成。

ジンジャー・ベイカーズ・エアフォースは、10人からなる大編成で、この後、ポール・マッカートニーウィングスに加入するデニー・レインや、英国音楽シーンの重鎮、グラハム・ボンドも参加してました。

が、このバンドも少なくとも当時の日本で話題になることはなく、このへんはジンジャーのポップスター性0が、日本のレコード業界、音楽雑誌に嫌われたのでしょう。 

ジンジャー・ベイカーズ・エアフォースは管楽器を揃えた、なかなか時代を先取りしたバンドでしたが、外国でも売れたって話は聞こえてこなかったので、日本だけ特殊だったわけではないと思いますが。

結局、メンバーのスティーヴ・ウィンウッドはピンになったし、デニー・レインはポール・マッカートニーの片腕になってウィングスで大成功しましたが、ジンジャーはね〜。

最後になりますが、ロックの世界で、ドラマー、ギタリスト、ベーシストがプレイヤーとしてポップシーンで売れたのはクリームが初めてでした。

勿論、それ以前からザ・ビートルズザ・ローリング・ストーンズも大成功してました。

が、彼らとて当時は普通にポップスターであって、各々の楽器の力量とかセンスって語られるようになるのは、もっと後の1970年代以降の話。

ですから、そういった意味で1967~1968年の段階で、各々の担当楽器のプレイヤーとして、あそこまでポップシーンで人気になったのは、クリームが初めてだったと思う爺でありました。